第6話 和やかな新年会

「お待たせー」


 ドリンクを配り、それぞれ炬燵に入る。「では」と大将さんが缶ビールを注いだグラスを掲げる。


「久実子さん、音頭よろしゅう」


「あらぁ、私?」


「そりゃあ主催は久実子さんですよってに」


「まぁまぁ」


 お祖母ちゃんもビールのグラスを掲げる。ふたりのビールは大将さんが注いだので、程よい対比の泡が綺麗だ。


「そいでは、今年もどうぞよろしゅうね。乾杯」


「乾杯!」


 グラスを軽く重ね、ぐいと口を付けた。お祖母ちゃんは控えめに、大将さんは豪快に琥珀色のビールが消えて行く。若大将さんもごっごっと喉を鳴らしている。


 リリコもグラスを傾ける。若大将さんが作ってくれたものだから、味に心配は無い。癖の少ない焼酎のほのかな風味と、オレンジの酸味と爽やかさが喉を抜けた。


「おいしーい」


 リリコが笑顔になると、若大将さんは「良かったわ」と口角を上げた。


「スクリュードライバーの焼酎バージョンみたいなやつやな。スクリュードライバーはウォッカを使うから、もう少しアルコールの風味が強いやろか。キンミヤ焼酎はさっぱりしとるやろ。軽いもんがええて言うとったから、量も控えめにしとるし」


「はい。これぐらいがちょうどええです。ありがとうございます。でもあの、若大将さんが飲んではるのも気になります」


「これ? 山崎のハイボールか?」


「はい」


「一口飲んでみるか?」


「ええですか?」


「ええで。ウィスキーは飲んだことあるか?」


「無いです」


「ほんならまずは少しだけ、舐める様に飲んでみ」


 若大将さんが寄越してくれた山崎のハイボールを、リリコはほんの少し口の中に含む。舌に触れたその飲んだことの無い癖に、リリコはつい顔をしかめてしまった。


「凄っごい大人の味って感じがします。私にはまだ早いかも〜」


 リリコが嘆くと、若大将さんも大将さんもお祖母ちゃんも、おかしそうに笑う。


「少し濃い目に作っとるしな。ほんなら後でお試しで、飲みやすいのん作ったるわ。それでも飲まれへんかったら俺が飲んだるから」


「ありがとうございます〜。やっぱり私、まだまだお子ちゃま舌なんやろか〜」


 がっかりとうなだれるリリコに、お祖母ちゃんが「あらまぁ」と穏やかに言う。


「リリちゃんは甘党なんやねぇ、きっと。別に悪いことやあらへんよ。リリちゃんはまだまだこれから味覚も変わって行くんやと思うわ。ウィスキーかてそのうち飲める様になると思うでぇ」


「そうなんかなぁ」


「そうやで。ほら、水炊きも食べぇ。お箸休めの小鉢は大将さんたちが持って来てくれたんやで」


「やった!」


 貝割れ大根とかにかまが入った春雨サラダだ。白すりごまをたっぷりまとっていて美味しそうだ。


「リリちゃん、ポン酢はうらら香と旭ポン酢どっちがええ?」


「うらら香!」


 お祖母ちゃんがうらら香の瓶を寄越してくれるので、リリコは新品のそれを開けてとんすいに適量入れる。お祖母ちゃんも「普段食べられへんしねぇ」とうらら香を選び、大将さんと若大将さんは旭ポン酢にした。


 カセットコンロの上でことことと音を立てる水炊き。白菜に白ねぎ、人参と椎茸、木綿豆腐、鶏もも肉と鶏団子、あさりが昆布だしで煮込まれている。火の通りやすい白菜の葉の部分、えのき、春菊、マロニー、木綿豆腐の半分、豚肉とスライス餅はお皿にスタンバイ。


 水炊きをする時には、お祖母ちゃんがいつも白ごま入りの鶏団子を作ってくれて、それがリリコは大好きなのだ。今日もお祖母ちゃんのお団子だろうか。大将さんのお団子も食べてみたいとは思うが。絶対に美味しいはずだ。


