第18話 『ローレライ』 しかしそれはウソつきの始まりでした……

「だいぶ降ってきちまったなぁ……困った。予定がめちゃくちゃだ」


「なんか、ごめんね」


 えへへ、とアセナが愛想笑いを作ってくる。


 ちらりと隣にたたずむアセナに目をやる。


 濡れたブラウス一枚から透けて見える下着。かき上げる髪をと腕の間からうなじが見えて、行き場を失った俺の目は雨空に収まる。


「い、いや、アセナが謝ることなんもないだろ?」


「うん……そうなんだけどね」アセナは愛想笑いを止めない。「予報士なのに雨が近づいているのに気づかなくて」


 ん? それって――その気づきを得るまでに俺は少し時間がかかった。


「……それって楽しんでくれたってこと?」


 こくりとうなずくのが分かった。力なくアセナが袖をつかんできて心臓が跳ね上がる。

 こんなことをされたのは初めてで、頭の中は大混乱。


 ――これはもう告白するチャンスだろ! 行け!


 ――待て! 勘違いで告白して断られたら大惨事だろ。


 そんな感じで理性と本能が激しい戦いを繰り広げていたその時――。


 目の前で鋭いブレーキ音と共に軍用車が急停止する。


 その耳障りな音にぞっとして身が震えた。


 いや違うな。その車から漂ってくる不穏な空気に嫌な予感がしたんだ。


「フロストドラゴンの紋章? 帝国軍がなん――」


「すぐにここから離れよう! エルくん!」


 ああ、と生返事で、アセナに袖を引かれ後ろ脚を引いた瞬間――。




「動くな」


 凛とした声と露骨な殺気に振り向いた俺の喉元に冷たい刃を付き当てられた。


 向けられた刃を見る。三又の矛、トライデントが首と紙一重のところで止まっている。


 半歩でも踏み込んでいたら首がはねられていた。それがこの目の前にいる軍人から最後通告だと瞬時に理解したよ。


「探しましたよ。先輩――」


「……フェディエンカ、どうして――」


 アセナにフェディなんとかと呼ばれた軍人は、軍帽の下から中性的な優顔に似合わず冷たい目をしていた。


 長く薄い紫髪をしているが、体つきは曲線も強健さもなく、性別がはっきり分からない。

 背後で車のドアが開き、何者かが降りてくる。


 後ろをゆっくりと振り返るように指示され、言われた通り身体の向きを変えた。


 一人の男が秘書に傘を差され近づいてくる。


 顎髭を貯えた中年の男。その体格は大柄で堅牢そのもの。俺はその人物を知っていた。


 写真や自画像で見たことがあり、新聞で何度も紙面を飾っていたからだ。


 なぜこの人がここにいるんだって思ったよ。だってこの要人は――。


「【冷血宰相さいしょう】、ミハイル=クローディアス……閣下」


「ほう、君のような若者に名前を覚えて貰えているとは光栄だな」


 ガルヴィーラ帝国、帝国の首相。皇帝から任命され国政を担当する一大臣。


 だけどその権限は大きく、人並み外れた政治手腕と強行ともいえる計画実行力の高さから《冷血宰相》という二つ名で呼ばれていた。


 横を通り過ぎていくクローディアス、すっと腕が伸びた次の瞬間――。


「がっ……あ……!」


 胸倉をつかまれたアセナの足が中に浮く。


 動けなかった。反応できなかった。圧倒的な威圧感、身のこなし、まとうもの全てが俺の感覚を鈍らせる。


「もう男をたぶらかしたか? さすがは私が作っただけのことはある。しかも【守護契約士】をとはな?」


「てめぇその手を放し――がっ!」


「え、エル……くん……!」


「動くなと言っただろ? これが最後の警告だ。一歩でも動けばお前の首をはねる」


 乱暴に地面へと組伏せられた俺の首に槍先が当てられる。う、動けない……こ、こいつ!


「なんでアンタがここに!? いったい何しに来た!?」


「ボクらは先輩を回収しにきただけだ。刑の執行前、判決の翌日に逃げだした彼女をね」


「刑……だと?」


 どういうことだよ!?


 それじゃまるでアセナが罪人って言っているみてぇじゃねぇか!


「いかにも。こやつは国家反逆罪、反逆者を逃がした罪で勾留されていた。さらに……」


 まるで地を歩く虫けらを見る目で俺を見る。


「たった今、敵国への情報漏洩が発覚した――これは重罪だ」


 その強圧的な物言いが、死刑宣告のように俺は聞こえた。


「探すのに苦労したぞ? しかしトロイラスから話を聞いた時は驚いた」


「ト、ロイラス……まさか! あの人をどうしたんですか!?」


 軍用車の後ろに付いていた護送車を見て、クローディアスは鼻を鳴らす。


「やつなら眠っているよ。あそこでな」


 いったいどういうことだよ? なんで大佐が捕まっていんだ?


 しかも大佐を捕縛するためにわざわざ足を運んできたと、口ぶりは恩着せがましい。


「にしても、まさか【嘘を読み解く者ロード・オブ・ライ】で【ローレライ】とはな? 言葉遊びにしては安直ではないか?」


「……ロードオブライ?」


 事情が読み込めてない俺に、鼻で笑ったかと思えば、急に高笑いを放つ。


「これは傑作だ。まさか知らないで一緒にいたのか?」


 まさか本当だったのかよ。もちろん冗談とは思っていなかった。


 でも思い当たる節はいくつもあった。なんなら最初に出会った時だって。


「なら教えてやろう。こいつは――」


「やめて!」

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