4-10 ビゼーとビソン

「一週間の延長かい? 順調みたいだね。だけど、まだまだ無理は禁物だよ。慣れた頃が一番怖いんだからね」


 しばらく滞在することになるので、朝一番で宿泊延長の手続きをした。大きな宿ではないが、ここの女将さんの料理は美味しいし、泊っている人も常連さんばかりなのか、和やかでとても居心地がいい。

 女将さんは自分の息子と同い年のセインのことを、とにかく気にかけてくれている。


「まったくたいしたもんだよ、その年で立派にハンターとしてやってるんだからね」


 そう言って、女将さんは二人分の携帯食を渡してくれた。従魔も普通の食事をすると知ってからは、少し多めに包んでくれるようになった。

 とてもいい気分で宿を出て、今日も一日がんばるぞ、とセインは清々しい気持ちになった。


「おやおや、これは出来損ないの弟くんじゃないか」

「こんなところで会うとはな。この辺は、平民街だろう……いや、未熟者にはお似合いかな」


 セインのテンションは一気に下がった。

 とっさに兄上と呼びそうになって、すぐに首を振る。ここでは、ロルシー家の名を出してないのだ。宿屋の人たちに変に気を遣われたくない。

 セインはさりげなくギルド近くの広場まで誘導し、改めて彼らに向き合った。


「何か御用ですか? 兄上」

「せっかく様子を見に来てみれば、とんだご挨拶だな、出来損ないの弟よ」


 三男ビゼーの口癖、出来損ないの弟……もちろんセインを指す言葉だ。別館に移ってからは言われたことがなかったので、ずいぶん久々に聞いたが、今となっては何の感情もわかない。

 かつては、ひどく傷ついた言葉だった。

 その言葉は、当時の幼いセインの心に深い傷をつけた。なにしろセイン本人が、自覚しており、後ろめたく思っていたことだったからだ。

 当然ながら、彼らはそれをわかって言っていた。メイドや召使い、使用人たちの前でわざと頻繁に口にして、一方で家族の前では決して罵らなかった。


『矮小で姑息な餓鬼どもじゃな。主よ、言うてくれれば、こ奴らに地獄を味わわせてくれようぞ』


 ――まあまあ、嫌味たらしいやつらだが、ただ口が達者なだけだ。


 ツクが青筋を立てるのを、セインが諫めた。あれほど心をえぐった言葉も、今はなにも感じないことにかえって驚いた。むしろその言葉の裏には、彼らの焦りのようなものさえ感じられた。


「デオル兄上の屋敷に滞在してるようですね」

「ああ、そうだ」

「まあ、おまえは庶民の宿屋が大層気に入ってるみたいだがな」


 兄のすねを齧って居候しているんですね、という嫌味を言ったつもりが、なぜか盛大にドヤ顔で返されて、さすがのセインも呆れてしまった。そして、最高の笑顔でにこやかに続ける。

 

「なんでも大変な依頼を受けているとか、もう解決なされたのですか? さすがですね兄上」

「う……う、うむ。いや、まあそうだな」


 そこで初めてビゼーが顔色を変えた。ビソンもなんだか目が泳いでいる。


「いまはまだ調査の途中だ。な、なにしろ難しい案件なんだ! お前が受けているような、小物が受けるような依頼ではないのだからな!」


 唾が飛んできそうな位置でそんなに怒鳴らなくても聞こえるが、ビゼーはそれこそ息を切らせるほどの勢いでまくしたてた。


「ビゼー兄上の言う通りだ。我らは、この鉱山都市に巣食う悪しき穢れを祓うために、ありとあらゆる手を尽くしている最中なんだ。少なくとも、未熟なお前などでは手も足もでないだろうがな!」


 なぜそこでセインが出てくるのか意味不明だが、ともかく自分たちの方が断然優れているのだと力説したい意思は伝わった。

 しかも農村地のほんの一角の穢れ払いが、いつのまにか鉱山都市の命運を握るほどの重大な事件になっている。ともかく未解決の依頼を抱えたまま、彼らがなぜこんなところまで来て油を売っているのかを、セインは察した。

 一言でいえば、うまくいっていないのだ。

 そしてデオルあたりが、セインだったら……とかなんとか、不用意にぽろっと口にしたのかもしれない。セインのあずかり知らぬところで勝手に貶されたと思い込んで、こうしてわざわざ憂さ晴らしにきたのだろう。

 穏便に済まそうとしてたセインの額にも、ちょっとだけ青筋が現れた。

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