第21話 砂利道

 



 風に揺れる木の枝の音。それに負けないくらいに聞こえてくるのは、俺達が地面に足を付くたびに聞こえる砂利の音だけだった。


 ジャリッ ジャリッ

 なだらかな坂道を歩くたびに、砂利同士がぶつかって辺りに響く。聞こえてくるのがそれだけでよかったのかもしれない。俺は周りを見渡しながら、他の音にだけ集中していた。


 この辺はなんもないかな? 生えてるのはただの雑草っぽいし、そんなに長くない。これだったら何か来ても大体は見えるはず。

 頭に過るあの女。一目見ただけで頭から離れないその姿は、明らかにまともじゃなかった。それにあの男に対して容赦がなかったからには、俺達だって見つかったらどうなるか想像はつく。


 桃野さんにも言ったほうがいいかな? さっきちらっと言ったけど……

 女のことは洞窟の中で話していたけど、その後すぐ桃野さんに圧倒された。そんな中で、当の桃野さんが俺の言ったことを覚えているかは定かじゃない。

 だけど、明らかにあの女はおかしくて、それは今この状況の中で、嫌でも知っておくべきことだと思った。


「桃野さん……あのさ……」

「はっ、はい」


 なるべく周りから目を離さないように、少しだけ桃野さんの方を見ると、その視線に気付いたのか、辺りをキョロキョロ見渡してた桃野さんと目が合う。


「さっきチラッと言ったんだけどさ、俺さっきの松明刺さってたところで、赤い着物を着た女を見たんだ」

「あっ、さっき言ってましたね。ごめんなさい。私、話止めちゃって……」

「大丈夫。気にしてない。それで、その女なんだけどさ……なんか鎌みたいなの持ってたんだ」


 何度か桃野さんの方を見るたび、視線が合う。どうも話をしている間、桃野さんはずっと俺の方を見ているようだった。


「鎌……」

「うん……それとおれが見たのはその女だけじゃなかったんだ。1ヶ月ぐらい前かな、家族が乗った車にトラックが突っ込んだ事件覚えてる? その犯人って今も捕まってないんだけど、俺が見たのはまさしくその犯人だったんだ。信じられなかった……だけど、確かに見たんだ」


 さっきと同じように時々桃野さんの方を見ていると、いつの間にか桃野さんは何かを考え込むような、そんな感じで顔を下に向けていた。


 あれ? もしかしてなにか知ってる? 

 そんな様子が少し気になったけど、今は俺が見たことを伝えるのが先だと思った。


「そいつの声が聞こえて、洞窟の入り口まで行ったらさ……さっきの松明のところで、村がある方を見ながら尻餅ついてたんだ。そんでその先にいたのが着物の女。犯人は着物の女に向かって叫んでたんだけど、いきなり何にも話さなくなって……そしたらさ、着物の女がいきなり、持ってた鎌で犯人の足を切りつけたんだ」


 相変わらず、桃野さんは下を向いたまま黙って話を聞いている。


「その後笑いながら、今度は喉を切ったんだ。間違いなく……それで、それを見た俺は頭がクラクラしちゃって、気付いたら寝てて目の前に桃野さんがいたんだ」


 話し終えると、二人の間に少し沈黙が流れる。さっきまでは、チラチラ桃野さんの方を見ていたけど、うつむいてしまってからは気まずくて、前ばっかり見ていたから尚更この時間が嫌だった。


 まずい……。完全に怖がらせちゃったか?

 内心、そんなことを考えながら少し後悔していると、


「そう……だったんですか……」


 小さく呟くような声が聞こえた。


 あっ、よかった。反応してくれた……

 その声に少し安心した俺は、なかなか見れなかった桃野さんの方に視線を向けてみたけど、桃野さんは真っ直ぐ前を見ているだけだった。


 ん……? 考えてる? それか……やっぱりなにか知ってる?

 恐怖とか不安だったら、焦るような表情やその元凶がいないか周りが気になるはず。なのに、着物の女と犯人の話をした瞬間、口数も少なくなって、ただ一点だけを見つめている。

 それは何かを考えているような、そんな姿にしか見えない。


「桃野さん、見てない?」


 それはちょっとした賭けだった。桃野さんを疑いたくは無いけど、明らかに様子がおかしい。だからこそ、いきなりこんなこと言われたら……何か知っているなら少しは動揺するはず。

 それに知ってるけど、なんかの理由で言えないんだったら、この流れなら少しは話しやすい状況じゃないかって思った。


「えっ……わっ、私は……」


 いきなりの言葉に、少し焦ったように顔を上げたと思うと、今度は小さく呟きながらうつむいてしまう。その反応に俺の考えは確かなものに変わっていた。


 やっぱり、桃野さんは何かを知っている。それか隠してる? どっちだ? 

