戦場の魔物
「セイヤ!」
駆け戻った幕舎に弟の姿が無い。
―――戦場に絶対はない。
焦燥が、急速に喉元を駆け昇る。
「だれか! ここにいた弟は、何処に行った?!」
慌てて幕舎廻りを張っていた兵士の一人が膝をついた。
「も、申し訳ございません、護衛に連れられた聖別師の女性と一緒に、幕舎の外へ・・・」
「護衛が戦場に女性を連れてきたと?」
「ももも申し訳ございませんん・・・!!」
「・・・まて、聖別師?」
聖別師といえば、ウツミ=デュエッタだ。
しかし彼女は俺が呪術を習得したあの日から、姿を見せていない。
ずっと、気になってはいた。
何故今ここに、ウツミが?
―――しかし今はそれどころじゃない。
「奇襲の狙いは、大将の首の筈だ。この幕舎を囮として、徹底的に敵を排除せよ!」
さっきのルイ師団員が、一部、ついてきている。
多くの兵士達の歓声が陣地に響く。
すぐに赤い鎧の敵兵が雪崩のように襲撃してきた。
中心の幕舎を囲む隊列を組んだ師団員が、"絶対防御"の盾を一斉にドッとならべる。
次の瞬間。
巨大な壁に衝突したように、敵は騎兵すら突破出来ず落馬していった。
「おぉ・・・こいつは凄いな」
"絶対防御"同士を繋げて"壁"にしてしまうとは。
師団員は想像以上に、俺が聖別した武具を使いこなしてくれている。
勢いが一瞬で削がれた敵に向け、師団員達は盾を解いて一気に反撃に出る。
そこは、奇妙な戦場になった。
"絶対切断"の剣はほとんど音を立てず、紙のように敵兵の剣を斬り、鎧を貫く。
丸腰の集団を斬り刻んでいるかのような、圧倒的な、力だ。
「な、なんですか、この兵士達は!?」
側に立っていた幕舎づきの兵士の声に、はっとする。
「俺が特別な武具を与えた、ルイ師団だ。この奇襲はすぐ排除できる。それよりお前、セイヤが何処へ行ったかわからないか?」
「え? あ、ソーマ陛下のもとへ向かうような話をしてたと思うんですけど・・・」
「なんだって? 俺の所には来ていないぞ」
「そ、そう言われましても、行き違いになってしまったのでは・・・」
それが本当なら、さっき師団員を召集した場所へ向かった筈だ。
だがいま、陣地内の状況は変わり続けている。
そこが安全とは限らない。
「くそ、こんな時に・・・―――!?」
ふと、目の前を、赤黒いものがよぎる。
戦場に必ず出現する魔物かと思ったが―――
崩れかけたような、人の形。
実体を持たず、闘う兵士達のあいだをすり抜け、襲ってくる様子もない。
そういう影のようなものが、師団員が敵を倒すたびに、刻一刻と増えていく。
「・・・おい、なんか赤黒い影みたいなやつが、見えるか?」
さっきの兵士に声をかけると、彼は首を竦めた。
「か、影ですか? いえ、まだ魔物は出て来てないみたいですけど」
俺にしか見えてない。
真名と魂を掌握する呪術師能力は、つまり、死霊にも有効ということか。
その影達は、集まり、くっつき、色濃くなっていく。
「―――ルイ師団! 戦場の魔物が発生する。備えよ!」
咄嗟に叫んだ次の瞬間。
赤黒い影が濃くなった場所から、四足獣の魔物が発生した。
師団員達のど真ん中だが、"絶対切断"の剣で難なく一瞬で、撃退される。
ん?
なんか、注意喚起した意味、無かったんじゃないか?
「う、うわ・・・陛下・・・ソーマ陛下、万歳・・・!!」
いきなり隣にいた幕舎の兵士が、感動の歓声をあげた。
「「「ソーマ陛下、万歳!! ―――ソーマ新王、万歳!!」」」
師団員達まで凄い勢いで合唱しはじめた。
いや、そんなことより、セイヤの無事を確認する方が大事なんだけど!
「ここは任せる。敵を殲滅したら、陣地の保全を確保せよ!」
一刻も早く、セイヤを探し出さなければ。
適当な理由づけに活気付いた兵士達の歓声を背に、さっきの場所に向けて走り出す。
セイヤの青い魂を感知できれば―――。
「・・・くそっ、どうしてウツミが・・・!?」
急いで駆け戻った広場には、ルイ師団が倒した赤い鎧の死体が多く転がっていた。
―――ゆらゆらと彷徨うような赤黒い影も、その死体ぶん、たまっている。
すぐ集合して魔物化しないのは、もうこの場所が前線にはなっていないからか?
