不健康大富豪

秋月流弥

1話

 午後の賑わう五月の公園で一人、私は何もすることなくベンチに座っていた。

 足元には春風にあたってゆらゆらと揺れる白詰草。

 幸せを呼ぶ四つ葉のクローバーなんていうものは当然簡単に見つかる筈もなく、それまで俯いて見ていた白詰草の群集から今度は空を見上げる。

 真っ青な雲一つない空は何もない私の未来を表しているようで忌々しく感じる。

 これ以上ないほど晴天なのに、私の心には何にも響かない。きっと心も空っぽなせいだろう。

 行く先が明るい道でありますように、とめいなんて名前を親につけて貰いながらその名前どおりの人生を送ることは出来なかった。

「ああ、死にたい……」

 安易な気持ちではない。

 いろいろと考えた。

 考えたゆえの最終的な判断が死にたいという気持ちだった。


「もったいないなー。そんな健康な身体があるのに」


 振り向くと、そこには五月なのに冬物の黒いコートを着た怪しげな中年男性が立っていた。

 ベンチの隣に設置されている自販機で買ったんだろう、男の右手には缶ジュースが握られている。

「となり、失礼するよ」

 よいしょ、と声を出し男は私の許可なく隣に座った。

「…………」

 お互い口を開くことはせず、しばらく沈黙が続く。

 隣を盗み見すると、男は車椅子に座る少女を見つめていた。少女は親に車椅子を押されて散歩を楽しんでいる。

 私はそれを心底どうでもよさげに見る。

「何か人生に不満でもあるのかい?」

 男が私に質問をしてきた。

「……別に。あなたには関係ないでしょう」

 ややあたりが強くなってしまったが部外者に余計なことを詮索されたり、ましてや説教なんてされたくない。

 しかし、男の口から出た言葉は私の予想を遥かに超えるものだった。


「死ぬ前に、君のその健康を売ってみない?」


「……は?」


 謎の男は続ける。

「君の健康な身体を病で困っている人たちに提供するのさ。君は多くの人に感謝され莫大な報酬を手に入れるだろう」

 意味のわからない話をする男。ベラベラと喋る口を閉じる気配を見せない。

「億万長者も夢じゃない。が、ここが話のポイントになる」

「…………」

 男はわざとらしく咳払いをする。

結構もったいぶるな。

「健康な身体を売るってことは売った取引先相手の病気を買うことになる。トレードさ。それでもかまわないってならやってみないか? まあ、君にとってお金なんてどうでもいいだろうけれど、どうせなら人の役に立って死んだ方が世の為だろう?」

 挑発的に言う男に私は苛立ちを覚える。

 しかし、話の本題はそこではない。

 男の挑発に乗るのは止めて、私はイラつきながらも冷静さを装って答える。

「馬鹿馬鹿しい。そんな都合の良い話があるわけないでしょ」

「おや、信じられないかい?」

 質の悪い冗談にこれ以上つきあってられない。

 私がベンチから立ち上がり席を外そうとすると、

「用は試しにやってみて判断すればいい」

 男はどこから出したのかチケットみたいなデザインの紙で出来た束から一枚を切り取り、チケットをひらひらと振り私に見せつけた。

「健康の売り買いはこのチケットで行う。一人につき一枚。どんな病気のトレードも可能になる。抱えている病の重さは関係ない。一人につき一度きりだから慎重に考えることをおすすめするよ」

といっても健康を売る物好きなんて君ぐらいしかいないだろうけど。

 男は嫌味ったらしく笑うと「お手本を見せてあげる」と広場で転んで泣いている男の子の方へ歩いていく。

 転んだのだろう。男の子の左膝は擦りむいて血が出ている。

 謎の男は男の子といくつか言葉を交わすとチケットを一枚少年に渡した。

 程なくすると男の子は明るい顔になり元気に広場をもう一度走り回っていった。

 男の子の左膝を見ると傷は跡形もなくなっていた。


「これで分かっただろう。チケットは君に預ける」

 私にチケットを渡す男。

 その左足には大きな赤い染みがズボンから滲み出ている。


「後は君次第さ」

 男はそのままふらふらと何処かへ消えるように立ち去っていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る