 そんなことを考えていた時だった、


「見ました……その、犯人のこと」


 不意に立ち止まって、顔をこっちに向けた桃野さんの口から、それははっきりと聞こえた。おれも急いで立ち止まって桃野さんの顔を見たけれど、何か考えているようなそんな表情に変わりは無い。それが少し意外で、余計に何を考えていたのか分からなくなる。


 だったら、直接話して探るしかない……


「ほっ、本当?」


 驚いたような口ぶりで、桃野さんに返事をしてみる。心の中で、桃野さんの反応次第では核心を聞く準備も出来ていた。


「はい。私洞窟の中で目を覚まして、それで入り口が目に入ったんです。それでそこから外の様子を覗き込んでたら、村の方からあの犯人が走ってきて……真っ直ぐこっちに来たから、ここに入ってくるって思って怖くて。そのまま目をつぶってしゃがみ込んだんです。でもそれからどのくらい経っても、こっちに来る気配も足音も無くて、私もう1度洞窟の外を見たんです。そしたら誰もいなくて……その時は、どこか違うところに行ったんだって安心でいっぱいで」


 やっぱり桃野さんも見たんだ。だけど、それだけであんなに考え込む訳ない。その後なにか見たのか? 聞いたのか?


「それから外に出て、村の景色を眺めてた時に岩が転がってくる音が聞こえて……その先に宮原さんが倒れてた洞窟を見つけたんです。それでそこに行ったら宮原さんが……」


 ん? 

 何かがある。そう思って桃野さんの聞いていたのに、このままじゃ何もないまま話が終わっちゃう。犯人を見て、村を見て、洞窟を見つけて、俺を見つけただけ……それまでの過程で何かがあったと思っていたのに、そこまで聞いちゃったらその可能性はほとんど無くなってしまう。


「でも変なんです。それが気になって、私少し考えちゃってて」


 そんな中、立て続けに話す桃野さんの言葉で少し希望が見えた。


「たぶん、宮原さんの話と合わせたら……私があの犯人を見て、洞窟の中でしゃがみ込んだ後にその着物の女の人も来たんですよね? それで犯人が追い詰められた後に殺されて……それを見た宮原さんは気を失って、私が外の様子を見た時はもう誰もいなかった」

「たぶん……そうなるね?」


「でもそれって、やっぱり宮原さんが言った通りおかしいんですよね。その……死体をどうしたのか、血の跡とかどうしたのか。私、あの犯人が殺されたとか、女の人もいたとかも分からないから、最初はピンとこなかったけど、宮原さんの話を聞いてく内におかしいって思うようになって、必死に考えてみたんです。でも結局全然分からなくて……ごめんなさい、なんにも役に立てなくて……」


 まじか……

 曇った表情でうつむいた桃野さんを、どんな顔で見たらいいか分からなかった。今の話を聞く限り、桃野さんは俺以上のことは知らないし、隠してもいない。それに本気で落ち込んでいるような顔が、嘘をついているようにも見えなかった。


 桃野さんなりに、考えてくれてたんだな。それにしても、結局おれの深読みだったってわけか……

 桃野さんを少し疑ったこと、なんにも分からなかったとこ。

 違った意味で混ざり合って、一瞬気持ちが落ちてしまう。でも、目の前にいるもっと落ち込んだ桃野さんを見ると、落ち込んでる場合じゃないと自分を奮い立たせる。

 どっから湧いてきた正義感かは分からないけど、ひしひしと感じるそれが、自分を保つには丁度良かった。


「大丈夫。ここじゃ、分からないことだらけだよ。やっぱり、村に行って直接見てみるしかないよ」

「そうですよね……」


 なるべく明るく振舞って、話し掛ける。それしか桃野さんをフォローする方法が浮かばなかった。ありがたかったのは、桃野さんがそんなに落ち込んでいなかったこと。反応してくれるだけマシだった。


 やっぱ村に行かないと……いくか……

 自分を鼓舞するように言い聞かせると、


「桃野さん。じゃあ、行こうか」

「……はい!」


 桃野さんはまだうつむき加減だったものの、声を掛けるとすぐに顔をあげて返事をしてくれた。

 その表情はさっきと違って、なにか決心したようなそんな眼差しがおれを真っすぐ見つめている。お互いの顔を見ながら、止まっていた足を村の方に向けて、ゆっくりと歩き始めた。