 リリコは鶏団子や野菜をいろいろ取り、さっそく鶏団子にかぶりつく。卵とお水を入れて良く練った鶏団子はふわっふわで、白ごまの甘さとぷちぷち食感が嬉しい。


「これ、鶏団子、お祖母ちゃんのいつもの?」


「そうやで。リリちゃん好きやろう?」


「うん、大好き!」


 リリコは残りの鶏団子を口に放り込んで、にんまりと頬を緩める。


「リリコちゃんはほんまに美味しそうに食べるなぁ」


 若大将さんがリリコを微笑ましげに見る。


「そうですか?」


「うん。作りがいがあるなぁて思うわ」


「だってほんまに美味しいんですもん。お祖母ちゃんのご飯も、いちょう食堂さんのご飯も」


 リリコはお野菜ももりもり食べる。白菜の芯も白ねぎもくったりとろとろになっていて、甘味が増している。それをまとううらら香の味わいはリリコにちょうど良い。


 穴あきお玉で木綿豆腐を取る。ふっくらした木綿豆腐をはふはふと食べると、お野菜や鶏から出た旨味を含んで、淡白なお豆腐が変身している。


 食べ進めて行くとお鍋に隙間ができて来るので、そこに豚肉を食べる分だけ入れる。スライスなのですぐに火が通るのだ。うらら香に付けて食べると、酸味がさっぱりさせてくれて、豚肉の甘さが余計に引き立った。


「なぁお祖母ちゃん、うちのポン酢もうらら香にせえへん?」


「両方あってもええん違う? お祖母ちゃんは旭ポン酢も好きやで。でもうらら香ってどこで買えるんやろ。この辺のスーパーとかには無かったもんねぇ」


「通販できると思うで」


「ああ、それやったらうちから譲りますわ」


 大将がそう言ってくれて、リリコもお祖母ちゃんも「え?」と目を丸くする。


「大将さん、ええの?」


「ええですよ。無くなりそうになったらいつでも言うてください。とりあえず今日持って来たのん置いて行きますわ」


「それは嬉しいわぁ。でもそしたら、大将さんたちのお家からうらら家無くなってしまわへんやろか」


「うちにはまだ使い掛けがあるんで大丈夫ですわ。無くなったらまた取り寄せたらええんですし。もうすぐしたらいちょう食堂も再開ですし、流通も戻りますさかいに」


 大将さんが言い、若大将さんも頷く。リリコとしてはうらら香がいつでも食べられるのは大歓迎だ。


「あの、ほんならいただいてもええですか?」


 リリコがおずおずと言うと、お祖母ちゃんは「まぁ、リリちゃんたら」と少し慌て、大将さんと若大将さんは「あはは」と笑う。


「もちろんええで。冷や奴も焼き肉も餃子も、これでぎょうさん食べらたええ。雑炊とかに掛けても美味しいもんな」


「はい。ありがとうございます!」


 リリコはたまらず笑顔になってしまう。しかしすぐに「あ!」と大事なことに気付く。


「お金はもちろん払いますんで! 1本いくらですか?」


 すると大将さんは「かまへんかまへん」と首を振る。


「お邪魔するのにろくな手土産も用意できひんかったからな。もろうて欲しいわ」


 リリコがお祖母ちゃんを見ると、お祖母ちゃんは少し考えた後、ゆっくりと頷いた。リリコも「分かった」と言う様に頷く。


「ほな、今日はありがたくいただきます。ありがとうございます」


「いやいや、むしろこれぐらいしか持って来れんで悪いなぁ」


「お箸休めも用意してくれはったんですから、ほんまに充分です」


 リリコは小鉢に手を伸ばす。春雨サラダをつるっとすすると、しゃきっとした貝割れ大根のアクセントとかにかまの旨味、味付けには甘酢の爽やかさと白すりごまの香ばしさ。それらの調和が抜群だった。水炊きはポン酢で食べるので、少し甘めな味付けがちょうど良かった。


