第九七編 やっぱり分からない

「(小野おのはたぶん、桃華ももかの恋を叶えようとしてる)」


 放課のチャイムが鳴り響くころ、一日中のことを考えていたやよいは、そう結論づけていた。

 ホームルーム直後、まだ帰宅準備の整っていない他の生徒たちを置き去りにするかのごとく一年二組の教室を出た少女は、縦に背負った学生鞄を揺らしながら部室棟までの廊下を歩く。


「(妄想にしたって馬鹿げてる……けど、間違いない。少なくとも、小野アイツが桃華の恋愛に関与してるってことは)」


 そうでもなければ偶然が過ぎる。桃華の恋は、演劇部じぶんたちの脚本などよりもよほど都合良く進んでいるのだから。万が一すべて偶然の産物だとすれば、彼女は恋愛の神から寵愛ちょうあいでも受けているのだろう。


「(…………)」


 無言のまま渡り廊下を突き進む。

 もちろん、やよいとて信じがたい。桃華の恋が順調に進んでいる要因が悠真ゆうまの暗躍にあるとして、ではその少年の目的はなんだ? 桃華本人はもちろんのこと、第三者であるやよいにすら気付かれないほど慎重に、かげに隠れるかのように行動し続けてきた理由は?

 彼自身にとっての利益メリットはなんだ?


『――アンタさ……子どもの頃、桃華のこと好きだったでしょ』

『――……まあ、そんな時期もあったかもな』


「……理由なんて、ないのかもね」


 いて言うなら、こそが「理由」なのだろう。

 桃華に対する好意を否定も肯定もしなかった彼は、きっと――


「あ」

「?」


 靴をき替えようと一年生の下駄箱までやって来たやよいは、自分よりも早くそこにいた人物を見て思わず全身を強張こわばらせた。


「(七海ななみ未来みく……!)」


 あらゆる意味で「学園一」を冠する美しい少女は、やよいが発した単音に視線だけをこちらへ向けた。しかしそれもほんの一瞬のことであり、一秒とたぬうちに関心がせたのか、彼女はさっさとやよいに背を向けようとする。


「ま……待ちなよ、七海さん」


 柄にもなく喉を詰まらせながら、やよいは未来に呼び掛けた。基本的に恐れ知らずのやよいだが、この令嬢ばかりは例外だ。同性であっても目を奪われるほどの美貌も、他人こちらに一切の感情や興味を示さない様子も。同学年であっても確かに存在する圧倒的な格差の前には、「悪魔ギャル」とて無力な少女でしかなかった。

 それでもどうにか声を掛けたのは、彼女しか知り得ぬ問いの解答こたえを知りたかったからだ。


「――――」


 しかし、やはりと言うべきか、未来がやよいの声に応じることはなかった。自分の名を呼ぶ雑音ノイズを無視し、うるわしの令嬢は校舎の外へ足を向けようとする。


「どうして、小野に手を貸そうと思ったの?」

「――……」


 ぴたり、と未来の足が止まった。代わりに少女はこちらを振り返る。それは、彼女が初めて「金山やよい」という個体を認識した瞬間だったのかもしれない。


「どうしてアイツに――鹿に、力を貸そうと思ったの?」


 そんなお嬢様に対し、やよいは敢然かんぜんカマをかけた。「小野悠真は桐山桃華の恋を叶えようとしている」という確信をより強固なものとするべく。大胆不敵にも、七海未来の口から情報を引き出そうと考えたのだ。


 しかし。


「――気に入らないわね」


 何者よりも聡明な少女は静かに返した。その黒瞳こくどうに見つめられたやよいは、ヘビに睨まれたカエルのようにグッ、と全身を硬くする。


七海未来わたしを利用しようとするその根性は大したものだけれど、知りたいことがあるのなら素直にそうたずねるべきだわ。無闇むやみに駆け引きを仕掛けられても、ただ不快なだけよ」

