第2話:怪物の潜む王城
薄暗い石造りの通路を、慎重に進んでいく。
腰に下げたランタンの光量はこまめに調整しながら、素早く視線を巡らせる。
物陰に何者かが潜んでいないか、足元や天井に罠はないか。
既に数回ほど『痛い目』を見ているため、ガイストの警戒心は野生の獣にも等しかった。
「しかしなぁ、王城にそんな即死モノの罠を仕掛ける奴があるか?」
「…………」
傍らを歩く相棒に話しかけるが、無言。
赤茶けた毛並みを持つ四足歩行の獣――大柄な灰色狼は、当然ながら人の言葉など口にしない。
ただ、男が何を言っているのかを理解している節はあった。
知性を感じさせる獣の瞳に一瞥されて、ガイストは深いため息を吐き出した。
「分かった、分かってるよ。
愚痴ってる暇があるなら、ちゃんと警戒しとけって言いたいんだろ?
してるさ、俺だって痛いのはゴメンだからな。
いきなり床から槍が生えるだの、上から棘付き鉄球が落ちてくるだの。
できれば二度とは喰らいたくないからな、マジで」
「…………」
「あぁ、薄情な相棒殿はしれっと自分だけ避けてたよな。
つーか、知らせてくれても良かったんじゃないか?」
「…………」
「“知らせたし、それでも気が付かずに引っ掛かったお前が悪い”って?
こりゃあ返す言葉も御座いませんなぁ」
傍から見れば、男は一人で喋っているも同然の有様だった。
奇妙な男だった。
一頭の灰色狼を連れた、薄汚れた甲冑姿。
鎧そのものは、そこらの野党が使うような見すぼらしいモノではない。
恐らく、何処かの王国騎士が身に纏うような上等な
死体から剥ぎ取ったにしては、着こなしは自然で動きも堂に入っている。
男自身、かつては騎士ではあったのだろうと思わせる。
しかし元騎士であるにしては、その出で立ちから高貴さは微塵も感じられない。
騎士たる誇りの象徴とも言うべき鎧もまた、大小無数の錆傷が目立つ。
手入れや調整など、された様子はほとんど見られない。
仮に遍歴の騎士であるなら、見た目というのは特に大事にするはずだが。
凹みが目立つ兜の下では、見開かれた目が忙しなく動いている。
「……しかしまぁ、噂には聞いていたが信じられんな。
これが覇王ガイセリックが誇る、緋々色のバルド王城の姿だとはなぁ」
「…………」
「知らんのか、覇王ガイゼリック。いや、狼のお前じゃ知らなくて当然か。
バルド王国のガイゼリックと言えば、名前を聞いただけで近隣諸国が震え上がる。
たった一代で田舎の小王国を、大陸列強にまで押し上げた英雄だ」
特に興味のなさそうな灰色狼に、ガイストは芝居がかった口調で語り始めた。
「この王城だってそうだ。
ガイゼリックの玉座は、《王器》の一つである《緋の玉座》だ。
赤い光を帯びた黄金の座が置かれた城は、常にその輝きで照らされていたとか。
まさに王権の象徴って奴だな。
詩人たちも、覇王の勇猛さと王城の美しさを繰り返し歌い上げた。
……一年ほど前までは、だけどな」
「…………?」
「死んだのさ。ガイゼリックが死んだ。
戦場では無敗を誇った覇王も、流石に病には勝てなかったそうだ」
ああ無情と、ガイストはわざとらしく嘆いてみせた。
灰色狼の反応は薄いが、男の語る話そのものはちゃんと聞いているようだった。
覇王ガイセリックの訃報。
《凍てついた火》と呼ばれる時代に、天の心臓すら焦がす勢いで燃え上がった野望の炎。
それが不意に消えた事実は、国の内外を激しく揺るがした。
「王が死んだんだ、持ち上がってくるのは当然後継者問題だな。
幸いと言っちゃ分からんが、ガイゼリックに子は一人しかいなかった。
まだ年若いお姫様だが、噂じゃ父親に良く似て相当の腕自慢だったらしい。
武力で成り上がったお国柄、王様もどんだけ強いかが重視される。
その点、廷臣たちもお姫様には文句一つもなかったそうだ。
後は諸国に侮られぬよう、王配を決めて正式に《王器》を継承すれば良い。
