幕間⑥ 変化

「生まれ持つ」というのは恵まれたことなんだとつくづく思う。

 たとえば頭脳。たとえば身体能力。たとえば家柄。たとえば美貌。それ以外の才能でも性質でも、なんだっていい。なにかを「持って生まれる」というのは、他の何物よりも幸運なことだろう。

 頭が良ければ学校のテストで良い点がとれる。

 身体能力が高ければスポーツ競技で大活躍出来る。

 家が裕福なら美味しいものを食べられるし、綺麗な服を着られる。

 容姿端麗な人は、ただそれだけで生きやすいだろう。


 そう、「生まれ持った人間」は

 だって皆、特別な人間のことをチヤホヤするだろう。頭が良い人は他人に勉強を教えれば感謝される。運動が得意な人は体育祭で人気者になれる。ブランド品を身に着けていれば周囲から一目置かれる。格好良い人・可愛い人はちょっとのミスくらい笑って許される。


「生きやすさ」は「余裕」と言い換えてもいいかもしれない。そして持って生まれた才能が大きければ大きいほど、この「余裕」は増していく。頭が良ければ良いほど、顔が可愛ければ可愛いほど、その人の「余裕」も大きくなる。


 余裕とは心のゆとりを意味する。つまり余裕がある人ほど、他人ひとに優しくなれるということだ。だって切羽詰まった人間は自分のことだけで精一杯で、他人を気遣う余裕などありはしない。

 ……え? 「切羽詰まった状況でも他人に優しくれる人間もいる」って? だから最初に言っただろう、それはその人が「優しさ」という性質を生まれ持っていただけだ。


 他人ひとに優しい人は他人ひとからも優しくされる。そうすれば、それがまたひとつの「余裕」に繋がる。生まれた「余裕」は別の「優しさ」に繋がり――という好循環。人の世には「愛は地球を救う」なんて言葉があるけれど、案外それが真理だったりするのかもしれない。


 …………。


 ……ううん、それは嘘。


 だって、「優しさ」が必ずしも他人ひとの幸福に直結するわけじゃない。

 自分は優しくしたつもりでも、結果として誰かを不幸にしてしまうことは往々にして有り得る。

 もちろん優しく在ろうとする心は否定すべきものではないけれど、「正しく優しく在る」って想像以上に難しい。



『――――きもちわるい』



 お姫様のドレスを着せられたあの子にそう言われるまで、幼いは自分の「優しさ」が正しいと信じていたから。



 ★



 七海ななみ美紗みさは複雑な気分だった。やしきからほど近い高級住宅街を一人で散歩していた少女は、昨日の出来事を思い返してはだらしなくニヤけ、かと思えば直後にはイライラと眉間みけんしわを寄せる。


「(……ああもうっ!? 全部あの男のせいよ! 私はただ真太郎しんたろうさんのエプロン姿を見られればそれで良かったのに、『ストーカー』とか『不審者』とか失礼なことばっかり言ってきて!?)」


 苛立ちに身をゆだね、ぷりぷり怒りながら歩道をく。考えてしまうのは昨日、散々失礼な態度をとってきた高校生のことだ。

 美紗は姉とは違い、普段はわざわざ素顔を隠すような変装はしない。当然、母親譲りの美貌は通りすがりの人々から視線を集めてしまう――のだが、明白あからさまに不機嫌に顔をしかめては、時折想い人の勤務姿を思い出してニヘニヘ笑い、と思ったら次の瞬間またイライラ。一人で百面相を繰り広げる美少女に、周囲の人々は関わるまいとばかりに視線を逸らしていた。


「(なによりも気に食わないのは、あの人がお姉ちゃんの親友だとか名乗ってたことよ! 痴漢予備軍のくせに、身の程知らずにも限度があるわ!)」


 別にあの少年は自ら「七海未来の親友」を名乗っていたわけではないのだが、少年を敵視する少女の脳内では彼が悪者になるように記憶が改変されている。

 既に美紗のなかで彼は「姉の親友を自称しながら妹に痴漢まがいの行為をし、七海美紗じぶんを『変態ストーカー』呼ばわりした挙げ句、七海家につかえる従者たちをそそのして利用した男」になっていた。とんだ極悪人である。


「(昨日は仕方なく見逃してあげたけど、もし次に会った時も態度を改めていなかったら今度こそ許さないわ! ボコボコのギタギタにやっつけて、二度と私にさからえないようにしてやる!)」


