五章 貧乏神と災厄神

5-1

 大学の夏休みは長い。二か月もある。ただし、その二か月の間に集中講義なるものが設定されている。集中講義は、その名の通り、短期集中型の講義である。約一週間の間に、同じ講義を受け、テストやレポートによって単位を取得する。中には集中講義でしか取得できない単位もあるため、気が抜けない。今回は俺に関係する集中講義は、なかった。しかし、冬には集中講義で八巡神社の古文書調査に参加する予定なので、冬の集中講義は取得する必要がありそうだ。


 現在の俺の大学生活は、順調と言えば順調だ。柳と一緒にいることが多いため、何故か付き合ってもいないのに、学生たちから「公認の仲」となっている。残念というか、とても複雑だ。俺を軽く見て、柳に告白し、付き合っていた男子学生もいたが、それらの学生たちはもれなく金欠となり、バイトを理由に柳から離れていった。聞くところによれば、柳の彼氏たちはバイトをいくつも掛け持ちしていく定めにあり、かつそのアルバイト先でもへまを連発し、アルバイト先から解雇される憂き目に遭っているらしい。まさか自分が付き合っているのが貧乏神であるとは知らず、授業料が払えなくなって大学そのものを辞める学生もいたという。俺としては、超共感していた。思い返せば杏との付き合いもそうだったと懐かしむ。柳と付き合う男子学生の姿は、高校生の時の俺の姿と重なっていた。せっかく出来た愛らしい彼女。しかも俺には不釣り合いとしか思えない彼女だった。そんな彼女と手を握ることも、デートの一回も出来ずに別れると言う最悪の結果。そんな経験をした俺は、柳の彼氏たちの胸の内が、分かりすぎるくらい分かった。それは俺が胸の痛みを覚えるほどだった。その一方で、俺は別の問題を抱えていた。言わずもがな、椿である。何故か俺はいつも部屋に帰ると、椿の着替えている場面に遭遇してしまっている。その度に金縛りと説教だ。体が全身筋肉痛で、よくいたるところが攣ってしまい、難儀している。そんな俺はマリア先輩のチューターをしながら大学に通い、清貧生活を送っていた。けして極貧ではない。あくまで清貧生活得ある。


 夏休みでも、大学というところは活気があふれている。サークルは夏休みの方が本番と言うところも多い。長い休みを利用して遠征に繰り出すというわけだ。遠征といっても、真面目な試合や合宿がある一方で、遠征と名のつくただの旅行の場合もある。俺たちはどうだろうと思っていたら、部室に見覚えのない張り紙があった。


「全国大学ビブリオバトル大会?」


 俺が読み上げると、それに反応したかの如くドアが開いた。こんなに勢いよくドアを全開にするのは、きまって梅野先輩だ。しかも、いつもよりテンション増し増しだ。


「見たか、青年! われらも参加するぞ!」


 何か、いつもよりキャラが仕上がっている梅野先輩を無視して、俺はポスターを見る。そこに柳が合流し、「何の騒ぎですか?」と梅野先輩を訝しがっている。スカートから出る柳の生足に、季節以外の何かを感じてしまう。気を取り直して、ビブリオバトルとは何かをポスターから読み取る。一つの大学から一チームとして出場し、推薦したい本を紹介するらしい。ただの本の紹介が、何故バトルなのか不明のまま、俺は梅野先輩と柳に向き直る。こういう大会は予選があるものだと思う。体育会系で言う地区予選的なものだ。しかしポスターはどこからどう見ても、予選をすでに勝ち抜いた大学向けのようだ。場所は何と俺の地元ではないか。小さな頃から慣れ親しんだ文化施設の、小さなホールで行われるとある。日程は夏休み期間内。ということは。


「全員で戦に出陣だ!」


 そうなるわけだよな。全員と言っても、このサークルに在籍しているのは、この三人だけなのだが、今は言わないでおこう。


「あの、予選とかは?」

「地区予選なら、私がすでに勝ち抜いている」


『え?』


 俺と柳の声が重なった。どうやら俺も柳も、全く予選のことを知らなかったようだ。確かに最近、梅野先輩の姿を大学内で見なかったし、部室にも引きこもっていなかった。しかしそれは、アルバイトで忙しいのだと思っていた。もしかしたら、俺と柳がしり込みするのを見越して、梅野先輩一人で地区予選に出ていたのかもしれない。要するに、梅野先輩は俺と柳の不参加を、許す気が全くないのだ。俺は頭を抱えた。全国大会は三日後とある。三日後にアパートから俺の地元に行き、大会に参加して、アパートに戻る。飛行機を使っても、アパートを一日か二日は留守にすることになる。その間、椿はどうするのか。絶対に怒って、金縛りにする。もしくは駄々をこねる。それを想像するだけで、果てしなく気が重い。そんなことはつゆ知らず、柳は呑気に笑いながら話を進める。


「何の本を紹介するんですか?」


梅野先輩は「ああ」と言って、自分の肩掛けバッグを漁って、一冊の文庫本を取り出す。文庫本には『夏子の冒険』と題され、その下には「三島由紀夫」の筆者名がある。柳は歓喜の声を上げ、文庫本に飛びついた。しかしポスターに載っている本の写真は、皆今はやりの切ない系のものばかりだった。まさか、流行を無視して、三島由紀夫で勝負するつもりなのか。まあ、ビブリオバトルが何なのか、いまいちピンときていない俺に、どうこう言う権限はない。しかし、梅野先輩のしたたかさや計算高さを見せられた気がする。多くの参加者が、切ない系の本を紹介する中、昭和の純文学を紹介するのだ。目立たないわけがない。そして俺の主観だが、昭和の銃文学を崇高なものとする人が多い気もする。つまり、題名を並べただけで、梅野先輩にはアドバンテージがあるのだ。俺の顔を見ていた梅野先輩は、人差し指を立てて、「ちっ、ちっ、ちっ」と言いながら人差し指を左右に振った。メトロノームみたいに。

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