覇王を失っても、バルド王国は安泰だと誰もが信じていたとか」
「…………」
「そうとも、相棒。それで話が済んでたら、俺らはこんな場所にはいない。
いつだって、落とし穴って奴は予想もしないところで口を開けてるもんだ」
笑う。ガイストは、皮肉をたっぷりと含んだ声で笑った。
「お姫様は、《王器》の継承を拒んだそうだ。
王配も認めぬし、自分は玉座に着いて王になる気はないとな。
それを聞いた家臣どもがどれだけ焦ったか、まぁ想像もつかんな。
《王器》はあらゆる意味での国家の要だ。
戦となれば王が振るう武力の象徴、平時は国土に恵みを与える心臓の火だ。
今も、その力は完全に途切れちゃいないようだがな」
相棒に語りながら、王国内で見た景色を思い返す。
荒れ果てた……というほどに、荒廃が蔓延っているわけではない。
天に輝く火の心臓が、半分に欠け落ちてしまう前。
大いなる巨人が捧げた最大の『賜物』を、古き神々は激しく奪い合った。
その争いで砕けた心臓の破片が、人々の生きる大地に落ちて、これを広く焼き払ってしまった。
実りを失った荒野に落ちた欠片は、消える事のない巨人の生命を宿していた。
いつしかこの欠片は《王器》と呼ばれ、地を焼いた力は逆に恵みとなって大地を癒やした。
国とは、多くの民草が暮らす《王器》の加護を受けた土地そのもの。
故に《王器》の継承は、王権と国家を安定させるために極めて重要な事柄だった。
「土地はさほど荒れちゃいなかったが、まぁこの先どうなるか分からんしな。
現に、王城の光は消えているようだし……」
「……グルル」
これまで、ずっと無言だった狼の唸り声。
ガイストは言葉を途切れさせ、その場で足を止めた。
ランタンの光が届いていない暗闇で、蠢いている影が一つ。
牙を剥く相棒を制して、ガイストは前へと踏み出した。
「分かってる、今度こそ大丈夫だ。お前は後ろを見張っててくれ」
腰から下げた剣を引き抜く。
装飾の類はまったくない、実用一辺倒の無骨な長剣。
盾も背負っているが、そちらは構えない。
敵の獲物に対し、半端な盾受けは無意味だと知っているからだ。
「さて、いい加減に通らせて貰うぞ。
こっちも、辛気臭い城の中を歩き回るのに飽きて来てるんだ」
挑発めいた言葉に、相手は何も返さない。
揺らめく光の中へと入ってきたのは、黒い甲冑姿の人物だった。
いや、『人』と表現するのは正しくはないだろう。
それはあくまで、『人』の形をしているだけの『何か』だ。
見た目は甲冑を帯びた女戦士で、片手には大きな戦斧が握られている。
顔は兜ですっぽりと覆われているため、表情も伺い知れない。
奇妙な点は、その姿が全て黒く染まっている事だ。
甲冑を含めた身に帯びた物以外に、僅かに露出した肌も。
何もかもが黒く、まるで地面の影が立ち上がったかのようだった。
人間どころか、尋常な生命ではない事は明白だ。
「…………」
「任せろよ、相棒」
物言わぬ獣の視線を受け、ガイストは小さく呟いた。
影の戦士もまた何も語らず、強烈な敵意だけを露わにしていた。
戦斧を構える姿は、歴戦の兵のそれだ。
玉座を目指した者の内、どれだけがあの斧に野望と命脈を断たれてきたのか。
「おおおぉぉぉぉッ!!」
吼える。
長剣の柄を両手でしっかりと握り締め、男は強く石造りの床を蹴る。
一瞬遅れて、影の戦士は戦斧を構え直す。
先手を取って打ち込むつもりが、逆に先手を取られて出鼻をくじかれた形だ。
真っ向からの奇襲に近い形を受けても、人ならざる戦士に動揺はない。
逆にガイストの首を刎ねようと、素早く迎え撃つ姿勢を整えていた。
当然ながら、挑むガイストの側にも怯みはない。
斧を振りかぶる影の戦士へと、最短距離で剣を振り下ろした。
二つの鋼が、両者の間で赤い火花を咲かせた。
「……良し」
残心。手応えを感じても、すぐに戦の気配を緩めない。
甲冑に一筋の傷を受けただけで、ガイストの身体は無傷だった。
