反面教師部と水色の春
近衛憂
プロローグ 序/除
「
「……はい?」
衝撃的な言葉に絶句した後、思わず自分の耳を疑う。空気を読まない小鳥たちがチュンチュンと呑気に春の訪れを告げていた。事実は小説より奇なり、ということわざを切に実感したことのある人間は、一体この世に何人いるだろうか。決して多くないはずのその中の一人に、たった今自分が加わってしまった。
烏丸累、十六歳。少し不運であること以外には、どこにでもいるようなしがない男子高校生である。校則違反もしていないし、法にも触れていないし、ましてや目の前にいる教師の私的な恨みを買った記憶もない。確かにこのエリート高校の中での成績は微妙な上に出席日数も少ないが、注意喚起も無く一発退場などという理不尽な判決を下される程だとは。退学はおろか留年した先輩の話すら聞いたことが無かった累にとって、それはあまりにも突然で、端的に絶望を突きつけてくるものだった。
状況を理解するごとに、さあっと血の気が引いていく。脳裏に浮かぶのは「詰み」の二文字。もう既に高校生活に憧れも熱意も持ち合わせてはいないけれど、どう考えても二年に進級したばかりの日に告げられていいような事実ではないだろう。しかしその嘆きの行き場は無く、ただ固まることしか出来ない。
すると明らかに動揺している累に、白衣に身を包んだ二年B組の新担任——
「いや……だって、え? 退学ってつまり、退学ってこと……っすか?」
「なあ、いいか烏丸。人の話は最後まで聞け」
丑満は呆れたように溜息をついて、その手に持っていた指示棒を累に突きつけた。反射的に僅かに仰け反ると、彼は不敵な笑みを浮かべる。
「お前は退学になる。ただしそれは『今のままだと』って意味だ」
「……ん?」
「もう大分ヤバいけど、まだ取り返しはつく。つーか俺だって生徒を進んで除籍処分になんかしたくないんだよ。作った名簿直すのぶっちゃけ面倒だし、何より俺のクラスから退学する生徒が出ようもんなら給料下げられちまうからな」
処理が追い付かずに痛み出す頭。人差し指でこめかみを押さえながら、強いて平静を装った。
「えーっと……なら、注意喚起のために俺を呼んだってことっすか」
「ああ。それもあるが、本題はそっちじゃない」
その言葉に累が疑問を呈するより先に、丑満が脚を組み直す。同時に彼が少しだけ真剣味を帯びた表情をするものだから、自然と背筋が伸びるような気がした。
「落第ギリギリのお前でも、この学校のシステムを知らないわけじゃないだろ?」
素直に頷く。開き直りもはや意識すらしなくなって久しいが、この
「もちろん知ってます。『優等点』のことっすよね」
将斉高校では、生徒に関わる全ての事象が記録される。見つけられないような小型かつ性能の高いカメラとマイクがあちこちに設置されているらしいのだ。らしい、というのはそれこそ累自身も見つけられたことがない故の物言いなのだが。とにかく、どこにいても何をしていても、常に監視されている状況。そんな非日常がこの高校の生徒にとっては日常となっていた。
そして記録された行動には、独自のプログラムによって自動で点数が付く。当然加点される行動と減点される行動の二種類があるわけだが、加点される行動としてはたとえば小さな人助けとか、はたまた積極的な改革など多岐に渡る、というのが通説だ。しかし詳細な内実を生徒が知る由は無い。生徒会の一部が加点のシステムを完全に把握しているという噂もあるが、あくまで噂に過ぎないだろう。つまるところ、そういった模範的とされる行動と成績を合算した評価の指標が「優等点」と呼ばれるものである。優等点が高ければ高いほどレベルの高い大学への推薦が得やすくなるため、意欲的に点を稼ごうとする生徒は少なくない。というより、ほとんどの生徒が該当するのではないだろうか。
概要だけを簡潔に述べると、丑満は腕を組んで回転椅子に深く背中を預けた。動作と共に深い藍色の髪が揺れる。
「そう。そんでお前の『優等点』は、現時点でほぼゼロだ」
「……点低いと退学になるとかあるんすね。初めて知りましたよ」
「まあ公表してないしな。こんなに低い奴もそうそういないし」
脅すような言い方しやがってと思ったが、それ程稀なケースなら確かに退学を仄めかすくらいは不可抗力か、と他人事のように丑満の振る舞いが腑に落ちる。
「じゃあ、さっき先生の言った『本題』っていうのは一体……」
「よくぞ聞いてくれたな」
再び指示棒を突きつけ、今日一番の得意気な顔で高らかに言い放つ丑満。数秒後、累の頭にはあのことわざが浮かんでいた。
「今これより、お前を『反面教師部』の部長に任命する!」
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