邯鄲の匣

水城洋臣

第一集 乱世の聖人

 活気のない城市まちだった。

 人通りも少ない閑散とした大路を、頭を丸めた仏僧が錫杖を鳴らしながら一人で歩いている。まだ四十手前ほどの修行僧と言ったところで、老練さこそ感じないが、物静かで穏やかな雰囲気を漂わせていた。

 そんな仏僧に、声をかける者がいた。


「もし……、随分とたくさん、いらっしゃるが……」


 その声に、思わず足を止めて振り返った仏僧。その視線の先には三十代前後と思われる優男が立っていた。深衣しんい(ローブ)を着込んで、長い髪をまとめている事だけでも漢人であると分かるが、特に背中に背負った桃木剣とうぼくけんと、首から下げている紐の付いた小さな八卦鏡はっけきょうからして道士と分かる。

 端から見る者がいれば、この二人以外には誰も見えないであろう。だが両者の目には、仏僧の後ろからぞろぞろと何十人ものが付いてきているのが見えているのだ。

 仏僧は、そんな道士に対して笑みを浮かべて答える。


「あなたにも見えますか。城市の外には彷徨さまよっている人が多いですからな。この辺りの住人は仏門の徒が多いですから、錫杖を鳴らしながら少し外を歩けばご覧の通りです。今日は三十人といった所でしょうか。助けを求める声を無下には出来ず、こうして付いてくる方々は、後でまとめて御供養させてもらっております」

「このご時世ではキリがない事だというのに、感服いたします」

「かくいうあなたも、似たようなものなのでは?」


 霊魂の姿をはっきりと見る事が出来、しかも供養の儀式の方法を心得ている。その上で、見ず知らずの自分を案じてわざわざ声をかけてきたのだ。目の前の道士もまた、損得を抜きにした人助けをしてしまう性質タチなのだろうと仏僧も察して、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべて問いかけた。

 すると道士の方も、照れくさそうな苦笑を浮かべて頭を掻いた。


「あなたほどではないですよ。無力な私などは、行く先で縁があった者に、少し手を差し伸べる程度です」

「それも充分にご立派な事ですよ。特にこんなご時世ではね……」


 二人は互いに相手を称賛して微笑みあった。


「申し遅れました。私は殷九叔いんきゅうしゅく。見ての通り、しがない道士です」

「私は道安どうあん。見ての通り、しがない仏僧です」

「信仰は違えど志は同じ。ご縁があったら、またお話ししたいものですな」

「その時は是非に」


 そうして知遇を得た二人は、互いに挨拶を交わして別れたのであるが、間もなく再会する事となる。

 時に、東晋とうしん永和えいわ十年。前燕ぜんえん元璽げんじ三年。西暦にして三五四年。冀州きしゅうでの出来事である。






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