 また聞こえてくる砂利を踏む音、同じ感覚で聞こえてくるその音が、周りの静けさを助長していく。目の前に見える橋が近づくたびに、その静けさが少しずつ怖くなってくる。


 さっきと変わらず、辺りの様子を見ながら歩いてきた来たけど、その間に少しだけ村について分かったこともあった。

 まず、右側に広がっている田んぼ。坂道の途中から始まったそれは、結構な範囲に広がって長く伸びた青い稲が波を打っている。だから、普通に稲作で米を作っていることが分かった。


 それに左側に広がっている原っぱ。所々に短い草が生えていて、その奥には大きな建物が見える。確証はないけど、その雰囲気はどこか牧場に似ていて、なにかを飼っていてもおかしくはないと思う。

 稲作と畜産。その2つを同時にやってるかもって所を見ると、村全体でそれなりに自給自足できている気がする。本当に山の中に存在するんだったら、それくらいしなきゃ生活できないってことなのかもしれない。


 そうこうしている内に、なだらかだった坂道もほとんど平坦になってて、目の前に見えるのは少し大きめの川に掛かっている木造の橋。下を流れている川はそのまま村の方へ向っていて続いているみたいだった。それに遠くから見た時はそうでもなかったけど、橋の先にある小屋のような建物がここまで来ると意外と大きくて、人が住んでいそうな雰囲気を醸し出している。


「宮原さん、あそこ……」

「うん、やっぱり家だよね。誰かいるかもしれない」


 今まで聞こえていた砂利を踏む音が、乾いた音に変わっていく。


 ミシッ、ミシッ

 木のきしむ音が次第に大きくなってきて、それと同じようにおれ達の緊張も大きくなってくる。


 あそこに人が住んでいたとして、どうしたらいい? とりあえず話をしてみるか? だけどおれ達の話なんて信用するか? 

 とりあえず、村に来たらなにかわかる。そう思ってここまで来たけど、いざ来てみるとどうしたらいいのか全然考えが浮かばない。


 てか、普通に考えたら見たこともない服装のやつがいきなり現れたら、不審者だって思わないか? やばい……どうする?

 そんなことを考えている間に、聞き覚えのある砂利の音が聞こえてくる。周りを見渡すといつの間にか橋も渡りきっていて、左側にはその家らしき建物が迫っていた。


「宮原さん……どうするんですか?」

「とりあえず近くまで行ってみよう。様子見てみて、もし誰かいたらなんとかして話を聞いてもらおう」


 その声に、少し桃野さんの方を見ながらドヤ顔で答えたけど、心の中では焦りでいっぱいだった。それでも桃野さんにそんな姿は見せられなくって、あそこに行ったらどうすればいいのか、頭の中で必死に考え続けるしかなかった。


 やばい……ここまできちゃった。

 目の前には家らしき建物。俺は道なりに横らへんまで来ると、立ち止って辺りを見渡すしかなかった。幸い、見える範囲で家の玄関らしきものは見当たらず、誰かと鉢合わせって可能性は低い。


 そうなると、玄関は反対側かな……。やっぱ、ちょっと様子見てみるか……。


「桃野さん、たぶん裏側に玄関があると思う。だから、ちょっと様子見に行って来るよ」


 小さい声で桃野さんに向かって話しかけた瞬間、桃野さんの表情が少し変わった。


「えっ! 大丈夫ですか……?」   


 その心配そうな表情に、


「大丈夫だよ。ゆっくり行くから」


 少し笑いながら、桃野さんに答えて見せたけど、本当は緊張感ででいっぱいだった。心臓の音が大きくなってきて、触らなくてもその鼓動が分かる。


 ドヤ顔で言っちゃったけど……やばい、滅茶苦茶緊張する。

 今まで気付かなかったけど、どうやら俺は女の子に良いところを見せたがる癖でもあるらしい。だけど、そんなことに気付いた時にはもう遅かった。心配そうに見ている桃野さんの視線が少し痛く感じる。


「でも、やっぱり1人は……」


 そんな俺の気持ちが分かるのか、桃野さんは相変わらず心配そうにしている。そんな態度が嘘だとしても、今の自分にはそれが嬉しかった。けど、そうなると余計に桃野さんに心配させたくなくって、余裕ぶった言葉が口から出てしまう。


「大丈夫だって、俺にまか……」

「あぁ! 忘れちゃってた」


 ドヤ顔で話している途中で聞こえてきた誰かの声。後ろから聞こえてきたその声に、考える間もなく反射的に反応してしまう。


「せん……た……?」


 振り向いた先、家の角から出て来た着物の女の人。驚いたように俺を見つめるその人と、ばっちり目が合ってしまう。

 突然の出来事に、一瞬で思考が止まる。なにをしたらいいのか、どうしたらいいのか、全然わからずにいた時だった、無意識に口が動き出す。


「こっ、こんばんは」



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