第五八編 約束

「み、未来みく……?」

七海ななみさん……」


 夜の喫茶店前に現れた絶世の美少女と相対あいたいし、久世くせ桃華ももかが同時に声を発する。他人ひと嫌いで有名なこのお嬢様が、まさか聖夜クリスマスで客の多い〝甘色あまいろ〟に顔を出すなどとは思ってもみなかったのだろう。そして、その認識は正しい。

 高級車リムジンからり立った七海は、そでのないドレスを身にまとっている。この真冬に寒くないのか、なんて場違いな感想が俺の頭をよぎるが、すぐ後ろに立っている従者の本郷ほんごうさんが厚手のコートを丁重ていちょうに抱えているところを見るに、これから喫茶店に入るうえで余計な荷物を作りたくなかっただけらしい。そもそも彼女の場合は目的地の目の前まで送迎車が運んでくれるのだから、暑かろうが寒かろうがあまり関係はないのか。羨ましい話だ。


「こ、こんばんは、未来。もしかして、クリスマスケーキを食べに来てくれたのかい?」


 どうでもいい思考をする俺の隣で、イケメン野郎が七海に問い掛ける。しかしお嬢様はなにも答えず、代わりに怜悧れいりな瞳で俺のほうを見た。いつも通りの無表情ながら、なんとなく「私をわずらわせるな」という心の声が聞こえたような気がする。

 俺は誰にも聞こえない程度の咳払いをはさみ、「あ、あー」と思い出したかのようにこぶしを打った。


「い、いっけねー、忘れてたー! そういえば今日、このお嬢サマにケーキをごちそうするって約束をしてたんだったー!」

「えっ、ゆ、悠真ゆうま?」

「ほ、本当かい、小野おのくん!? なんだか過去にるいをみないほどの棒読みに聞こえるんだけれど!?」

「こりゃあまいったまいったー、うっかりしてたぞうー!」

「心なしか口調までぎこちなくなっていないかい!?」


 連続でツッコミを入れてくる久世に対し、俺は「くっ」と心のなかで歯噛みする。俺の名演技が看破されそうになるとは、流石は腐っても演劇部ということか。ついでに桃華もぽかんとした表情を浮かべている。

 俺はこれ以上のボロを出す前に、さっさと話を進めるよう試みた。


「そ、そういうわけだから、久世。悪いけど、先に桃華と二人でレストランに向かっててくれ。俺は後から追い付くからさ」

「!」

「ええっ!?」


 驚きの声を上げたのは久世ではなく桃華だった。いきなり好きな人と二人きり、なんて状況シチュエーションに放り出されるなどとはつゆほども考えていなかったであろう彼女は、「ち、ちょっと待ってよ!」と頬を紅潮こうちょうさせながらこちらを見上げる。


「悠真、一緒に来ないの!? せっかく三人でご飯を食べられるようにって、店長さんたちが気を遣ってくれたんだよ!?」

「い、いや、別に行かないとまでは言ってねえだろ。ただ先に済ませなきゃならない用事があるから、二人で先に向かっててくれってことだよ」

「そういうことなら小野くん、僕たちも一緒に――うっ……」


 途中までなにか言いかけた久世は、しかし対面するお嬢様の視線を気にするように口をつぐんだ。を彼女が許さないと、よく心得ている様子だった。

 俺は小さく苦笑し、二人の同僚の背中を押すように言う。


「心配しなくても、そんなに時間は掛からないって。お嬢がケーキを食い終えたらすぐに合流するよ。大丈夫」

「……うん」

「……そうだね、分かったよ」


 幼馴染みとイケメン野郎が頷く。


「じゃあ、僕たちはゆっくり歩いて向かっておくよ。桐山きりやまさん、それでいいかな?」

「う、うん……でも悠真、絶対に早く来てね? 絶対だからねっ?」

「はいはい」


 俺が「いいからよ行け」と仕草ジェスチャーうながし、二人はレストラン方面へと歩き始める。

 そして彼らの背中が遠ざかった頃、ここまで無言を貫いていた七海がようやくぽつりと呟きを落とした。


「――酷いひとね。果たすつもりもない約束を平気な顔でして」

「……うるせえよ」


 俺は彼女の顔を見ずにそう返し、「ふん」と開き直るように鼻を鳴らす。


「仕方ねえだろ、俺にとってはどっかのお嬢サマとの約束のほうが大事だからな。たとえそのために、アイツらとの約束を破ることになったとしても」

「随分殊勝な心掛けね。貴方が私のことをそれほど重要視しているとは思わなかったわ」


 言葉とは裏腹に、お嬢様の声色はどこか刺々しく感じられる。おそらくは今日この瞬間――俺が食事会から自分を間引まびく口実にするためだけにここまで駆り出されたことが不服なのだろう。七海未来じぶんを利用されたことが。

 だが、それこそ仕方がない。だって、そもそも俺と彼女の関係はそういうものなのだから。互いに互いを利用し、そのたびに対価を背負う。俺は彼女をとして使い、代わりに彼女は対価ケーキを得る。実に単純な話だ。

 一際ひときわ強い冬の風が俺たちのあいだを通り抜ける。そばに控える本郷さんが差し出そうとするコートを片手ひとつで制し、お嬢様は「もういいわ」と〝甘色あまいろ〟へつま先を向けた。


「ここは寒いから早くお店に入りましょう。今日のお代はすべて貴方持ち、ということでいいのでしょう? 先に言っておくけれど、容赦はしないわ」

「待てコラ、誰がそんなこと言ったんだよ。おごるって約束してたのはクリスマス用の限定ケーキだけだろうが」

「ええ、そうね。だけどそのケーキを一度だけしか注文してはいけない、とは言われていないわ」

「一休さんかお前は。そんなもん、普通は一回きりに決まってんだろうが」

「貴方の考える『普通』を私に押し付けるのはめて頂戴」

「それはもういいんだよ。なんなの、持ちネタかなんかなの?」


 俺のツッコミを華麗に無視スルーして店に入っていくお嬢様。その背中を追いつつ、俺は同僚たちの背中が見えなくなった大通りをふと振り返る。


「……頑張れよ、桃華」


 役目を果たした脇役に許されるのは、この恋愛劇の無事を祈ることだけだった。

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