いや、そんな事より、セイヤは―――
「―――ッ?!」
首筋を掠めていく、鈍い痛み。
視界の端に捉えた黒衣の人間を、片肘で叩き落とす。
「・・・貴様・・・!」
じわ、と首筋に滲む感覚は、毒か。
瞬時に辺りを警戒する。
が、襲撃者は、この一人だけのようだ。
「ぐっ・・・は、ははっ・・・! 猛毒にもがいて醜く死ぬといい!」
黒衣の中から滲む、濁った赤黒い名前。
生きた人間の魂に、魔物と同じ色を持つものがいるとは。
「―――誰が、醜く、だって?!」
ガッと黒衣の胸ぐらを掴みあげる。
「は?! え??! 猛獣も即死する毒の筈―――?!」
「なら俺は神獣だろうよ。畏れ多いぞ、《アキツ=デュエッタ》!」
「なぁっ・・???!!!」
驚愕にひらいた目の濁った色は、ウツミとは似ても似つかない。
「貴様、ウツミとどういう関係だ。何故今、俺を襲った?」
「く・・・私は何十年も呪術の研究に人生をかけてきたんだ。それを、容姿も身分も、金も権力も、なんでも持ってる恵まれた王子が、あっさり手に入れやがって! ウツミには師として何度も殺すように言ったんだ。呪術師が本当に現れたとしたら、危険だとな! ・・・あ、あれ、くそ、口が勝手に・・・!」
ペラペラとよく喋る暗殺者、というのは、本意ではなかったらしい。
―――真名に、俺が命じているせいだろう。
「そうか、貴様はウツミの師なのか」
「・・・くっそ・・・! どうして、毒が効かない! 虚勢じゃないのか?!」
胸倉をつかまれながら、威勢の良い奴だ。
「《アキツ=デュエッタ》。貴様の信奉する"呪術"で、俺に毒は効かない。その効果を目の当たりに出来たこと、光栄に思え」
「な・・・?!」
こいつの顔色のほうが、蒼白になった。
首筋の毒は、少量。
実験的に自分に付与していた"自動治癒"に排除され、とっくに砂になって落ちている。
ついでに傷口も修復済みだ。
「ば、化物か・・・!?」
「そんなことより、弟はどこだ!」
「知るか! 幕舎にいると思ったのに、こっちも探したんだよ!」
では、ウツミはこいつの指示でセイヤを連れ出した訳ではないのか。
「ソーマ陛下!」
ルイ師団員が数名、こちらに気付いてザっと駆けつけてきた。
「陣地内の敵兵の排除は完了しました。しかし一部、人質を取られ、取り逃がし―――」
「人質だと? まさか・・・」
「は、はい、その、セイヤ殿下と御付きの女性が・・・」
カッと頭に血がのぼる。
「護衛は何をしていた!?」
「こ、交戦中の、一瞬のことだったそうです」
よりによって、また、弟を人質に取られるなんて―――
「・・・西側に逃したんだな?」
団員が頷くのをみて、暗殺者を投げ捨てて陣地の西側へ駆け出した。
「お、お待ち下さい! こうなったからには外交交渉で・・・!」
「ふざけるな! そんなことが許されるか・・・!!」
こうしてる間にも、セイヤは敵の中で危険に晒されている筈だ。
陣地の西側には、中心部の比ではない数の敵兵の死体が転がっている。
大規模な奇襲だったらしく、ルイ師団の活躍がなければ、制圧されていたかもしれない。
僅かな敗走兵の砂塵は、すでに遠くなっている。
―――俺にしか見えていない大量の死霊の影が、視界の邪魔だ。
「陛下! セイヤ殿下はきっとご無事です! 西側も敗走したのですから交渉で救助すれば―――」
「黙れ!! 確かに敵兵の損失は大きいだろうが、王族を捕らえたというのは、奇襲の成功を意味する。何としても今すぐセイヤを奪還する!!」
途端、俺の行動に戸惑っていた師団員達の表情が引き締まる。
交渉? ふざけるなよ。
俺の弟を攫っておいて、そんな優しい事で済ませる訳にはいかない。
―――まっすぐ走りたいのに、視界を遮る影が、邪魔だ!
『―――天と地と、生まれ星の間に確定する
我"ソーマ=シン=セイヨン"は "魔力捕食"を有効とする。
これより後、意図した霊魂に備わる魔力は、我が糧となれ』
ゴッ と、溜め込んでいた俺の魔力が急激に消費される。
しかしすぐに、視界の邪魔になっていた黒い影が、ドッと胸元に流れ込んできた。
大量の魔力―――死霊の魂。
それが背中に突き抜けていく、あまりの量に、激痛がはしる。
―――くそ、多すぎる!
だが、弟を救う為だ。
こんな事でつぶれる訳にはいかない・・・!
身体に収まり切らない魔力を、余さず、どこかに保存しなくては―――!
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