八章 巡行神

8-1

 幼女がいそうな場所を、次々にまわる。もう既に、椿が家にいない生活など、考えられなかった。もはや、俺の生活の一部を、彼女は担っていたのだ。そんな当たり前のことを、椿がいないことで痛感し、実感する。近くの児童公園。幼稚園や保育園。小学校や小さな神社。完全なる不審者だが、「子供を探しています」と言えば、一緒に探してくれる人もいたし、警察に通報しようとする人もいた。幼稚園の散歩コースや、小学生の通学路も調べたが、不審がられるだけで、椿の姿はない。一縷の望みを託し、大家さんの家に向かう。この時にはもう昼間近くなっていた。


 インターホンを押すと、牡丹が出た。俺が息を切らしたまま、親戚の子供がいなくなったと言うと、すぐに大家さんの家にあげてもらえた。


「ここに、小さな女の子が来てないか?」


 俺が牡丹に詰め寄ると、牡丹は首を振る。そして、恐る恐る、といった具合に口を開いた。


「来ていないと思います。あの、その女の子って、以前の……?」


 牡丹は椿が消えかかった時、俺のアパートまで来て、俺を助けてくれた。その時、見えない「親戚の女の子」の存在を、牡丹は信じてくれた。俺は首を縦に振って、勢い余ってつかんでいた牡丹の両腕を放した。そこに、わずかにフローリングがきしむ音が聞こえてきた。まさか、と思ったが、そこにいたのは車椅子を自分で回す大家さんだった。すかさず、大家さんに牡丹が駆けつけ、車椅子を押す。


「二人とも、怖い顔してどうしたの?」

 

 大家さんは俺の顔を見上げてから、牡丹に説明を求めた。牡丹は正直に話していいものかと逡巡したようで、言葉に詰まった。それはそうだろう。目に見えない幼女が行方不明になったなどという話は、誰も信じてくれない。牡丹だって、あの時に鈴の音がしなければ、椿の存在を信じてはくれなかっただろう。


「大家さん、確認したいことがあります」


『え?』


 牡丹と大家さんの声が重なった。大家さんは疑問を呈し、牡丹は訝しんだの声だったが、大家さんは笑顔になり、客間に通してくれた。俺は正座したまま、厳しい顔のまま大家さんに向き直った。ここは俺が腹をくくるしかない。


「大家さんは、座敷童のことを信じていますよね?」


 大家さんと牡丹の目が、大きく見開かれる。牡丹は不安げに、大家さんを見た。


「俺、実習で大家さんから聞いた座敷童の伝承以外にも、違った伝承を聞いたんです。大家さんの座敷童の話しにも、続きがあったんじゃないですか?」


 大家さんの座敷童の話しは、座敷童がいなくなった庄屋が滅んで終わっている。ただの口頭伝承や、昔話ならそれでいい。神様を大事にしないと滅ぶという、教訓で結ばれているところも納得できる。しかし、大家さんが、あえて続きを語らなかったとすればどうだろう。座敷童も庄屋も、全て消えてしまったというエンディングが、違っていたら? そう考えてはどうだろう。それに、何故俺にそんな話を聞かせたのかという疑問もある。それは、もしかしたら、俺の部屋に神棚があることと繋がっているのではないか。そして、神棚に繋がっているとしたら、椿に繋がっているのではないか。俺は膝の上の両拳を固く握りしめて、大家さんを見据える。大家さんも俺を無表情で見つめ返していた。


「庄屋さんは、大家さんのご先祖様ですよね?」


 庄屋とは江戸時代に、領主が村民の名望家中から命じて、郡代・代官に属させ、村の納税、その他の事務を統括させた村落の長の事を言う。つまり、村長だ。牡丹は怒りの表情をあらわにし、俺をにらみつけた。


「黙って聞いていれば、ぬけぬけと。いくら樹様でも侮辱という——」


 牡丹が片膝を立てて立ち上がろうとしたのを、大家さんが片手を上げて制した。


「奥様?」

「牡丹ちゃん、ちょっとだけ、樹さんと二人きりで話したいの」


 穏やかな声だったが、いつもの大家さんにはない、有無を言わせぬ声音だった。


「しかし……」

「お願い」


 大家さんに気圧されるように、牡丹は一度目を伏せてから立ち上がった。


「何かあれば、すぐに言って下さい。それでは、失礼しました」

「ありがとう」


 牡丹は薄く笑んで、一礼したから部屋を出て行った。大家さんは牡丹を見送ると、俺に向き合って口を開いた。


「もし、私が言い伝えの庄屋の血筋だったら、どうなるの?」

「話を進める前に、もう一つ確認したいことがあります」


 さすがの大家さんも、あきれたようにため息をこぼした。


「今度は何かしら?」

「御子息様のことです。牡丹は俺に初めて会った時に、こう言ったんです」


 俺の言葉に反応するように、大家さんの顔があおざめた。そして体が小刻みに震えているように見えた。


◆ ◆ ◆


「ちょうどお客様と同じくらいの御子息様が、一人いらっしゃいます。ただ、東京に出てから、連絡はありません。差し出がましいようですが、奥様の話し相手になっていただけないでしょうか?」


「今は奥様お一人です。旦那様は私が雇われた頃に、亡くなっていると伺っております。だから、きっと御寂しいのだと思います。奥様はきっとお客様に、御子息様を重ねていらっしゃるのだと思います」


◆ ◆ ◆


「この言葉を聞いた後、考えてみればおかしいと思ったんです。だって、大家さんの御子息様だったら、俺よりも年上なはずです。それなのに、俺に御子息を重ねると言うことは、年頃ではなく、俺の背丈や名前が同じだったんじゃないですか?」


 大家さんは手で口元を覆って、呻いた。それから天井を仰いで、深呼吸をした。俺は咄嗟に謝っていた。こんなところで、大家さんを責めるつもりはなかった。誰も責められるわけがない。責めを負うなら、俺一人だけだ。


「すみません。牡丹を呼んできます」

「いいのよ。ちょと、驚いただけだから」


 大家さんは俺が立ち上がるのを制したが、明らかに驚いただけではないようだ。それでも大家さんは何度目かの深呼吸の後、俺に向き直った。普段は落ち着いていて上品な女性だが、今日は芯が強く凛としているという印象を受ける。大家さんは穏やかに、ふふっ、と声を立てて笑った。


「貴方、何でもお見通しなのね。探偵さんみたい。そうね。貴方の歳では孫くらいだものね。そうよ。私の一人息子は拓馬。同じ読み方だけど字が違うわね。それで、座敷童がどうしたのかしら?」


「信じてくれるんですか?」


「仮にいたとして、よ」


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