もう半歩でも踏み込みが遅ければ、首が胴体から吹っ飛んでいたと確信できる。
視線の先で、影の戦士が膝から崩れ落ちるのが見えた。
首から胸までをざっくりと切り裂かれているが、傷口から血が流れる様子はない。
程なくして、影の身体は塵となって城の空気に溶けて消えていった。
「…………」
「あぁ、大丈夫だって言ったろう? 心配してくれたか?」
「…………」
「うん、分かってる分かってる。大変なのはお前だもんな、そりゃ心配するよな」
相棒の灰色狼は、やはり無言。
勝手にその意を汲み取って返事をしながら、ガイストは影の消えた辺りを眺める。
「しかしまぁ、アレは一体何なんだろうな。
他にも何体か、城をうろついてる時に襲って来たが……」
「…………」
「馬鹿が下手に考えても、仕方がないってか? それはそうだな。
どうせ、この先を抜けたら玉座の間だ。ホント、ようやくって感じだが」
迷路じみた構造の通路に、殺意をたっぷり練り込んだ罠の数々。
いつ死角から襲って来るか分からない、正体不明の影の怪物たち。
散々煮え湯を飲まされたが、乗り越えた今となれば良い思い出に……。
「……なるわけないな。ウン、できれば二度とごめんだ」
「…………」
灰色狼も、同意するような空気を滲ませた。
暗い通路の先に、光が見える。
赤みがかった金色は、疑いようもなく《王器》の輝きだ。
この先にある物こそが、バルド王国の象徴たる《緋の玉座》。
「それと、噂のお姫様か。
この
ガイストも、バルド王国の姫君については噂でしか知らない。
その噂にも大量の尾ひれが付いているため、いまいち信用できなかった。
「結局、自分の眼で確かめるしかないか」
「…………」
呟いた言葉に、狼が微かに頷いた気がした。
そうしている間も、ガイストたちは進み続ける。
慎重かつ速やかな足取りで、通路の終わりへと近付いていく。
暗闇が途切れ、ガイストは光の内へと足を踏み入れた。
玉座の間は、思っていた以上に広大だった。
かつては多くの家臣らが、王の御前に集っていたのだろう。
見上げるほど高い天井と壁には、神話の時代を描いた彫刻が彫り込まれていた。
次に目に入ったのは、床に突き立てられた武器の数々。
様々な形状の刀剣や槍が並ぶ様は、まるで墓標のようにも見えた。
そして、それらの中心には――。
「……あれ、が?」
緋色の玉座と、その前に佇む灰銀の姫君。
ボロボロの戦装束めいた、赤黒く血に染まったドレス。
燃え尽きた灰にも、星々の煌めきを編んだようにも見える長い髪。
肌は青褪め、白く透き通る様はおよそ人のものとは思えず。
瞼を閉ざした横顔の美しさは、心惑わす魔性そのものだった。
事実、ガイストはほんの僅かだが、その人外の美に呆然と見入ってしまっていた。
眠るように佇む姿は、人形か何かと勘違いをしそうで……。
「……性懲りもなく、また来たのか。愚かな弱者め」
地の底から響くかの如き、憤怒の声。
閉じられていた瞼が開けば、赤く燃える瞳がガイストを射抜いた。
言葉を返そうとしたが、すぐには出てこない。
気圧されている主人の背後で、灰色狼が鋭く吼えた。
「今度は何処の手の者だ?
大貴族どものいずれかか、それとも勘違いした田舎貴族に唆されたか?
どうあれ、私のやるべき事は変わらない」
細くしなやかな指先が、虚空を掴んだ。
足元の影から生じた大戦斧、その柄を握ると細身に似合わぬ力で持ち上げる。
同時に、広間全体の空気が張り詰めていく。
灰銀の姫君が放つ、強烈な殺意によって。
「慈悲を与える機会は一度切りだ。
王になるなどという愚かな夢想は捨て、すぐに立ち去るが良い。
――それを受け入れぬと言うならば、仕方ない。
己が《死》に私の名を、ヒルデガルドの名を刻み込んで逝け」
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