第6話:火吹き竜のメグロス


「王城に繰り返し挑む輩がいる、という噂はオレも聞いていた。

 どんな益荒男かと思っていたが、まさかこのような軟弱者だったとはな」

「ご期待に添えず申し訳ないね、メグロス殿下」

「陛下と呼ぶが良い、腰抜けめ!」


 重く湿った音が、夜の空気を震わせた。

 場所は酒場ではなく、王城前にある広場。

 常は都の人々が憩う場だが、今は見た目も派手な陣が敷かれている。

 煌々と燃える篝火に照らされ、火吹き竜の紋が刻まれた旗が大きくはためいた。


「で、お前が語った事に虚偽はないのであろうな?」

「信じる信じないは、そちらの自由だ。

 嘘つきが『本当だ』と言って、アンタはそれを真に受けるのか?」

「これだけ痛めつけたというのに、口の減らん男だな」


 手足を縄で拘束され、血を流しながら地に伏せるガイスト。

 彼を重いブーツのつま先で蹴り上げ、メグロスは獣に似た獰猛な笑みを見せた。

 “銀の酒杯”亭での遭遇から、丸一日以上が経過していた。

 火を囲むメグロスの私兵たちは、街で買い込んだ酒や肉を貪っていた。

 大戦の前には、盛大な宴を催すのが慣わしとは、メグロスの言だ。

 無論、捕まっているガイストには関係のない話だが。


「ふん、気に食わんが気に入ったぞ。お前、名前は何だったか?」

「ガイストと呼んで貰えれば」

「亡霊とは、また奇妙な名乗りをするではないか」


 酒を口にしながら、メグロスは呵々と笑う。

 それから、ガイストの傍らで鎖に繋がれた狼に目を向けた。


「では、あちらのペットは? さぞや奇矯な名付けをしたのであろう」

「……アイツはペットじゃあないんで、名前なんざ付けてないよ」

「ふむ? ペットでないなら、一体何故灰色狼など連れて歩く?」

「たまたま、行く道が一緒だったってだけの話ですよ、殿下」


 ガイストの言葉に、メグロスは訝しんで眉根を寄せた。

 言っている意味が分からなかったのだろうが、ガイストは構わなかった。

 別に親切に語ってやる義理などないのだ。

 メグロスも、その態度を侮辱とまでは取らなかったようだ。

 ただつまらなさそうに鼻を鳴らすと、火で炙っていた肉を一つ掴んだ。

 それをがぶりと齧り取ると、酒を一気に呷る。


「亡霊を名乗る男よ、光栄に思うが良い。

 この火吹き竜のメグロスが、貴様の言葉を真実としてやろう。

 死の迷宮と化した王城に挑み、無様にも生きて帰ったという与太話をな!」

「……そりゃつまり、王城の案内をしろって話で?」

「その通りだ。まさか否とは言うまい」


 既に断ったはず――などと口にすれば、つま先を容赦なくねじ込まれるだろう。

 これに近いやり取りが、既に酒場で一度行われた後だ。

 ヒルデガルド姫の下に辿り着いたのが真実だと言うなら、その案内をせよと。

 ガイストがそれを突っぱねて、多勢に無勢で捕らえられてしまったのが現状だ。

 あれだけ罵っておいて、体よく利用しようという神経は実に不可解だった。


「この俺が《王器》を手にし、真にこの国の王となる助けになれるのだぞ。

 これほどの名誉、地上の何処を探しても二つとあるまい」

「……大した自信だが、勝算はあるのか?

 姫君がどんだけヤバい相手か、まさか知らんわけじゃないだろ」

「麗しき覇王の姫君なれど、不出来な忌み子など恐れるに足らず。

 ――と、言いたいところだが。

 流石にこのメグロスも驕ってはおらん」


 てっきり、慢心全開かと思っていたが。

 そんなガイストの予想に反して、メグロスはそこまで愚か者ではないようだ。

 己の武を誇示する形で構えながら、同時に自らの兵士たちを指し示す。


「見るが良い、我が領地より連れて来た選ばれし勇士たちを!

 彼らの助けあらば、例え神話に語られる竜の王が相手でも勝利してみせよう!

