第25話 回復(リハビリ)24 新しいリュック
「あー、とうとうダメになったか」
薬子は真っ先に財布の有無を確認する。呑気に歩いていたが、大事な物は何も落ちていないようで、その点についてはほっとする。
なんとか修理できないか、うじうじと悩んでいたが、結局薬子の裁縫技術ではどうにもならなかった。これは捨てて、買い直すしかない。
薬子は空になったバッグを軽く拝んだ。
「いままでお疲れ様でした……」
精根尽き果てたようなその姿、むしろ捨てるのが遅すぎたくらいだ。雑に扱ってきたことを今更ながら詫び、薬子はバッグをゴミ袋につっこむ。
少しましなバッグを引っ張り出してみた。しかし今までのリュックに慣れていると、どうにも心地が良くない。背中が安定している感じがしないし、しばらく持っていると片方の肩が痛くなってくる。
何度か持ち手の長さを変えてみたが、しっくりこなかった。
「いちいち手に持つのも面倒だし……これは新しく買うしかないか」
天の恵み、母からもらった商品券の使い処はここだろう。新しいバッグを毎日使えば、死に金にはならないはずだ。
「その分、ちゃんと納得して選ばないと……」
買った後やっぱり他のが良かった、とならないよう、慎重に選ぼう。特に普段、おしゃれには興味がないから、しっかり試してから買わないと外れる可能性が高い。予算があまり高くないからなおさらだ。
次の日から、薬子は服屋や鞄店を全て見て回った。しかし、その度に失望のため息を吐くことになる。
手頃なサイズのものはあるのだが、どうしてもファスナーの位置が気に入らなかったり、ポケットの数が少なかったりで決めきれない。なかなか、思い通りのものというのはないものだ。
いっそ、捨てたバッグと同じ物を買おうか。使い勝手がいいのは分かっているし、変な物に手を出すより安心できる。
しかし問題は、そのバッグをどこで買ったか覚えていないということだ。どこかの路面店で買ったのは間違いないのだが、店構えも覚えていない。
薬子はそれから数日、うろうろとショッピングモールを歩いた。しかしどこに行ってもいい物も、同じ物も見つからず、もう諦めようかと思い始める。
薬子はとぼとぼと地元の商店街を歩いていた。
「あれ」
今までガチャガチャショップだと思っていた店舗の奥に、鞄があるのを見つけて薬子は足を止めた。鞄を探していなかったから、奥にあるのが目に入っていなかったのだ。
薬子はもう一度店を見た。よくこの界隈は歩いていたはずなのに、どうして気づかなかったのだろう。少し決まり悪い思いをしながら、店の奥に入ってみる。
薬子は鞄を物色し始めた。時折天井からぶら下がっているものもあるので、上を見上げながら歩く。リュックの種類もなかなか豊富で、大小様々なサイズがそろっている。今日、この店に目をつけたのは正解だった。
「あ」
綺麗に陳列されたバッグの中に、薬子は捨てたバッグと同じ物を見つけた。ちょうど女性の背中が隠れるくらいの本体に、五センチ弱の幅がある背負い紐がついている。バッグの正面には、ブランドマークの飾りが縫い付けてあった。
無造作にかかっているそれに、薬子は思わず手を伸ばす。
黒やマスタードの単色、赤と紺・青と紺のミックス、それだけではなく、黄色や青、赤が混じった変わった配色のものまである。変わった配色は可愛いが、持っている間に飽きが来るような気もした。
ぱっと目を引くのは、マスタードのバッグ。しかし汚れが目立ちにくくてシンプルな黒も捨てがたい。
薬子が必死な目つきで商品を見ていたからか、急ぎ足で店員が近寄ってきた。
「こちらのメーカーがお好きなんですか?」
「ええ、前に使ってたんです。でもどこの店にもなくて。このバッグ、そんなに珍しいものでしたっけ?」
「販売元とちゃんと契約した店じゃないと、売れないんですよ。この街だと、うちだけじゃないですかね。隣の県には大きな公式ショップがあるみたいですけど」
それで見つからなかったのか、と薬子は苦笑いする。
「ややこしいことするんですね。意味があるんですか?」
