第九六編 確信



 それは一ヶ月前の出来事だった。


「はっ? 『久世くせくんと二人きりでレストランに行って、帰りはイルミネーションを見に行った』?」

「う、うん」


 激動のクリスマス・イヴが終わった翌々日。聖夜の成果報告を受けるために桃華ももかの部屋を訪れたやよいは、驚きの結果を聞いて目を丸くしていた。


「……え、マジで言ってんの?」

「ま、マジだよ?」

「ってことはアンタ、久世くんと二人きりでクリスマスデートしてきたってこと?」

「で、『デート』って呼んでいいのかは分からないけど……はい」

「あのヘタレ桃華が、好きな人とデート……? ……え、マジで言ってんの?」

「だからマジだってば!? なんでそんなに疑うのさ!? あと『ヘタレ桃華』ってどういうこと!?」


 何度も確認をとるギャル幼馴染みに、桃華が心外そうにツッコミをれた。一方、小さなテーブルをへだてて対面するやよいは「マジか……」ともう一度口の中で呟きをころがす。

 無論、彼女が嘘をつけるような人間でないことくらい承知している。しかし、恋愛ごとにおいて奥手もいいところなこの少女が意中の相手とデートしてきただなんて、なかなか飲み込める話ではない。ましてや、男女にとって特別な意味を持つあの夜に。


 当日は『せっかくクリスマスに一緒に出掛けるんだからキスなり手繋ぐなりくらいはしてこい』などと無茶振りメッセージを送りつけていたやよいも、内心そこまでの高望みはしていなかった。競争率が凄まじく高い久世真太郎しんたろうとクリスマスを一緒に過ごせるだけで十分。彼の予定スケジュールを独占出来た時点で及第点だったと言えよう。

 よもやそんなやよいの思考を飛び越えてくるとは、いったい誰が予想出来ただろうか。


「そもそもアンタ、たしかバイト仲間三人でご飯を食べに行くとか言ってなかったっけ?」


 桃華、真太郎、そしてやよいの一応幼馴染である少年・小野おの悠真ゆうま。桃華が真太郎と食事の約束を取り付けられたのも、元を正せば悠真が「飯でも食いに行こう」と言い出したからという話だったはずだ。


「あ、うん。その予定だったんだけど……実は悠真、昨日の仕事が終わったあとに急に具合が悪くなっちゃったみたいで」

「『急に』……?」


 ピクッ、と片眉を動かしたやよいに気付かず、桃華は頷いて続ける。


「仕事中はいつもとなにも変わらない感じだったからびっくりしちゃった。二五日きのうもバイトを休んじゃってたし、心配だからお見舞いに行ってきたよ。店長さんも、『小野っちは仕事をサボることはよくあるけど休むのは初めてだ』って言ってたし」

「……ふーん」


 ――あまりにもタイミングが。口や表情には出さないまま、やよいは思考する。

 桃華の話がすべて事実だとすれば、二四日の夜に悠真が体調不良になったのも偶然ということになる。だが、これは本当に偶然だろうか? 桃華と真太郎の二人と食事の予定を組んだ男が、当日になっていきなり来られなくなるなど。


「(いや、でも次の日の仕事も休んでるくらいだし……流石にただの偶然か)」


 彼らが勤務する喫茶店〝甘色あまいろ〟は、クリスマス前後に多忙を極めると聞いている。悠真が体調を崩したというのも、そのあまりの忙しさに目を回してしまったという線が有力だろう。


「(もしくは二五日のバイトをサボるために嘘をついた、とかね。うん、そっちのほうが全然ありる。少なくとも――)」



 ――小野アイツが桃華のために自分を間引まびいた、なんて馬鹿げた考えよりは。



「やよいちゃん? どうかしたの?」

「……ん、なんでもないよ」


 かぶりを振ったやよいは、「というか」と話を変えにかかる。


「小野が体調崩したって知ってて、それでも久世くんと二人でレストランとかイルミネーションとか行っちゃうって、アンタ意外と容赦ないよね。小野アイツの心配よりも恋愛優先とか」

「だ、だって悠真が体調不良そうだって知ったの、次の日になってからだったんだもん!?」

「? なんでよ、アンタたちと一緒にレストランに行かなかった時点で小野アイツ、具合悪かったんでしょ?」

「ううん。実は私たちの仕事が終わってすぐくらいに七海ななみさんがお店に来たんだよ」

「七海さんが……?」

「私もよく分からないんだけど、元々悠真は七海さんと約束をしてたみたいで……それで『先に行っててくれ』って言われたから、久世くんと二人でレストランに向かうことになったんだ。結局そのあと、悠真から『行けなくなった』って連絡が来て……」

「(仕事が終わってすぐくらいに七海さんが来た……?)」


 そんな狙い澄ましたかのようなタイミングで? 他人ひと嫌いで有名なあの令嬢が、人で溢れ返る聖夜の喫茶店に?


「(『約束をしてた』……ってことは、七海さんがそのタイミングで店に現れたのは――)」


 予定調和。

 そんな単語が、やよいの脳裏を駆け抜けた。


 七海未来みく。孤高で知られるあの少女が悠真とつるみ始めたのは、ここ数ヶ月のことだったはずだ。少なくとも夏休み以前……いや、九月末にあった文化祭以前まで、あの二人の間に接点があるなどという話は聞いたこともなかった。


 そう、文化祭――桃華が初恋に落ちる前までは。


「(七海さんはあの喫茶店の常連客らしいけど……その程度の繋がりで、小野なんかをそばに置くとは思えない)」


 なにか、特別な事情でもない限りは。


『――別に、「どう」ってほどの関係じゃねえよ。ただの友だちだ』


「(小野が『友だち』って言ったことを、七海さんは否定も肯定もしなかった)」


 いつかと同じ思考を繰り返す。

 当時から漠然とした違和感はたしかにあった。どうして彼女ほどの人物がわざわざ悠真をそばに置くのかと疑問に思い、なにか裏が――「秘密」があると感じていた。

 それでも未来が悠真を選ぶ理由が分からなくて……しかし今、その前提がくつがえった。


「(七海さんが小野を選んだんじゃない――)」


 真太郎の幼馴染でもある彼女を。

 桃華が、真太郎に恋心をいだいたから。

 だから選んだ。協力者として。



 桃華の恋を叶えるための、協力者として。



 突拍子もない考えだ。やよいは自分でそう思う。

 だが、だと仮定すればすべての違和感が綺麗に払拭される。


 奥手なはずの桃華の恋が不自然なほど順調に進んでいることも。

 真太郎が〝甘色あまいろ〟の新人アルバイト候補として、ほとんど接点のない桃華を勧誘しに来たことも。

 真太郎の女性嗜好タイプを桃華に吹き込んだことも。

 桃華が擬似的とはいえ、真太郎とクリスマスデートまで漕ぎ着けたことも。


 すべて彼が裏で糸を引いていたとすれば、辻褄つじつまが合う。

 彼の手が届かない部分を未来が補完していたというなら納得がいく。


「悠真ってばひどいんだよ? 私と久世くんがいっぱいメッセージしたのに、次の日の夜までなんの返事も――……やよいちゃん?」

「……そっか」


 まだ、いくつかの不明点は残っている。

 けれど、もはや「偶然」で片付けられる領域ではない。

 確信を得て静かにうつむくやよいに、なにも知らない少女が小さく首をかしげた。

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