第14話 タカトの心(4)

 目をこするビン子は、ふと思い出したかのように倒れている老婆へと駆け寄った。

 抱きかかえられた老婆の顔にはローブが垂れ落ちてよく見えない。

 しかし、隙間から見えるそのしわくちゃの表情は非常に弱々しく、目も開けられないようだった。


 ちっ!

 傍らから覗き込むタカトは残念がった。

「大丈夫かって、ババアかよ!」

 だが次の瞬間、たじろぐタカト君。

 ひっ!?

 そう、ビン子がものすごい剣幕でタカトをにらみあげていたのだ。


「おばあさん、大丈夫ですか?」


 老婆は絶え絶えに答える。

「何、ちょっと『命の石』をなくしてな……」


 タカトが不思議そうに尋ねた。

「命の石なんて何に使うんだよ。あんな固い石」


「あれがないと命に関わるんじゃ……」

 どんどんと老婆の声が小さくなっていく。


「もしかして……命の石がないと、ババア、お前、死ぬのか?」

「あぁ……」

 すでに老婆の呼吸が小刻みになっている。


 ビン子は困った表情を浮かべた。

 といういのも、命の石は高級品。

 タカトたちが今、持っている納品代金の金貨1枚では、親指の先ほどの大きさしか買うことができないのだ。

 しかも、その金貨を使ってしまえば、完全に無一文。

 最低限の食材すら買うことができなくなってしまうのである。

 そしてそれは、これからしばらく、またネズミと芋を食う生活を続けなければならないということを意味しているのだ。

 そんなビン子は老婆の上でうなだれた。


 ――どうしようもない……今の私たちにはどうすることもできない……

 そんなビン子の目から再び涙がこぼれだす。


 ――ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……

 ビン子は心の中で謝り続けた。


 しかし、ビン子がふと気づいた時には、そこいたはずのタカトの姿が無かったのである。

 もしかして、あの野郎! 面倒ごとをビン子に押し付けて逃げよったのか?


 ピンポ~ん! ピンポ~ん!


 そんなビン子の背後からコンビニのドアが開いた時に聞こえる音が鳴り響いていた。

 そう、タカトはすでに体をひるがえし、目の前のコンビニに駆けこんでいたのである。

 そして、背中越しにビン子に叫ぶのだ。


「ちょっと待ってろ! この店で命の石買えるだけ買ってくるわ!」

「えっ! ちょっと! そのお金使う気! 食料どうするの? じいちゃんに怒られるよ」

「アホか! ババアとジジイならオッパイがあるだけババアの方が大切じゃい!」


 意味が分からない……

 分からないが、まぁ女に弱いタカト君。

 女性の守備範囲は幼女から老婆までと実に幅広い!

 要は、おっぱいがついていればOKなのである。

 って、ジジイにもオッパイはついとるがな……

 アホか! ジジイのはオッパイではなくて、雄ッパイじゃ!


 だがビン子は知っていた。

 タカトは、いつも他人のために貧乏くじを引くのだ。

 それは、最後まで残った外れくじをわざわざ引いているかのように、本当に救いようのない行為であった。

 しかもその後、決まってワザとらしく外れくじを引いた事を大騒ぎするのである。

 普通の人間であれば「お前のためにしてやったんだ」などと恩着せがましく振る舞うところなのに。

 そんなタカトの騒ぎ立てる行為は、本来、外れくじを引くべき人間に負い目を感じさせないようにするために気を使っているようにも思えた。


 そう、今、ビン子が着ている服だってそうだ……

 貧乏な権蔵が一度に買うことができる服は二着のみ、それが年に数回あるかどうかである。

 当然、ビン子は女の子。おしゃれだってしたい。

 だが、権蔵に養ってもらっている手前、そんなわがままを言える立場じゃないことは十分理解していた。

 そんなビン子の気持ちを知ってか知らずか、タカトは自分に与えられた服をビン子に投げ渡すのだ。

 「こんなの俺のセンスじゃないからお前が着ろよ!」

 ビン子が同じ年頃の女の子からバカにされないように、少しでもおしゃれができるようにと思っているのかもしれない。

 そんなタカトはその後きまって、アイナちゃんがプリントされたTシャツをひっぱりながら伸びたその唇に顔を突っ込み叫ぶのだ。

 「L! O! V! E! アイナちゃっぁぁぁん! ふぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 もしかしたら、当の本人は全く気など使ってなくて、ただ本当に騒いでいるだけなのかもしれない。


 バカ……


 だが、ビン子にはタカトの心の内など分かりはしない。

 しかし、そのタカトの言葉のおかげで、いつもビン子は引け目を感じなくてすんでいたのだ。

 もうビン子にとって、タカトがどう思っているかなんてどうでもよかった。

 ビン子自身が、タカトのそんな気持ちが大好きなのだ。

 人のために笑っているタカトが大好きなのだ。


 コンビニから急いで戻ってきたタカトは、震える老婆の手に命の石を握らせた。

「ババア! コレでいいのか!」


 老婆は大きく深呼吸したかと思うと、

「ふぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 と勢いよく飛び上がった。

 それはまるでステージを照らすスポットライトの中心でシャウトするラッパーのよう。


「古いがポンコツ、いやババアではない!」

 ラッパーのように両指をたてている老婆の金色の目がキラリと光っている。

 それは先ほどまで死にかけていたとは思えぬ鋭い眼光。

 というか、金色の目ってことは、このババア! 神様だったのかよ!

「I’ll be back.」

 次の瞬間、そう言い残すと老婆とは思えぬ速さで路地裏へと消え去っていった。


 ――もしかして……騙された?

 二人はぽかんとした表情で、老婆が消えた暗い路地先を見つめ続けていた。


 権蔵は、そんな辛そうな表情でうなずくビン子を見て語気をやわらげた。

「嘘くさいが……まぁ、ビン子が言うのなら、そうなんじゃろう。じゃが、このままでは、わしが死にそうじゃわい」

 タカトとは異なり、ビン子に対しては絶対の信頼を置いているのだ。

 権蔵は怒りの矛先を収めると、なにやらぶつくさと愚痴を紡ぎ始めていた。


「大丈夫。大丈夫。じいちゃんは頑丈だけが取り柄だから。そうそう死なないって!」


「ドあほぅ!  お前のせいで首をつりそうなんじゃヨ!」

 もう、うなだれるしかない権蔵であった。

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