第9話 大阪もん目白押し

 少ししてドリンクが提供される。全員が箕面みのおビールを注文することになったので、お猿さんのグラスがたくさんで、ついほのぼのしてしまうリリコだった。


「あら、かわいいわねぇ」


 ハナさんもグラスを持ち上げ、興味深げにお猿さんのイラストを眺めている。


 それぞれ適当に注ぎ合い、皆のドリンクが揃った。


「ほな乾杯しよか。お婆ちゃん、音頭お願いしてええですか?」


 所長さんの言葉にお祖母ちゃんは「あら、あら」と小さく照れる。


「私混ぜてもろてるのに、ええんやろか」


「ええんですええんです。がつんと行ったってください」


 平野さんが明るく言うと、お祖母ちゃんは「あらまぁ」とおかしそうに笑う。


「ほな、やらせてもらおうかしらねぇ」


 お祖母ちゃんが言ってグラスを軽く掲げると、皆もグラスを持ち上げた。


「皆さん今日もお疲れさまでしたねぇ。乾杯」


「かんぱーい!」


 平野さんの威勢いせい良い声が1番目立ついつもの乾杯。グラスを重ね、それぞれぐいとグラスを傾けた。


 お祖母ちゃんたちは「ぷはぁ」と心地よい溜め息を吐き、リリコは初めて飲むヴァイツェンに恐る恐る口を付ける。そっと一口。そしてぐいともう一口。その飲み口にリリコは「わぁ」と頬を綻ばせた。


「ほんまや。苦味がほとんとあれへん。凄っごいフルーティで飲みやすい。ビールや無いみたい。美味しい〜」


 リリコはまたごくりとヴァイツェンを飲んだ。


「リリちゃん、お酒は逃げへんのやから、そんな慌てて飲まんでも」


 お祖母ちゃんがおかしそうに言うと、リリコは「だっておいしいねんもん」と言いながらやっとグラスをテーブルに置いた。


「お、リリコちゃんもビールが飲める様になったか。大人になったなぁ〜」


 所長さんが感慨かんがい深げに言うが、リリコは「いえいえ〜」と小さく苦笑い。


「多分これ、ビールっぽい苦さとかがほとんどあれへんのですよ。せやからまだまだです〜」


「ええやん。ビールはビールや。同じの飲めて嬉しいわ」


 平野さんもそんなことを言ってくれて、リリコは嬉しくなってしまう。


「所長、食べ物もそろそろ注文せんと」


 ハナさんが言い、あらためてメニューを広げる。リリコもメニューをめくった。あれやこれやと食べたいものを決め、平野さんが「すんませーん」と店員さんを呼ぶ。来てくれたのは大将さんだった。


久実子くみこさんリリコちゃん、今日はえらい賑やかですなぁ」


「私の職場の方々なんです」


「そうかそうか。久実子さんとリリコちゃんには贔屓ひいきにしてもろうて」


 大将さんがぺこりと頭を下げると、所長さんも立ち上がって小さく頭を下げる。


「いえいえ。こんなええお店あるん、リリコちゃんに教えてもらわな知りませんでしたわ。私らもまた寄らせてもらいます」


「そりゃあありがたいですわ。大阪もんは旨いもんばっかりやさかいに、どんどん食べてくださいね」


「はい。ほんま楽しみですわ。ほな注文ええですか」


「はい。何にしましょ」


 所長さんは座り直すと、皆で決めた料理を注文して行く。その中にはリリコやお祖母ちゃんがおすすめした犬鳴豚いぬなきぶたの角煮やがっちょの天ぷら、平野さんが熱望したなにわ黒牛くろうしの鉄板ステーキもあった。


 そして運ばれて来る逸品たち。今日は飲兵衛のんべえの所長さんと平野さんもいるので、さかなもいろいろと頼んだ。まずは八尾えだまめ、大阪ねぎの煮浸し、大阪ふきの佃煮つくだに、水なすのぬか漬け、大阪ウメビーフのロースト、河内鴨かわちがものスモーク、などなど。若大将さんが数回に分けて運んで来てくれた。