「偽物の防止じゃないですか。このブランド、人気があって今は海外からも買いに来る人がいるみたいなので」
特に日本限定色はそういう人たちに人気が高く、確実に偽物を防止するためにそうしているのだろうと店員は言った。超高級ブランドでなくても、悪いことを考える人間はいるのだ。
「ブランドを作り上げるのって、色々大変なんですね」
薬子が言うと、店員はうなずいた。
許可をもらって、薬子はリュックを次々背負ってみた。やはり目当てのメーカーは背負い紐がしっかりしていて、安定感がある。
これなら多少荷物があっても、どこでも行けそうだ。薄いナイロンのようなコーティングがかかっているから、多少の水ならはじくと店員が言う。
「なので、雨の日のお出かけでも安心ですよ。本当の土砂降りはさすがにダメですけどね」
「この黄色をください」
迷った末に、薬子はとうとう決めた。店員がバックヤードを見に行き、申し訳なさそうな顔をして戻ってくる。
「実は在庫がなくて……展示品になりますが、よろしいですか?」
薬子は一瞬迷った。
「中やファスナーに問題ないか、試してからでもいいですか?」
生地に破れはなかったが、ファスナーが途中でなにかにひっかかったように動かない。店員が首をかしげた。
「おかしいな、普通こんなことはないんですが……」
何度やってみても一緒だった。大雑把な薬子でも、大事なところが開けっ放しになってしまうのは困る。
「すみません、今回はやめておきます」
やっぱり慎重になってみて良かった。急いで買って、返品してもらえなかったら目も当てられない。一番気に入った色が品切れになってしまったため、薬子は結局何も買わずに店を出る。
「うーん、あれが一番良かったんだけどな……」
薬子は手ぶらで歩く。ただ、隣の県に公式店があると知れたのはよかった。ここに来なければ、決して得られなかった情報だ。
薬子は悩んだが、一度本店に足を運んでみることにした。大きな駅からさらに地下鉄を乗り継いで数駅、その駅の出口のすぐ側に店があった。硝子張りの立派な店で、足を踏み入れると想像以上に広かった。
薬子が入ると、店員が近付いてくる。
「リュックでお探しですか?」
「はい。こちらのメーカーの物を使っていたんですが、寿命が来てしまったみたいで」
「今よく出ているのは、秋冬向けのシックな色ですね。あとは、発売されたばかりの新型でしょうか。どちらも在庫がございますよ」
新型はベージュと明るいピンクのバイカラーで、女性に人気がありそうなデザインだった。ただ、薬子の年齢からすると、ちょっとかわいすぎてそぐわない気がする。
薬子は秋色のバッグを見せてもらうが、ここでもマスタードのバッグは売り切れだった。残念だが諦めるしか無い。あったのはカーキとボルドー、どちらも発色は綺麗だった。
薬子が悩んでいると、店員はカウンターの中へ戻ってしまった。やけにおっとりした態度だが、今はそれがありがたい。薬子は一旦手に持って比べて、次に少し離れた場所から見てみた。
薬子は十分くらい悩んで、とうとうボルドーを買うことに決めた。
「色々見せてもらって、ありがとうございます」
「なかなか他の店では全色揃わないですからね。ネットショップにはないものもありますし。お好きな色があって、良かったです」
他に店があるのは関東だけだそうで、その点でも薬子は運がよかった。
「それに、もうしばらくしたら全商品値上げしちゃうんですよ。すでに材料費は高騰していたんで、仕方ないんですけど」
「そうなんですか。じゃあ、ちょうど良かったんですね」
最初は不運だったが、結果的には良かったのだ。
薬子は駅のベンチに腰を下ろす。買ったバッグの袋を胸に抱えた。
わざわざ離れたところまで来て良かった、と薬子は思った。このバッグも穴が開くまでたくさん使いたい。一緒に色々なところに行きたい。これからのことを考えると、薬子の胸は踊った。
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