落涙は桜と共に

秋月流弥

落涙は桜と共に

「人は生まれた瞬間に自ら涙を流し、死ぬ瞬間には自分以外の人たちが涙を流す。当たり前だけど、生命の誕生と死に関することで人は涙腺を緩めやすいのよ」


 清水桜子しみずさくらこは一冊のノートを読みながら哲学的な意見を言った。

清水が小難しいことを言い始めるのは今から良くないことを言う合図だ。

良くないことって何を?

 それは彼女が手に持っているノートについて。

 つまり、俺の書いた小説への批評が始まろうとしている。前文で言った通り、芳しくない作品批評が。

「感動の押し売りが強引すぎる」

「ほらきた批判的な感想」

「開き直らないの。久瀬くぜの作品は人が死ぬ展開が多いけれど、人が死ねば泣くのは当然よ」

 そんな登場人物を殺してお涙頂戴なんて、浅はかで卑怯だわ。

 パタン、と一応最後の一文まで丁寧に読んではくれたものの刺さる感想を送りつける清水に俺は問う。

「要するに、清水は人が死なずに感動で涙を流す作品が至高ってことか?」

「まあ私は親が死んだ時しか泣かないけどね」

「駄目じゃねえか」



 俺は清水桜子が涙を流したところを見たことがない。もしかしたら、本当にこの世に生を授かった瞬間以降一度も泣いてないのかもしれないなんて思ってしまう。

 幼馴染で幼稚園から共に行動することが多い俺は、彼女の涙腺を活動させようと何度もいたずらしたが、彼女は涙を浮かべるどころか俺の行動を冷めた瞳で見つめるばかり。そういえば清水は感情自体が乏しく笑った顔もほとんど見たことない。

 小学生の頃、たまたま清水の笑顔を目撃したクラスメイトの男子が『桜子が笑ったから隕石が降ってくる!』なんて騒いでから余計に表情筋が働かなくなってしまった。

 俺はその時の男子生徒を反面教師にし、幼稚園のときのようないやがらせは止め、清水の趣味である小説で感動させようとした。

 しかし、俺に清水に落涙させるような質の高い小説など書ける筈もなく、最初のダメ出しは酷かった。「なにこれ日記……?」と真剣に書いた我が子を小説として認識されなかった時は落ち込んで布団の中で自分が泣いた。