「ご……ごめん」


 真正面からの指摘に、なにも言い返すことができない。希少な機会をいっしてしまったかと内心顔をしかめるやよいに、未来は今度こそ背中を向け、そして言った。


「――彼の愚行に力を貸した覚えはないわ」

「……え?」


 小さくとも透き通ったその呟きに、やよいは下げかけていた頭を上げる。


「彼の気持ちを理解出来るわけでも、肯定しているわけでもない。私はただ対価を支払っているだけ。私たちは、互いを利用し合うだけの関係だもの」

「互いを、利用し合うだけ……」


 どこか冷たい響き。だが、それこそがこの二人の本質なのかもしれない。悠真のほうも未来との関係を「バイトみたいなもん」だと言っていた。悠真の言う「ボディーガード」の対価として未来が彼の目的に力添えをしているというなら、なるほど、それはたしかに互いを利用し合うだけの関係だろう。

 理解が及んでいるわけでも、利害が一致しているわけでもない。各々にまったく違う思惑があって、そばにいるだけなのかもしれない。


「ふんふんふーん……ゲッ!?」

「あ?」

「――――」


 その時、下駄箱前で話す二人の少女の後方から、くだんの少年・小野悠真がやって来た。機嫌良さげに鼻歌を口遊くちずさんでいた彼は、対峙する二人を見るなり露骨な渋面じゅうめんを作る。


「『なんと あくまギャル と しょうわるおじょう が あらわれた!』」

「毎回それすんのやめろ」

「誰が『性悪お嬢』なのかしら」


 揃ってツッコミを入れるやよいと未来に、悠真は敵を警戒するけもののように距離をけつつ自分の下足箱へ向かう。


「お前らなあ……単品でもややこしいのに、あろうことかセットで登場するんじゃねえよ。どこの世界にラスボスが二体同時に出現するRPGがあるんだ。定石セオリーガン無視すんな。表ボスは魔王城、裏ボスは地底の古代遺跡に封印されてろ」

「なにを言っているのか分からないけれど、貴方が馬鹿なことだけは分かるわ」

「セットで登場するなら、せめてカラーリングは対称的にしてこい。そんで片方は物理攻撃、もう片方は魔法攻撃が弱点にしてこい」

「たしかに定石セオリーっぽいけども」

「じゃあな。俺、今日は急ぐからボス戦やってる暇はねえんだ。せっかく出現してもらったとこ悪いけど、逃走させてもらうぜ」

「ボス戦からは逃げられないのも定石セオリーでしょ」


 RPGあるあるを口走りながらさっさと靴をき替え、そそくさと立ち去ろうとする悠真。そんな彼を見て、未来が無表情な疑問符を浮かべた。


「貴方、『今日はアルバイトは休み』だと言っていなかった? なにをそんなに急いでいるのよ」

「アホか、バイトが休みだから急ぐんだよ。早く家に帰ってダラダラするために」

「その目的のために急いでいるのは本末転倒ではないかしら」

「早くしないと『ウタちゃんねる』をる時間がなくなるだろうが。今日は生放送の予定もあるみたいだし、一人のファンとして見逃せねえんだよ」

「昼休みに暇潰しで観ていた動画の話? 今日視聴し始めたばかりでファンを名乗るのはどうかと思うけれど」

「だってこの子、俺たちより年下っぽいのにもう登録者数一〇万人だぞ? まさしくスターの卵……いや、スターそのものだ!」

「数時間前まで『暇だし観てやるか』なんて言っていた人と同一人物とは思えないわね」

「七海、お前もウタちゃん推しにならないか?」

「ならない。貴方こそつまらないものばかり観ていないで、本の一冊でも読むべきではないかしら」

「はんっ、それこそくだらねえよ。お前が持ってるような小難しい本なんか読んだら逆に馬鹿になっちまうよ」

「益体もない動画ばかり観ている時点で既に目も頭も悪いでしょう、貴方は」

「言い過ぎだろ!」


「(やっぱり普通に仲良くないか、この二人……?)」


 いつかと同じ感想を抱きつつ、ギャイギャイと言い合いながら校舎を出ていく二人の姿を一人見送る。

 彼らの関係について少しは解明出来たように見えて、その実やっぱりよく分からないやよいだった。

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