第3話



 ◇


「ほら、さっさと歩けこのノロマ!」

 厳しい罵声を浴びせられながら、リズはのろのろと山を登っていた。手の拘束は手枷から縄になり、相変わらず自由はない。


 評議会から裁きが下った後、囚人用の箱馬車に乗せられて数日が経ち、漸く降ろされた場所は見知らぬ山の麓だった。それから看守に連れられてずっと山登りをさせられている。地下牢に投獄されてからというもの、ろくに何も食べていない。空腹で足に力が入らず、ふらつくのでその度に蔑んだ言葉を浴びせられる。


 しかしどんな言葉を浴びせられようと、今のリズには響かなかった。

 もう心身共にへとへとで看守の言葉を受け止める余裕がない。

 俯いて足場を確かめながら登り進めていると、漸く前を歩く看守の歩みが止まった。



「ほら、着いたぞ。ここから先が妖精界への入り口だ」

 焦点の合わない目で前を見ると、その先にあるのは切り立った崖だった。

 眼下には鬱蒼とした樹海が一面に広がっている。もし奇跡的に助かったとしても、きっと樹海から出ることは叶わない。


 疲れ切っているリズの意識はぼんやりとしていて、早く横になって休みたいという気持ちでいっぱいだった。

「ここからはおまえが先に歩け」

 看守に言われるがまま、崖の上を歩かされる。崖は先端へ進むにつれて道幅が狭くなり、そこで漸く焦点の合っていなかった視界が鮮明になる。


 そして、一番端まで辿り着いて意識がはっきりとした途端、恐怖が心を支配して身が竦んだ。

(ここから飛び降りるなんてそんなの絶対無理です。できません!)

 身体は小刻みに震えて、足は一歩も動かない。

 その場に佇んでいると、足下に何かが音を立てて跳ねたので地面に視線を向けた。すると、いくつもの小石がこちらに転がってくる。



「何をもたもたしている。さっさと妖精界へ渡れ! こっちは早く仕事を終わらせて帰りたいんだよ!」

 振り返ると、痺れを切らした看守がこちらに向かって石を投げているではないか。

 リズは腕を顔の前に出して石が当たるのを防ぐ。

「や、やめて……!」


 もちろん看守がやめることはなく、どんどん石が投げ込まれる。身動きが取れないでいると、とうとう頭にガツンと衝撃が走った。

「うっ!」


 それによってバランスを崩したリズは、頭から真っ逆さまに落ちていく。

(私の人生はこれで終わってしまうのですか……)

 恐怖からか人生に悲嘆しているからか、青い瞳から涙が零れる。

 最後に視界に映ったのは雲一つない真っ青な空と、白く発光した二つの丸い球体だった。






 ◇


 身体の節々が痛い。それからとてもだるい。

 このまま眠っていたいのに、誰かが必死に呼びかけてくれているような気がする。

「頼む……目を……してくれ!」

 声は微かにリズの耳に届く。これは一体誰の声だろう。


(あら。だけど私は崖から落ちて死んだはずです。もしかして本当に妖精界へと渡ってしまったのでしょうか? 呼びかけてくれているのは妖精?)

 それなら妖精界がどんなところかや、妖精の姿を一度この目で確かめてみたい。

 好奇心に駆られて、リズは重たい瞼をゆっくりと開いた。


 すると目に映ったのは、聖騎士団の象徴である白を基調とした服に身を包む青年だった。

 さらさらとした燃えるような真っ赤な髪。彫りの深い白皙の顔は眉目秀麗で、アーモンドの形をした瞳は翡翠色をしている。耳には細長い雫型の石のピアスがついていて、彼の動きに合わせて揺れていた。



 聖騎士の制服にギョッとして、リズの意識は覚醒した。

(ど、どうして妖精界に聖騎士がいるのでしょう? 私は確かに崖から落ちて死んだはずなのに)

 まさか妖精界に人間が、しかも聖騎士がいるなんて思いもしなかった。もしやこの聖騎士も以前に妖精界への追放を言い渡された人間なのだろうか。


 とにかく、リズと同じように妖精界へ追放された身なら、いろいろと話が聞けそうだ。

 青年はリズが起きたのを見て、ホッと胸を撫で下ろした。


「良かった。こんな樹海の真ん中で倒れていたから最初は死人かと思ってとても驚いた。手遅れになっていたらどうしようかと思ったが……目を覚ましてくれて安心したよ、お嬢ちゃん」

「いえ、こちらこそ助けてくださってありがと……おじょう、ちゃん?」


 青年の『お嬢ちゃん』という声かけにリズは首を傾げる。自分よりも少し年上の相手からお嬢ちゃんと呼ばれるのはなんだか違和感がある。さらに違和感を覚えるのは自分が発した声色だ。

 いつになく声質が幼くなっている。それに、立ち上がってみると視線の位置が異様に低い。

 何がどうなっているのか分からず、下を向くと自分の手も身体も小さくなっていた。


(これはどうなっているのです!? 私の身体、小さくなってます!?)

 ふと、リズは先程の青年の言葉を思い出す。

 彼は樹海の真ん中で倒れていたと言っていた。それはつまり、自分はまだこの世にいるということを意味している。崖から落ちて奇跡的に生還したことはとても嬉しい。だが、どうして身体が小さくなってしまっているのかは謎だ。


 事態を確認するためにリズは近くを流れる川を見つけると覗き込む。するとそこには、七歳くらいの自分の姿が映っていた。頭の中はますます混乱して事態の収拾がつかない。

「何が起きているのです? 私、てっきり妖精界へ渡ったとばかり……」

 するとこちらの様子を怪訝そうに眺めていた青年がその発言を聞いて表情を歪めた。


「まったく。幼気いたいけな子供に変なことを吹き込むとはなんて親だ。大丈夫だ、お嬢ちゃん。俺が君を保護しよう。俺の名前はクロウだ」

 どうやらクロウは親が口減らしか何かの理由で、リズに崖から落ちて死ぬように吹き込んだのだと思っているらしい。こちらを見つめる瞳には慨嘆の色が浮かんでいる。

「わ、私なら大丈夫です。助けてもらいましたし、これ以上一緒にいても迷惑をかけることになりますし……」

 リズはやんわりと保護されるのを断った。



 正直なところ、教会やそれに関わる人とは一緒にいたくない。万が一生きていることが知られてしまえば、今度は確実に死ぬよう、もっと別の方法で処刑されるかもしれない。

(小さい女の子になっているから、教会本部の大司教様や司教様には私がリズベットだということはバレないと思います。でも、この人がどこの聖騎士団に所属しているかも分からないので迂闊について行くわけにはいきません)

 ここから一番近い聖騎士団となればもちろん教会本部の第一部隊サラマンドラだ。


 聖騎士団は四つの部隊で編成されている。第一部隊サラマンドラ、第二部隊ウンダ、第三部隊シルヴァ、四部隊ゲノモスだ。

 聖騎士団は部隊数字が一に近いほど王都に近い場所を拠点として活動する。ドロテアの付き人をしていた聖騎士も、教会本部で警備を行っていた聖騎士もみんな所属はサラマンドラだ。もしこの青年の所属先がサラマンドラなら、奇跡的に生還したのにまた命の危険に晒される場所へ逆戻りだ。

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