 気に入らない相手が必死に許しをうてくる場面シーンを妄想すると、少しだけ溜飲りゅういんが下がった。いくら名家めいかのお嬢様とはいえ、精神の未熟な中学生こどもであることに変わりはない。自分の思い通りにならない展開を飲み込めるほど、少女は大人オトナではなかった。


「――だ~れだっ♪」

「!?」


 不意に背後から伸びてきた手のひらに両目をふさがれ、美紗は反射的にその場から飛び退く。従者から手解てほどきを受けた武術由来の反応速度に、目隠しをしてきた犯人のほうが「お~、ネコみた~い」と感心の声を上げた。


「あはは~、驚かせちゃってごめんね~。久し振りに見る背中だったから、つい~」

「アリっ――……錦野にしきの先輩」

「やっほ~、美紗ちゃん」


 ゆるい態度でひらっと手を挙げたのは、いかにも現代風イマドキのギャル女子高生だった。ふわふわの金髪と濃いめの化粧、程よく着崩された制服。くだんの少年から「姫ギャル」と呼ばれている少女・錦野アリサだ。

 歳は一つしか変わらないはずなのにとてもオトナっぽく見えるギャルの知人は、美紗の頭を優しく撫でながらふにゃりと笑う。


「あはは~、わざわざ言い直さなくていいのに~。昔みたいに『アリサちゃん』って呼んでくれていいんだよ~?」

気安きやすく触らないでください。そんな古い話、もう忘れてしまいましたよ」


 そんなアリサに対し、美紗の態度は刺々しい。とある事情からこの金髪ギャルのことを嫌っている後輩中学生は、綺麗なネイルが施された左手をパシッとそっけなくはたき落とした。


「ええ~っ、忘れちゃったの~? 小学生ついこないだまで、よく一緒に遊んだ仲なのに~……もしかして美紗ちゃん、その年齢トシでもう痴呆ちほうが始まっちゃってる~?」

「…………」


 後輩の失礼な態度など気にもめていないらしいギャルの言葉にイラッ、と後頭部に青筋あおすじを立てる美紗。おそらく本人アリサ的には悪気のない軽口なのだろうが、嫌いな相手から言われてしまえばどうしたって腹が立つ。坊主ぼうず憎けりゃ袈裟けさまで憎い。ふわふわキラキラな垢抜あかぬけた雰囲気も、高校一年生とは思えない発育の胸元も――嫌でもを連想させる金色の髪も。


「私、あなたのこと、嫌いです」

「あは~、そんな真正面から言わないでよ~。いくらボクでも傷付いちゃうって~」


「分かってる」と言いたげなその態度にもう一段、苛立ちのボルテージが上がる。

 昔と変わらない脳天気な性格が、昔とは違う一人称と話し方が、腹立たしくて仕方がない。


「あなたも、瑠璃るりも、あの小野とかいう人も……みんな嫌いです」

「……ん? 『小野』……?」


 女子中学生の口から出たその名前に、金髪ギャルが小首をかしげる。が、美紗はそれに気付くことなく続けた。


「お姉ちゃんを傷付ける人なんて大っ嫌いです。お姉ちゃんから笑顔を奪ったあなたたちのこと、私は絶対に許したりしませんから」


 冷たい敵意。そしてそれ以上話すことも話したいこともない少女は、さっさと歩き去ってしまおうとして――


「美紗ちゃんがたちのことを『許せない』って思うのは当然だと思うけどさ」


 後方うしろから、記憶むかしと同じ一人称と話し方が聞こえた。


「でも、『彼』には期待してもいいんじゃないかな。あの子と関わるようになってから、変わり始めてるよ」


 まるで毎日見守っているかのように言ってから、金髪ギャルは「おっと、今は『七海さん』だった」とお茶目に笑う。


「……『変わり始めてる』? お姉ちゃんはもう、とっくに変わっちゃいましたよ」

「そうだね。でもそれは、もう二度と変われないってことじゃないよ」

「…………。……意味が分かりません」


 まともに取り合わず、美紗は今度こそその場から歩き去った。一人残されたアリサの表情が、悲哀にも見える形に微笑む。


「相変わらず、思い込みが激しいなあ」


 見上げられた夕空は、あの日とは似ても似つかぬ快晴だった。

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