1章 4

「氷藤さん、これを見てください」


 美優は封筒から便箋を取り出した。


「拝啓、秋桜や虫の音に秋の到来を感じ……という時候のあいさつはどうでもいいですね。ここです」

 美優はテーブルに置いた便箋の一部を指さした。


「“天寿をまっとうしたおじいちゃんも、まだ来るなって言っているはずです”って文章が問題です」

「フランクな言葉遣いは、あえてだぞ」

「天寿をまっとうって、まるで“こんなに長く生きたんだから、もう死んでも仕方がないよね”、みたいな響きじゃないですか」

「そんなことねえだろ。夫が亡くなったのは九十三歳だったか、大往生じゃねえか。そうそう、孫から祖母に対しての手紙だからいいかと思ったんだが、一応“往生”って言葉は避けたんだ」


 少しずつ、この手紙を書いていた頃の記憶がよみがえってきた。


「節子さんは九十五歳です。その“天寿”を過ぎているんですよ。もうあの人のところに行った方がいいのかしら、孫や子供たちも私は長生きしすぎだと思っているんだわって、弱気になっているんですよ」

「そんなの、解釈の問題だろ」

「どうやってもネガティブな解釈ができないように書くのが、プロじゃないんですか? 相手は落ち込みやすい入院患者ですよ」


 ぐっと言葉に詰まる。それは確かに正論だ。


「それに、すごく内容がペラペラです。この手紙でお孫さんは本当に納得していたんですか?」

「……当然だろ」


 貴之は美優から視線をそらす。

 思い出した。


 草案を出したとき、依頼者の三井萌々香(ももか)の反応は芳しくなかった。


 しかし当時、本業であるライターの仕事が詰まっていて時間がなかった。そちらを断ろうとはしたのだが、貴之が担当している連載ものの追加取材だったので、断り切れなかったのだ。


 そこで、「病人が長文を読むのは大変だから、ゴチャゴチャと書かないほうがいい」「孫から手紙が届くだけで祖母は喜ぶ」などと萌々香を丸め込み、作業を進めることを承諾させてしまった。


 そんなことをしたのは初めてで、しばらく罪悪感があったのを覚えている。


 ――あの手紙だったか。


 苦い思いがふつふつとこみ上げた。


「氷藤さんは、きちんとお孫さんの話を聞いたんですか?」

「部外者には関係ないだろ」


 貴之の声が荒くなる。対応が雑だったという自覚があるので、踏み込まれたくないという思いが声に表れた。


 美優は眉を上げたまま、唇をかみしめた。怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える。


「わたしは今朝、氷藤さんのホームページを見ました」

 貴之はハッとした。美優は潤んだような大きな瞳でじっと貴之を見ている。


「相手の話を丁寧に聞き、奥底の心まで汲み取って手紙を綴る。素晴らしい仕事だと思いました。きっとなにかの間違いで、うっかりしてこんな文章を書いたと思ったんです。なのに……」


 美優は一度言葉をとめた。そして重々しく唇を開く。


「あなたにはがっかりしました」

「……っ」


 言い訳をしようとして、口を閉じる。

 貴之は返す言葉がなかった。

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