第九〇編 あの子の話

 木曜日の昼休み。妙に緊迫した空気が屋上に流れるなか、俺は目の前のベンチに腰掛けるお嬢様を見上げていた。

 うるわしの少女・七海ななみ未来みく。七海グループ代表トップの令嬢にして、この世の何物よりも美しい彼女は、しばしの瞑目めいもくののち、いつもと変わらぬ無表情で俺のことを見下ろし――そして言った。


「――……五〇点ね」

「かーっ!? またダメだったかあ~っ! 今回の新商品こそはめちゃくちゃ甘そうだと思ったのに!」


 手厳しい採点結果を受け、俺は両手で頭をかかえながら天に向かってえた。

 試験であれば赤点ギリギリの評価を下した七海は、〝苺と生クリームの二層シュー・ア・ラ・クレーム〟と記された包装パッケージを手にしている。それは俺が通学途中、近所のコンビニで買ってきた新発売のシュークリーム。激甘党であらせられるお嬢様への献上けんじょう品である。


「……でも、五〇点はいくらなんでも厳しすぎねえか? 見た目からしてどう考えても激甘だろ、それ」

「いいえ、シュー生地きじも生クリームも、甘さがかなりおさえられているわ。おそらく苺クリームの酸味を活かすためなのでしょうけれど……これと比べれば、昨日のエクレアのほうが余程美味しかったわね」

「あー、アレは六五点だったっけ? そう考えると、去年の暮れに買ってきたスモアアイスってかなり高評価だったんだな。八〇点くらいだったろ」

「八三点よ。そういえばあのアイス、『また買ってくる』と言われたきりだけれど……いつまで待たせるつもりかしら?」

「仕方ねえだろ、いつものコンビニに売ってねえんだから。お前みたいな金持ちは知らないだろうけど、コンビニの商品は次々入れ替わっていくモンなんだよ。そもそもあのアイスは期間限定販売みたいだったし、もしかしたらもう入荷されないかもな」

「……そう。それなら仕方ないわね」

「ああ、残念だけど諦めたほうが――」

「お父様に相談して、あのアイスの製造会社を買収するしかないわ」

「次元を超えた諦めの悪さやめろや!? わ、分かったわかった、そんなに気に入ったんなら別の店でも探してきてやるから!?」


 入荷されないなら作らせればいい、と言わんばかりのお嬢様に慌てつつツッコミをれる俺。流石に本気ではなかったのか、七海は「冗談よ」と言ったが……その気になれば実行することも容易たやすいのだから、笑えない冗談である。


「ったく、七海おまえといいお前の妹といい、金持ちのお嬢様ってのはワガママに育っちまうモンなのかね……やれやれ、嘆かわしい」

「痴漢の貴方に言われたくないわ」

「なっ!? 誰が痴漢だ誰が!?」

昨夜ゆうべ、あの子が貴方のことを言いつけに私の部屋まで乗り込んできたのよ。『お姉ちゃん、いったいあの痴漢野郎にどんな弱みを握られてるの!?』って」

「あ、あのクソガキ……!?」


 かげでもヒトのことを「痴漢野郎」呼ばわりしているらしい女子中学生に顳顬こめかみをピキらせる俺。年上のお兄さんを相手になんて言い草だ、あのガキンチョ。


「つーか、『七海おまえの妹』って部分が衝撃的すぎて詳しく聞けてなかったけど……あの子って、久世のことが好きなんだよな?」

「ええ、そうね」

「ってことは、えーっと……その」

「?」


 一瞬、聞いていいものかと躊躇ちゅうちょしたが、興味がまさった俺は意を決して問う。


おまえが俺に――桃華ももかの恋を叶えるために協力してるってバレたら、結構マズいんじゃねえのか?」


 だって、それは「じぶん恋敵こいがたきに助力する姉」という構図だ。あの中学生の過激な性格も踏まえて考えると、かなり面倒な展開が予想される。「もうお姉ちゃんなんて知らないっ!」とか言い出したとしてもなんら違和感がない。

 しかし俺の予想に反し、七海の答えは「否定NO」だった。


「貴方は少し誤解しているようだけれど、美紗はそんな狭量な人間じゃないわよ」

「いや嘘つけ。度量のある人間が『私に対する非礼をびろ』なんて偉そうなこと言わねえだろ」

「それは貴方の第一印象が最悪だったせいでしょう。ああ見えてもあの子は頭が切れるし、最低限の礼節くらいわきまえているわよ。私と違って社交性も高いしね」

「(『私と違って』って自覚はあるんだ)」


 言われてみればあの中学生、久世と話している時に「アメリカへ留学」がどうこう言われていた気がする。姉と同じで頭も良いのか。


「私が貴方に手を貸している現状を良くは思わないでしょうけれど、だからといっていちいち目くじらを立てたりしないわ。そういったもすべて乗り越えて、自分の想いを成し遂げようとするような子だから」

「……ふーん。なんというか……強い子だな、ホント」


 自分がそうじゃなかったからこそ、素直にそう思う。そしてそんな俺の言葉を、七海は首を縦に振って肯定した。


「――そろそろ戻りましょうか。予鈴が鳴るわ」

「おう」


 お嬢様がベンチを立ったのと同時、校内にチャイムの音が響き渡った。無駄に精度が高い体内時計を有する彼女から、食べ終えたシュークリームと飲み物の包装を回収し、コンビニの袋へ放り込んで口を縛る。俺が彼女への献上品を買ってくる際、必ずレジ袋をつけてもらうのはこの時のためだ。地球に優しくないかもしれないが、お嬢様の手をわずらわせるとあとが怖いのだから仕方がない。環境保全エコより自己保全エゴである。


「お前って、意外と授業にはちゃんと出席してるよなあ。始業式とか全校朝礼はサボってるみたいだけど」

「そうね」

「というか、お前くらい賢いヤツがこんなフツーの高校の授業なんて受ける意味あんのか?」

「ないわね。そもそも私が学校に来ている理由は九分九厘、出席日数のためだもの。試験の成績がどれだけ良くても、出席率が基準に満たなければ留年になってしまうから」

「へえ? お前だったら飛び級で大学に行けたりしねえの?」

「日本に飛び級制度なんてないでしょう。外国の大学なら飛び入学を受け入れているところも多いけれど、わざわざそんな目立つ真似をする趣味はないわ。それこそ妹は、飛び級も視野に入れて語学留学に行っているみたいだけれどね」

「マジで? ……あ、もしかして『一年飛び級すれば久世と同じ学年になれる』とか考えてるってこと?」

「そんな馬鹿なことを考えているはずがないでしょう。……たぶん」

「自信はないんじゃん」


 久世を見て限界化していたあの中学生ならやりかねない。

 俺と七海は揃って遠い目をしながら、屋上から校舎へ戻っていった。

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