第104話 第一駐屯地(19)
「おっ、もしかして今、ビン子ちゃんシャワー中?」
そんな時、駐屯地への報告を終えたヨークがタカトに近づき個室を眺めた。
タカトは幕に移るビン子のシルエットを見ながら小さくうなずく。
ピコン!
どうやら何かを思いついたヨークはニヤニヤ笑顔を浮かべ、幕の前でうんこずわりをしながらタカトを手招きし始めた。
そして、無言で幕の下を指さす。
ピコン!
ヨークの意図を瞬時にくみ取ったタカトは顔の前で手をふり全力で拒絶する。
ヨークはあきれ顔。
もう一度タカトを誘ってみるが、やはり拒絶される。
ならば! と、ヨークの頭が少しづつ下がりはじめたではないか。
どうやらヨークは一人で幕の下を覗き込もうとしているようなのである。
ピキン!
咄嗟にタカトはヨークの肩を掴み頭が下がるのを力ずくで止めようとしはじめた。
――放せ! 男のロマンがそこにある!
――何がロマンや! そこにおるのはビン子や!
それでも下げようと踏ん張るヨーク。
意地でも下げさせないタカト。
――俺は見るぞぉぉぉぉ!
――見させるかぁぁぁぁ!
タカトとヨークの無言の力比べが続いていた。
――この根性なしが!
――誰が根性なしや!
ヨークの顔が力で引きつる。
タカトの顔もますます変顔に。
いまやお互いの顔はひどく醜く歪んでいた。
そんな時、二人の目の前の幕が個室の中の黒い影に掴まれた。
瞬間、鍛え抜かれたヨークの足腰はバネのように立ち上がると身をひるがえした。
そう、ヨークは幕が開くよりも早くすでに隣に立つ奴隷兵と立ち話を始めていたのだ。
「よっ!」
まるで最初からその場でそうしていたかのようなような変わりようである。
さすがは戦闘のプロ! 神民兵!
だが、タカトの足腰はヨークと違って全く鍛錬されたことがない。
ヨークを押さえつていた力は突然その行き場を失うと、当然ながら前のめりに倒れ込んでいったのだ。
個室の幕をくぐり出ようと身をかがめるビン子は、そっと髪を手拭いで抑える。
その濡れた黒髪は光を散らし、まるで宝石をまとっているかのようにも見えた。
そして、おそらく急いで拭きあげたであろう体は、ところどころ残った水滴によって服の上へと白肌を透かしだしていた。
今まで幕に遮られていた風が、そんなビン子の湿った髪を優しく撫でては乾かしていった。
気のせいだろうか、甘い香りがほのかにかおってくるようである。
そんな、ビン子は足元に無様に転がるタカトと目が合った……
…………
…………
「もしかして……タカト……覗こうとしてた?」
「いや、ビン子! これは違う! 誤解だ!」
…………
…………
……
きゃぁぁぁぁぁぁ!!
バキっ‼ ベキっ‼ ゴキっ‼ アベシ‼
地面を這いつくばるゴキブリを思いっきり踏みつぶすかのように、全身全霊をかけたビン子の足蹴りが、見上げるタカトの顔面めがけて何度もたたきこまれた。
そう、あまりの突然の出来事にお決まりのハリセンすらも取り出すことを忘れてしまったようなのだ。
ホげぇッち!
つぶれたタカトは、一瞬お花畑で飛び交う妖精たちの姿を見た。
だが、この光景はハリセンでシバかれるたびに見る光景。
タカトにとって既に見慣れた風景だったのである。
「妖精さ~ん! また来たよぉ~」
手を振りながら妖精たちに駆け寄ろうとするタカト。
いつもの妖精さん達なら緑の目でニコニコと笑いながら、
「最・低っ!」
「ゴキブリさんは、地獄に落ちてね♥」
などと、タカトを邪険に手で追い払はらいながら逃げまわるのだ。
だが、今日の妖精さんたちは何か少々違っていた。
ビン子のハリセンでなく、足でガシガシと蹴られたからなのか?
そう、妖精さんたちの赤い目には明らかに殺気がこもっていたのだ。
「下・種っ!」
「ゴキブリよ、地獄に落ちろ!」
突然、花畑の地面が崩れ落ちた。
暗い空間にタカトの身体が落ちていく。
いや落ちているのか、浮かび上がっているのかも分からない。
すでに体の感覚が無いのだ。
黒く重い空気の中を必死に平泳ぎするタカト。
だが、全く前に進まない。
ついに疲れ切ったタカトは、いつしか真っ暗な闇の中を漂っていた。
そんなタカトの背後から低い男の声が呼びかけるのだ。
「下種よ……」
咄嗟に、タカトはその声がする方向へ振り返ろうとした。
だが、タカトの本能がそれを阻止する。
突如、全身から噴き出す冷汗。
恐怖? いや、そんな生ぬるいものではない。
この世の憎悪、殺気、怨念そんなものがいっしょくたになったようなドロドロとした感じがタカトの背後に確実に立っているのだ。
「下種よ……なぜ……こちらを見ない……」
この感じは子供? その背後からする声の位置はやけに小さく感じられる。
だが、声の質からして大人なのは間違いない。
その存在は小さく感じられるのだが、その存在感はまるで神。圧倒的なのだ……
タカトの体はついにガタガタと震えだす。
――ここで振り向いたら……死ぬ……いや、消える……確実に俺という存在が消えてしまう……
何の根拠もない考え。
たわごとに近い妄想のようにも思えたが、タカトにはそれが事実であることが本能的に理解できてしまったのだ。
そんなタカトは懸命に固く目をつぶる。まるでその誘いを拒絶するかのように……
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