「美味しい〜」


 リリコが目を細めると、お祖母ちゃんも一口食べて「ほんまやねぇ」と頬を緩めた。


「大将さんと若大将さんのお料理が、何よりのお手土産やねぇ」


「ほんまやね。すぐに無くなりそうやわ」


「冷蔵庫にまだあるからねぇ」


「ほんま!? お代わりしよ」


 リリコはあっという間に春雨サラダを食べ切ってしまった。


「そんなに喜んでくれたら良かったわ」


 若大将さんの柔らかなせりふにリリコは「はい!」と威勢の良い声を上げた。




 そうして和やかに場は進む。


「久実子さんリリコちゃん、あの絵、もしかしたら徳さんが買わはったやつですか?」


 若大将さんの目線は、お祖父ちゃんお気に入りの絵画に注がれている。この新居で生活を始めてからも、劣化しない様に陽の当たらない壁に掛けていた。


 お祖父ちゃんのお仏壇は和室にちゃんとあるが、この絵画からもお祖父ちゃんを感じることができるのだ。


「そうやよ。なんで知ってはるん?」


「徳さんが画廊で、青い綺麗な絵を買うたって言うてはったんを思い出したんです。絵手紙も趣味にしてはったから、芸術とか好きやったんでしょうか」


「そうやねぇ。見るのも好きやったねぇ。買うた絵は後にも先にもそれだけやったけどねぇ。絵手紙ぎょうさんあるんよ。良かったら後で見てあげて欲しいわぁ」


 お祖父ちゃんは描き上げた絵手紙を適当なお菓子などの缶ケースに入れていたが、没後、保存性が上がる様にとポストカードのクリアファイルに整理したのだ。


「それはぜひ!」


 大将さんが嬉しそうに言う。


「徳さん、照れ臭かったんやろうか、一度見せて欲しい言うても持って来てくれはったこと無いんですわ」


「あらまぁ」


 お祖母ちゃんはおかしそうに表情を和ませた。




 お鍋もそろそろ無くなりそうなころ。


「大将さん若大将さん、リリちゃん、お雑炊食べられるやろか」


 お祖母ちゃんが言うと、皆誰からともなく顔を合わせ合う。


「私はお腹いっぱいで無理かも」


「わしもいっぱいですわ」


「俺も充分です」


「せやねぇ。私もいっぱいやわ。ほな大将さん若大将さん、お出汁半分持って帰ってねぇ。明日の朝にでもお雑炊にしたらええわ」


「ありがたいですわ。鍋の後のお出汁、ほんま美味しいですもんなぁ」


「ねぇ。おうどんでも美味しいけど、やっぱりお雑炊にして、一滴残らず食べたいなぁて思ってしまうんよねぇ。貧乏くさいやろか」


「いや、わしもそう思いますわ。お出汁たっぷり含んだうどんも美味しいですけど、それでもお出汁残りますさかいに、やっぱり雑炊もってなりますわ」


「うふふ。じゃあちゃっちゃと片付けてゆっくりしよか。あ、そうや、リリちゃんの小さいころのアルバム見る? お祖父ちゃんと遊んでる写真がぎょうさんあるんよ」


「え、お祖母ちゃんそれ公開処刑。それよりお祖父ちゃんの絵手紙」


 リリコが顔を引きつらせて訴えるが、大将さんも若大将さんも前のめりで「どっちも見たいです」と言うものだから、リリコの拒否は通らないだろう。


 分厚いアルバムを見ながら「リリコちゃん可愛いですねぇ〜」「徳さん若いわぁ」「そうでしょう〜」と言うお祖母ちゃんたちを横目に、リリコは半ばやけ酒の様に焼酎版スクリュードライバーを傾けた。


 絵手紙も「なんや、徳さんお上手やんか。凄いなぁ」「ほんまや。もっと早よう見せてもろて、感想言いたかったわ」などと盛り上がった。


 そして翌日、生まれて初めての軽い二日酔いを経験し、胃薬のお世話になった。その日は仕事始めで、リリコは重い胃を抱えながら出勤したのである。

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