第五六編 喫茶店の大人たち

 一二月二四日――クリスマス前夜イヴ

 たくさんの人が毎年楽しみにしているであろうその日、〝甘色あまいろ〟は俺がいまだかつて見たことがないほど混雑していた。

 ひっきりなしに来店する客、飛ぶように売れていくクリスマスケーキ。店長が気合いを入れて作った限定商品――定番のブッシュ・ド・ノエルとカップル向けのペアケーキ――も当然のように大人気で、思わず携帯電話のカメラを構える女性客も多く見られた。


 そんな状況なのだから店長はもちろん、俺たちアルバイトだってそれはもう大忙しだ。

 大学生バイトの二人に俺を加えた三人が表業務ホール担当、バイトリーダーとも言うべき新庄しんじょうさんは後方うしろで店長のフォロー。

 普段の裏業務キッチンは店長とパートさんだけで十分なのだが、流石に今日はそうもいかないらしい。特に昼以降は客の回転がさらに早くなり、俺も皿洗いや後片付けバッシングに追われ続けた。最も多忙である店長が終始冷静沈着だったのは意外だが……パニックになる余裕すらない、ということなのかもしれない。いつもはチャラい新庄さんも今日は無駄口ひとつ叩かず真剣に働いていて、空気が引き締まっていることを肌で感じた。


 そして桃華ももか久世くせの二人はというと、店の外で持ち帰り用ケーキの販売にいそしんでいた。

 桃華と二人組ペアで一つの仕事を任された久世に対し、例によって嫉妬心を燃え上がらせていた俺だったが、それもすぐに消え失せた。極寒の一二月、どこから引っ張り出してきたのかサンタ風の衣装に着替えさせられ、客が来るまでは呼び込みの声出し、客が来たらその対応。俺の仕事はあくまで普段いつもの延長線上にあるが、あちらはそうではないのだ。懸命に声を張り、それでも笑顔を絶やさず業務に励むイケメン野郎と幼馴染みの姿に、俺は馬鹿な考えを持っていた自分を心の中で叱咤しったした。


 とはいえ、店の前にイケメンと美少女の売り子を揃えて立たせるのは少しやり過ぎだったのではないかとは思う。

 久世にかれてやって来る女性客の存在は言わずもがな、サンタコスの桃華の可愛さに釣られて来る男どもも多い。商業的には有効な戦略なのだろうが、おかげで忙しさに拍車がかかる。もうすぐ退職が決まっている大学生バイトの二人が、「なんか今年は例年いつもの倍くらいしんどいんだけど……」と死んだ魚のような目で呟いていた。


「激務」と表現するに相応しい一日。そして開店と同時に始まった地獄もあと二時間ほどで終わるというところで、皿洗いを終えた俺に新庄さんが話し掛けてきた。


悠真ゆうま、お疲れさん。店長が、今日はもう上がっていいってよ」

「え? ま、まだ七時前ですよ?」


 思わず時計へ目を向ける。今日は絶対に閉店時間になるまで帰れないと思っていた俺に、新庄さんはキッチン用のエプロンをしゅるりとはずしながら言った。


裏業務こっちはもう店長たちだけで大丈夫なんだとさ。真太郎と桃華ちゃんのほうも大学生あいつらに代わらせるから、めしでもなんでも行ってこいよ」

「い、いやいやいや!? 表業務ホールはどうするんですか!? 多少は落ち着いてきましたけど、まだお客さんいるんですよ!?」

「だから言ってんだろ、って」


 バイトリーダーたる彼は表用のエプロンを着け直し、後ろ手でそれをきゅっと結ぶ。


「俺がホールに立つんだ。だったら一人で十分だろ」

「(かっけえッ!?)」


 自信に満ち、それでいて決して傲慢ごうまんではない。下手をすれば店長よりも各業務しごとのことを分かっている彼なら、俺たちが三人がかりでやっとの仕事も単独ひとりでこなす。


「で、でもいいんスか、店長? ホールが新庄さん一人なら、俺がやってた皿洗いとかは――」

高校生ガキが大人の心配すんなよ、小野おのっち」


 一人、こちらに背を向けたままキッチンの中央に立つ店長は、俺の言葉を遮って言う。


「アタシにとってのクリスマスは『毎年やって来るしんどい日』。でもだからって、小野っちたちにとっての今日が『仕事バイトばっかでしんどい日』で終わっていいわけじゃない」


 俺にとって最も身近な社会人おとなは、疲労がにじんだ顔だけでこちらを振り向く。


「――クリスマス、楽しんでおいで」

「(かっっっけえッッッ!?)」


 もはや「誰だよアンタ」と言いたくなるくらい日頃との落差が凄いが、だからこそ余計に格好良く感じる。これがギャップ萌えというヤツか。いつも優しいパートのおばちゃんたちも、笑いながら親指を立ててくれていた。

 頼りになる大人たちに後押しされた俺は、一度ぐっと喉を詰まらせてから全員に向かって頭を下げる。


「――ありがとうございます。お先に失礼します」


 いつもは「お疲れっス~」などと無礼な挨拶をしてばかりの高校生おれに、店長たちは「おう」「お疲れ」といつも通りに返してくれた。「あんまり夜遅くならないようにな」と付け加えられ、彼らの気遣いには俺たちを心配する気持ちも含まれていたのだと遅れて理解する。


「(……申し訳ないな)」


 店長も新庄さんも、きっと俺たちが揃って飯を食いに行くんだと信じている。だからこそ、彼らは俺たち三人に時間を作ってくれたのだから。

 それが申し訳なかった。三人で予定していた食事会から自分おれ間引まびくなどという、強引で回りくどいやり方しか思い付けなかったことが。

 もしも俺がもっと正しい方法を思い付き、最初から久世と桃華の二人きりで食事に行く約束になっていたなら。そうすれば俺は閉店時間まで〝甘色あまいろ〟にいられて、多少なりとも店長や新庄さんの手助けが出来たかもしれないのに。

 大人たちの優しさに、己の無能さを浮き彫りにされた気分だった。


「(でも……やるしかない)」


 理解わかっている。己の無能も、無力も、身勝手も。

 大人が見たら、きっと俺の行動なんて単なる自己満足にしか映らない。馬鹿な子どもだと思われるだけだろう。

 そうだ、理解わかっている。

 理解わかったうえで、俺は愚者の道を選んだんだから。

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