 火吹き竜の紋は、火を吹く竜にも勝る武を意味するのだ!」


 どこまでも誇らしげに、一点の曇りもない純粋さで高らかに宣言する。

 流石にガイストも呆れを感じたが、それを表には出さない。

 ただ、大言壮語を吐くだけあり、宴に酔う兵士たちは実際に屈強そのものだ。

 ガイスト自身、それなりに死線を越えて来た経験があるからこそ分かる。

 一人相手なら勝てるだろうが、三人相手では逃げた方が無難だろう。

 それだけの腕前を持つ兵たちが十人以上、恐らくは二十人近くは参じているのだ。

 メグロスの自信は、まったく無根拠とも言えない。


「そういう殿下も、随分と腕が立ちそうで」

「陛下と呼べと言っているだろうが。

 まぁ、見る目があるようなので特別許してやろう。

 勇者たる兵の上に立つ者もまた、それ以上の勇者であらねばならんからな」

 

 酒気を帯びた赤ら顔に満面の笑みを浮かべ、メグロスは大きく頷く。

 世辞ではなく、メグロスは間違いなく《英雄》と呼ばれる類の強者だ。

 常人より頭二つ分近くは高い背に、金剛石と見紛うばかりの筋肉。

 伊達の肉体ではなく、間違いなく戦いの中で鍛えられたものだ。

 砕けた火の心臓の破片をその身に宿したか、あるいは神の寵愛を受けたか。

 時には数多の試練を乗り越えた果てに、人ならざる境地を見出す者もいるという。

 文字通り一騎当千の力を持つ彼らは、いつしか《英雄》と呼ばれるようになった。

 《英雄》だけが《王器》を手にし、王となる資格を有するのだと詩人は歌う。


「《忌み姫》、あるいは《悪姫》とも言われるヒルデガルド王女の噂は知っている。

 何人もの英雄豪傑が、あの王城から戻ってきていない事もな。

 だが、それがどうした? 先に挑んだ勇者たちの名誉を貶める気はないがな。

 麗しき《忌み姫》が、父たる覇王の武を受け継いでいたとしても。

 彼女はまだ、オレには出会っていないのだ。

 覇王ガイゼリックを超える器を持つ、この火吹き竜のメグロスにはな」

「…………」


 メグロスの独演会の横で、鎖に繋がれた狼は退屈そうに欠伸をした。

 これがガイストだったなら、間違いなく重い爪先が飛んできたことだろう。

 しかし幸いにも、酒と空気に酔ったメグロスは狼の方にまで注意を向けていない。


「……まぁ、勝敗は時の運。それでも良い勝負にはなるんじゃないかね」

「ふんっ、酒も呑んでいないのに酔いが回ったか?

 お前が姫君の尊顔を拝した事までは、まだ完全に信じたわけでは――」

「メグロス様! メグロス殿下! 火急の知らせが!」

「何だ、オレは今この腑抜けと話しているところだぞ! あと陛下と呼ばんか!」

「失礼しました、メグロス国王陛下!」


 赤ら顔の兵士の一人が、メグロスの話に割って入ってきた。

 形ばかりの叱責を受けながら、兵士は存外気安い態度で敬礼をしてみせた。

 それから、手に持っていた酒瓶を大きく揺らして。


「思った以上に呑むペースが早く、我が軍の備蓄が底をつきそうであります!

 如何いたしましょうか!」

「なんだと、十分な量を買い与えたはずであろうが!」

「メグロス様が王になられる前祝い故、ついつい羽目を外しすぎました!」

「槍の腕前以上に口の上手い男だな、貴様は!

 良い、特別に我が財を下賜するゆえ、売っている酒を片っ端から買ってこい!

 祝い酒が残って戦えぬ軟弱な兵は、我が旗の下にはいないと信じているぞ!」

「勿論です! 陛下のご温情に感謝致します!」


 ゲラゲラと笑い合ってから、金貨を与えられた兵が足早に陣地を離れていく。

 そのやり取りを、ガイストは少し意外そうに見ていた。


「なんだ、お前も酒が欲しいのか?