 テーブルに所狭しと並べられたそれらを前に、所長さんもハナさんも平野さんも「おおー」と声を上げる。


「これが全部大阪もんや思ったら凄いなぁ」


「ほんまやねぇ。どれも美味しそうやわぁ」


 所長さんとハナさんがほわぁっと表情を綻ばせると、平野さんは「いやいや」と渋い顔を振る。


「食うてみな分かりません。所長、何ほだされとるんですか。俺らの目的忘れたわけや無いでしょう」


「もちろん覚えとるがな。つか平野、お前なんでそんなさっきから店の人を目の敵みたいにしてんねん」


 所長さんは軽く顔をしかめながらそんなことを言う。もしかしたらリリコが感じたことは、勘違いでは無かったのだろうか。


 ああ、このまま雰囲気が悪くなってしまったらどうしよう。リリコがおろおろすると、ハナさんが「まったくもう」と呆れながらたしなめる。


「リリコちゃんとお婆ちゃまのために来てる言うんに、おふたりに嫌な思いさせてどないすんのん。リリコちゃんお婆ちゃま、ごめんなさいねぇ」


 ハナさんのお詫びにリリコは「い、いえ」と慌て、お祖母ちゃんは「私らのため?」と首を傾げる。今日の趣旨をお祖母ちゃんには話していないのだ。


「お祖母ちゃん、あんな」


 リリコはつまんで説明する。するとお祖母ちゃんは「あらまぁ」と驚いて目を見張った。


「リリちゃんとお祖母ちゃんのために? まぁ、ほんまにありがたいねぇ」


 お祖母ちゃんは拝む様に胸元で手を合わせた。


「でもそうやねぇ。リリちゃんとお祖母ちゃんだけや無くて、他の人にも見てもろうた方がええんやろうねぇ。お祖母ちゃんお客さん商売とかしたことも無いから、万が一があったらあかんもんねぇ」


「私もまだ経験不足で、人を見る目に自信あれへんし。大将さんも若大将さんもええ人やって思うねんけど、所長さんたちが見てくれはるんやったら確実やし心強いと思って」


「せやねぇ。所長さん、ハナさん、平野さん、よろしくお願いねぇ。ほんまにありがとう」


「とんでもないですよ」


「ええ」


「そりゃあもう、リリコちゃんとお婆ちゃんのためなら!」


 所長さんとハナさんは穏やかに言い、平野さんは強く拳を握った。リリコとお祖母ちゃんは顔を見合わせて「ふふ」と微笑む。


「まずはせっかくの料理、いただきましょうか。人となりもまだまだ見なあきませんからね」


「はい。いただきます!」


「いただきます」


 リリコは手を合わせると、所長さんたちがお箸を付けるのを待って、まずは河内鴨のスモークにおはしを伸ばす。


 スモークすることで余分な脂は落ちているはずなのに、ぐっと噛みしめると旨味を蓄えた上質な脂がじゅわぁっと口いっぱいに広がる。噛み応えがあるのに柔らかく、さくっと噛み切れた。


 大阪ふきの佃煮は甘辛い味付けだが、ふきの爽やかさは損なわれていない。しゃくしゃくとした歯ごたえが気持ち良い。


 大阪ねぎの煮浸しは甘みが強く、柔らかくてとろっとしている。一緒に煮てあるお揚げは長居ながいの商店街にあるお豆腐屋さんのものとのこと。優しい味の煮汁で煮てあり、お揚げから出る旨味もまとって、とても味わいの良い一品だ。


 大阪ウメビーフのローストはとても柔らかく、甘い脂にしつこさは無く、旨味がしっかりしている。ローストなのでしっとりと仕上がっていて、牛肉の美味しさがぎゅっと詰め込まれている。


 水なすのぬか漬けは、ほのかにぬかの香りがありつつも、皮をかずに丸まま漬けられているので、身は瑞々しさが豊かでさくさくとしていて、ぱんぱんに張った皮がぱりっと歯に心地よく当たる。


 そして良くいただく八尾えだまめの美味しさは知っての通りである。


「こりゃあどれも旨いなぁ」


「ええ。ほんまに」


「うまっ…! 腹立つけど旨い!」


 所長さんたちはビールを飲みつつ、次々とお箸を動かして行く。リリコも負けじともぐもぐと口を動かした。


「ねっ、どのお料理も美味しいですよね?」


 リリコが言うと、所長さんたちは「うんうん」と大きく頷く。


「もちろん素材の味がええんやろうけど、味付けが抜群やな。これは確かに無くなるには惜しい店やな。いや無くなるんや無いか」


「所長が胃袋掴まれてしもうた……! でも確かに旨いわ……!」


 平野さんも複雑な表情を浮かべながらももりもりとお料理を口に運ぶ。ハナさんも嬉しそうにお箸を動かしている。


 そんな所長さんたちを見て、お祖母ちゃんは満面の笑みだった。リリコも嬉しさが募る。


 この「いちょう食堂」はお祖父ちゃんが教えてくれて、今はお祖母ちゃんとリリコのお気に入りだ。リリコにとって野江のえ建築事務所の人たちも大切な人たちなので、お気に召してくれたら本当に喜ばしいことなのだった。

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