 だが、それ以来清水の態度にちょっとした変化が訪れる。


「新しい作品は書いているの?」

 そわそわと落ち着かない様子で訪ねる彼女を見て嬉しくなりこう言った。


「とびっきりのやつ書いてやるから期待してろよ!」


***


「桜子ちゃんって笑わないよねー」


 小学生の頃、俺と桜子を含めた友だちグループ五人で遊んでいた頃のこと。遊んだ友達の女の子一人がそんなことを言い出した。


 対する桜子はけろっとした顔で、

「だって、つまんないから」


 歯に衣着せぬ桜子の発言はグループに亀裂が入るには充分な一言だった。

俺には分かる。

彼女は「今」の遊びが退屈なだけで「遊んでいる友達」がつまらないわけではないと。

 しかし、それから桜子はどのグループにも遊びに誘われることがなくなり、いつのまにかクラスで浮いていることが多くなった。

俺は幼馴染だから、彼女に時々声をかけたが、思春期特有のクラスの面々の冷やかしが怖くて、桜子がからかわれているときも助け船を出すことがあまり出来なかった。


 五年生に進級してから『ステキ発見』というコーナーが帰りのホームルームで追加された。

「相手の良いところをシートに書いて、一日一票クラスの名前ボックスに入れよう」

 担任教師は致命的な勘違いをしていた。

 こんなの、真面目に投函したら絶好の冷やかしの的になる。思春期の照れから、クラスのほとんどが人気者だけへの投函にしぼり、人気投票という残酷な結果になってしまった。

 当時クラスのリーダーポジションだった太田の名前ボックスだけほぼ全てのシートを丸呑みし、他の生徒のボックスはせいぜい二、三枚ある程度。


 この格差社会を表したようなボックスに、もう一人だけシートが大量に投函されている生徒が孤立気味の幼馴染、清水桜子だった。



 結果から言うと清水のボックスの中に入っているシートの内容は全て悪口だった。ステキなんて欠片のない悪意の塊。

 夕日の射し込む放課後の教室で一人ボックスの中身のシートを一通ずつ読んでいる清水を見つけ、思わず怒声をあげてしまった。


「そんなもの読まずに捨てちまえよ!」

「……わざわざ書くなんて何か真意が込められているのかなって」

 やはりこの幼馴染はどこかズレている。悲しみどころか怒りの沸点もないのか。

「単に嫌がらせだろ」

「そう」

 清水は自分宛に悪口が書かれたシートを四つ折りにし、筆箱の中へ保存する。

「私ね、小説家になるのが夢なの」

「は?」

「どんなものでも文字が書かれたらそれは作品よ。この子たちも私の作品の糧になるから」

「自分に送られた悪意で良い話が書けるかよッ」

 俺は四つ折りにされた紙くずを清水の手から全部もぎ取りポケットに詰め込む。

「……何するの」

 少し不機嫌な顔。

「悔しいだろ。糧を盗られて悲しいだろ。泣けよ」

「私がそんな理由で泣くわけないじゃない」

「普通泣くんだよ! クラス総出で悪口書かれたら。お前ズレてんの。そこは前向きにならなくていいとこなんだよ」

「悲しくないもの。それより久瀬が意地悪なのが嫌」

「清水のバーカッ」


 やり場のない怒りにキャパオーバー。

 俺は清水を教室に置き去りに、ポケットをポンポンにふくらませたまま家までダッシュして帰ってしまった。

 あの日のシートは未だに捨てられず、俺の机の奥底に眠っている。


***


「陳腐ね」

 今日も今日とて遠慮のない批評が与えられる。

 あの出来事から彼女が素直に泣けるように小説を書き始めたものの厳しい評価は開始した時から一切変わらない。

 二月の気温も相まって彼女の冷たい感想に震える。

 返されたノートと清水を交互に睨みながら言う。

「俺はどんな卑怯な手を使ってでもお前を泣かせてやるからな」

「泣かせたいなら無理よ。両親との死別以外は泣かないから」


 ……でも、それも無理かなぁ。


 清水が白い吐息をふうっと吐く。

「私、親より先に死んじゃうかもしれないし」

「……なんで」

「私は小説家になる前に、物語をたくさん創るけど、ネタ探しに憔悴してダイナミックな自殺してそう」

「それも小説のネタか? 笑えないぞ」

「想像にお任せするわ」

「お前、そういうところ直した方がいいぞ。ズレてるっていうか面倒くさいし理解出来ない」

「君は私のことなんて何も分かってないのよ」

「あーそうかよ!」


 俺はノートを利き手で潰れるほど強く握り締め、一人学校へ向かった。清水をその場に残して。

 どうしてそんなことを言う?

 俺の腕が上がらないから見切りをつけたとか?

 それ以来俺は清水と話すことはなくなった。




 そして季節は春。

 三月の卒業式に俺と清水は対峙した。


 満開の桜の樹の下、俺と清水は黙って下をうつむいたまま。

 この前の別れからの気まずさで、俺は卒業証書の筒を何度も指で撫でることしか出来ない。

 時おり流れる春の温かな風に舞う桜の花弁が自分の肩に降り積もるくらいの時間が経過したころ、清水から口を開いた。

「久瀬と離れるのが悲しかった」

「え……」

「だって、いつも傍にいてくれたでしょ? 私、気味が悪かったと思う。自分でも直せたらって、でもこれが私だから。私が私を否定しちゃダメだって意固地になって自分を貫き通した」


 ……結果は残酷だったけど。

 清水は少し眉尻を下げて困ったように笑った。

 確かに、彼女は無表情だけど、滅多に笑ったり泣いたりしないけれど、無感情なわけじゃない。

 クラスの連中はそんな彼女にシートを嫌悪という刃にして清水の心に傷をつけた。小学生の少女の繊細な心を理解しようともせず。

 俺はそんな孤高で自分を貫き通す女の子の味方でいたかった。


 それは今も、卒業したその先もずっと変わらない。


「お前は頑固なんだよ」

 俺は清水との最後のやり取りになるだろうノートを手渡した。清水も最後ということがわかっているのか、今まで以上に大事にノートのページを開いた。


「…………! これ」


 ノートには見開きであの時のステキ発見のシートが貼られていた。

 一枚一枚、彼女への悪口はマジックで良いところに上書きされている。


「根暗」

『物静かで品がある』


「無表情で不気味」

『笑うと可愛い』


「ひとりぼっち」

『俺がいる!!』



「……卑怯よ」

 清水はノートを開いたまま震える声で抗議する。

「言っただろ。どんな手を使ってでも泣かせてやるって」

「だいたい、小説になってないじゃない」

「あれー? 桜子先生が言ったんですよぉ『どんなものでも文字が書かれたら作品だ』って」

「そんな戯れ言、よく覚えてたわね」

「お前といた時間は有意義だった証拠だな。頭が良くなった」


 それは気のせいでしょ、とノートから顔をあげた清水の瞳から一筋の雫がこぼれ落ちた。

 キラキラと涙で潤む瞳はこの世界を美しいものと映し、希望を含む強い輝きだ。


「俺の勝ちだな。桜子先生」


 未来の小説家の少女は花が綻ぶように笑った。


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