 本来なら軟弱者に飲ませる酒はないが、少しぐらいなら構わんぞ」

「そりゃありがたい話だが……ぶっちゃけ、酒も食料も略奪するもんだとばかり」

「今飲み食いしてる酒も肉も、全てこの都で買ったものだぞ。馬鹿を言うな」


 言われてみればその通りだった。

 ガイストを問答無用で捕まえ、拷問まがいな仕打ちを行う野蛮な連中ではある。

 その一方で、メグロスの一党は王都の人間には決して危害を加えてはいなかった。

 特に誇るでもなく、当然といった態度でメグロスは応えた。


「王都に住む者は、このバルド王国の民だ。即ち、王たる者が庇護すべき臣民だぞ。

 それを何ゆえ無意味に虐げる必要がある?

 無論、必要とあらば奪うことを選ぶのも王者の選択だろう。

 オレは必ずや《王器》を得ると定められているが、今はまだ王ではない。

 まだ王でない者が、民から奪うのはただの無法よ。

 であれば、肉と酒の対価は我が財で支払うのも当然の道理だろうが」


 堂々と口にしたその言葉に、偽りは感じられなかった。

 粗野で傲慢ながらも、そこにはメグロスなりの誇りらしきものが伺えた。


「そういう意味では、ヒルデガルド王女は良くない。

 王とは《王器》と共に君臨し、全ての臣民を等しく統治してこそだ。

 正直、王都が崩壊していない現状には驚いたがな。

 先行きの見えぬ状況に、民は都に留まりながらも不安がっている。

 座るべき玉座が目の前にあるのであれば、座るべきなのだ」

「……なるほど。意外……と言っちゃあ不敬かもだが。

 思った以上に真っ当な王族様なんだな、アンタ」

「せめて殿下と呼ぶが良い、腰抜けめ」


 軽く爪先を当てられ、ガイストは大げさに地面を転がる。

 間の抜けたその様子を見ながら、メグロスは上機嫌に笑い声を上げた。


「ハハハハハ! まぁそこで大人しくしておけ、悪いようにはせん。

 酒と飯も、飢えて渇かぬ程度には用意してやる。

 期待通りに働けば、オレが王となった暁にはちゃんと褒美も取らせてやろう」

「もう十分扱いが悪いと思うんですがねぇ」

「余所者は信用ならん。誰も彼も卑怯な臆病者だからな。

 民なら護るが、そうでないなら殺さんだけありがたく思うが良い」

「信用してない相手に、命懸けのお役目を任せるのは大丈夫なのかね」

「使えるものなら躊躇いなく使うのも、王の資質という奴だ。

 それに駄犬であれ、首に鎖を繋げば多少はマシだ」

「犬扱いとは、過ぎた身分で恐縮しますよ、メグロス次期国王陛下」


 皮肉を込めた陛下呼びだが、竜の紋が火を吹く事はなかった。

 牙のように鋭い犬歯を見せて、踵を返すメグロス。

 酒を持ち帰った部下の方へと向かいながら、ガイストに軽く手を振ってみせた。


「日が上り次第、我らは王城に挑む。逃げようなどとは考えぬ事だ」

「こんな状態じゃあ、逃げたくとも逃げられんよ」


 返事はなく、メグロスの背はその場を離れる。

 後には縛られて転がされたガイストと、鎖で繋がれた灰色狼だけが残された。


「……やれやれ、とんだ災難だな。まさかこんな目に遭うとは」

「…………」

「さっさと逃げれば良かったって?

 話してる間にあっという間に囲まれちまったんだ、どうしようもないだろ」

「…………」

「……ま、全力で抵抗すれば行けたかもしれんけどな。

 流石に酒場で大立ち回りはな、うっかり死んだら二度と行けなくなる」


 あの酒場で出される酒と料理は、どれもなかなか美味だった。

 それを自分の血肉で台無しにしてしまうのは、何とも気が進まない話だ。

 ガイストが無抵抗に捕らえられた理由は、大体それが全てだった。

 不死の身である以上、肉体的な責め苦は大した問題ではない。

 短いメグロスとの会話で、王城の案内ぐらいはしても良い気分にもなった。

 ただ、気にかかる事があるとすれば。


「……嘘ついた形になっちまったなぁ」


 また明日行くと、ヒルデガルドにそう言った。

 不可抗力とはいえ、結果的にそれを嘘にしてしまった。

 二度と来るなとも言われたし、別に向こうは何とも思ってはいないだろう。

 だとしても、口にした言葉を虚偽にしてしまった事実は変わらない。

 縛られた手足の痛みよりも、ガイストはその事が気になって仕方がなかった。

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