第六〇編 白と黒のX’mas

「こちら期間限定メニューの『ブッシュ・ド・ノエル』と、同じく限定メニューの『白と黒のX’mas』です。ごゆっくりどうぞ」


 新庄しんじょうさんが運んできてくれたクリスマスケーキを早速食べ始めるお嬢様を横目に、俺はぼんやりと物思いにふける。考えることはもちろん、桃華ももかたちのことだ。


「(上手くやれてんのかな、桃華アイツ……いやまあ、いきなり好きな人と二人でデートすることになったら慌てるだろうし、そこまで都合良くいくとは思ってないけど)」


 ほんのり湯気が立っているコーヒーに口をつける……苦い。砂糖を入れていなかったことに気付き、卓上の容器へ手を伸ばそうとしたが、途中で思いとどまった。代わりにもう一口……やっぱり、苦い。

 きっと普段の俺であればなかなか飲み込めなかっただろう。けれど今はなぜか平気だった。飲み込めてしまうーーこの程度の苦味なら。


「…………」


 考える。自分おれは間違っていなかったか、と。

 あの子の恋を叶えるためとはいえ、展開を急ぎすぎたのではないか。心の準備も出来ていないままクリスマスデートをさせられて、桃華は困っているのではないか。緊張のあまり、かえって久世との距離が広がってしまう結果にならないか。

 いっそ今年のクリスマスは自分おれも同伴し、さりげなくあの子の補助フォローをしてあげたほうが良かったかもしれない。そのほうが、あの子本来の魅力を久世に分かってもらえたかもしれない。

 先立つことのない思考を繰り返し、俺はかぶりを振った。


「(馬鹿馬鹿しい……夢見てんじゃねえよ)」


 仮に自分おれがその場に居合わせたとして、いったいどれだけあの子の役に立てるというのか。前回の失敗から、いったいなにを学んだんだ。夢を見るな。自分を過大評価するな。

 俺は単なる端役・脇役にすぎない。舞台の上で華々しい活躍が出来るようなうつわではないんだ。俺の手に負える程度の問題なら、桃華一人でも上手くいく。結果が変わらないなら、脇役おれがしゃしゃり出る必要もない。


 大丈夫だ、上手くいく。

 今ごろあの子は久世と楽しくお喋りしながらレストランへ向かっているだろう。もしかしたらそろそろ到着しているかもしれない。一向に来ない俺にしびれを切らし、「悠真ゆうまなんてっといて、二人だけで入っちゃおうよ」と久世に持ちかけているかもしれない。

 一緒に食事を済ませたら、そのあとは中央公園のイルミネーションだ。寒空の下、カップルたちが身を寄せ合う光景に感化されて桃華も少しくらい大胆になるだろうか。それとも久世を余計に意識し、緊張してしまうだろうか。どちらでもいい。どちらにせよ、あのイケメン野郎なら気の利いた対応をするだろうから。


 久世真太郎しんたろうはイイヤツだ。アイツのことを一方的に敵視している俺でさえそう思ってしまうほどに。

 だから、きっと今夜は上手くいく。

 きっと桃華は彼とたくさんはなし、たくさん笑い、たくさん思い出を作るだろう。

 そして、きっとより一層ーーあの男のことを好きになるのだろう。


「…………」


 湯気の消えたコーヒーを口に含む。

 苦味は感じない。香りがしない。視界はどこか灰色で、周りの客の声は遠くて。

 ただ、心臓むねの奥だけがにじむように痛かった。


「ーー小野おのくん」


 透き通るような声に名を呼ばれた気がした。いつの間にか深くうつむいていた顔を上げると、向かいの席に座る七海ななみがじっとこちらを見つめている。


「な、なんだよ?」


 俺が聞き返しても、彼女はなにも言わなかった。ケーキを食べる手もめて、静かに視線をそそぐばかり。

 そしてしばらくしてから、彼女は手元にあるショートケーキの皿をそっと俺の前に差し出した。


「――食べなさい」

「……は?」


 言われた意味が分からず、困惑する俺。


「『食べなさい』って……お前が食いたいっつーから頼んでやったんだろ、このケーキ」

「そっちは要らないわ。私はこのチョコレートケーキだけで十分だもの」

「嘘つけよ。お前普段いつもはもっといっぱい食ってんだろうが」


 ケーキセットを代表にハイカロリーな品を際限なく食いまくることでお馴染みの〝七番さん〟は、俺のツッコミを無視して言った。


「いいから食べなさい。これは命令よ」


 ブッシュ・ド・ノエルを食べ終えたお嬢様が、チョコレートケーキにフォークを入れる。濃厚なカカオの香りが広がり、鼻腔びこうをくすぐる。そういえば昼からなにも食べていなかったと、忘れていた空腹を思い出した。

 それでも七海があれほど食べたがっていたケーキに手を付けることを躊躇ちゅうちょしていると、彼女は俺の瞳を見据えた。


「ケーキも食べないクリスマスなんて、私は認めない。今日は貴方の我儘わがままに付き合ってあげたのだから、流儀はこちらに則ってもらうわ」


 そして、何者よりも聡明なお嬢様はそっと瞑目して続ける。


「――貴方にも今日、『苦味』以外の思い出があったっていいでしょう」

「!」


 その言葉に思わず目を見開く。

 ……そうか。俺は今、気を遣われているのか。

 他人に無関心な彼女がこんなことを言い出すほど、苦い表情を浮かべていたのか。


「…………。……いただきます」


 七海が差し出したフォークを右手で受け取り、イチゴと生クリームのケーキを口いっぱいに頬張った。お嬢様は手を止めて、けれどなにも言わずにこちらを見つめている。


「……甘いな、このケーキ」


 コーヒーの味も分からなくなっていた俺が言う。


「そうかしら」

「ああ――本当に、嫌になるくらいだ」


 高校一年の聖夜、美しい少女に見守られながら、腕は一流の菓子職人パティシエが作った人気のケーキに舌鼓したつづみをうつ。俺などにはあまりにも過ぎた幸福だろう。これがもし夢や幻であったとしても、なんら不思議はあるまい。


 だが、やはりここはまぎれもない現実だった。


「おーい、悠真ー?」


 厨房から出てきた新庄さんが歩いてくる。


、お前に預けてもいいか? 桃華ちゃんがロッカーの上に置き忘れてったっぽいんだけど」

「えっ……?」


 彼が持ってきたのは、一〇センチ四方ほどの小さな箱。綺麗な青色の包装紙の上から、可愛らしいリボンが結ばれている。「プレゼントボックス」という印象イメージが分かりやすく当てはまる小箱を見て、俺はすぐに勘づいた。

 ソレは桃華が久世へ贈るために用意したクリスマスプレゼントではないか、と。


「……分かりました。ありがとうございます」


 俺がこのあと桃華たちに合流すると信じている新庄さんから小箱を受け取る。そして「頼んだぞー」と呑気に手を振って戻っていく彼を見送り、すぐに席から立ち上がった。


「――行くのね」


 こちらを見上げることなく、お嬢様が短く問う。


「ああ。ありがとう、ごちそうさま」


 俺も短くそれだけ返し、支払い伝票を持って七番テーブルを離れた。


「――相変わらず不躾ぶしつけね、小野くん。一度フォークを入れたのなら、その一切れくらい食べきるべきだわ」


 約束を果たした俺が皿に残したケーキへ向けて、彼女がなにかをつぶやいたような気がした。

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