第18話 攻撃は胸に

 フロモン伯が前に出てくる。口上の前にクリュスエルは駆けだした。名乗れば動きは止まったのに、フロモン伯は名乗りも忘れて剣を構えている。


 クリュスエルは犬歯を陽光にぬらした。


「ぁああぁ!」


 獣の雄たけびと共に、横殴りに剣を振る。


 フロモン伯の剣が合わせに来た。激突。手を放す。勢いのまま腕を前へ。フロモン伯の顔は後ろへ。クリュスエルは、そのまま鎧の襟をつかんだ。足を払い、引き倒す。クリュスエル自身も倒れ、地面にフロモン伯を叩きつけた。素早く体勢を変え、足を絡めてひっくり返す。フロモン伯の剣を手甲で受け止め、滑らせ手首をつかんだ。


 頭突きを鼻へ。


 生ぬるい粘液を感じつつ、睨みながら右拳をフロモン伯の頬に埋めた。フロモン伯の右手から力が抜けたのを感じ、左手も顔面を。

 右。左。右。左。

 抵抗が完全に弱まってから、息子と同じように両手を合わせた拳を顔面へ。


 完全に沈黙してから上から退き、今度は右手で顎を、左手で頭頂部を持つ。そのまま勢いよく左手を下へ、右手を上にやった。盛大な音が鳴り、フロモン伯の首の骨が折れる。


 クリュスエルは退き際にフロモン伯だったものを蹴り捨てた。


「ヴィオルヌ様の捕縛にかかわったのは、あと誰ですか?」


 剣を握り、クリュスエルは兵に近づいた。


 兵の一人が逃げる。おい、と誰かが呼び止める。だが、その者の背からもう一人逃げ出した。耐えられなくなったのか、青白い顔の者が叫びながら逃げ出す。そうして、遂にフロモン伯兵だと思われる壁が散り散りになっていった。


 代わりに並ぶのは長弓を構えた兵。恐らく、テレネレ兵が二十名ほど。


 このままいけばハリネズミだ。

 が、もちろんこのままいくわけが無い。大きな斧が飛んできたのだ。人ほどの大きさの、大斧。それが矢をつがえていた長弓部隊に激突し、一瞬で恐怖と恐慌を産んだ。


「時間がねえぞ!」


 叫んだのはもう一つの大斧を持って近くの兵の頭を叩き割ったソルディーテ。

 大きな体と丸太のように大きな腕を存分に使った一撃は、決殺の一撃となっている。

 傍にはスープノレスが居て、最小限の動きで敵兵を狩りつつ投擲武器を集めていた。こちらもさすがは刀礼の騎士だろうか。


 思っている間に、大斧がもう一本飛んでくる。


「行け!」


 次はパシアンの声。ヴィオルヌは目の前。そして、ヴィオルヌの傍には火のついた松明を持ったユリアン公が、高貴な服を着た聖職者らしき者の尻を蹴飛ばしながら近づいて行っていた。


「待て!」


 叫び、駆ける。

 後ろからは剣や鞘がクリュスエルを追い抜いて行った。


 崩れる長弓部隊。その隊列に突っ込み、クリュスエルは期待通りに兵の顔面を血まみれに変えた。恐怖から離れた長弓部隊の遺品を手に、弓を構え矢をつがえる。


 狙いはユリアン公。

 ぐ、と引き絞った。


 今もクリュスエルは狙われているだろう。だが、仲間を信頼している。何よりも刀礼の騎士を信頼しているのだ。

 だから、自分に攻撃は当たらない。あたるわけが無い。


「ひひっ。弓は、平民の卑怯な武器だぜぇ?」


 ユリアン公が笑った。


「友を救えるのなら手段は問いませんよ」


 かわせないほど速く。

 そんな矢にするために限界まで引き絞ると、クリュスエルは手を放した。


 風を切る。

 ユリアン公が手を伸ばした。掴んだのは聖職者の首。


「なっ」


 射線上に、聖職者が入る。

 直撃。

 胸から、じんわりと赤が広がった。


「ぉお?」


 間抜けな声は、聖職者から。

 次いで同じ音ながら違う質の声が響き渡った。


「ひひっ。痛いみてえだな。仕方ない。仕方ない。これは、仕方が無い」


 聖職者を蹴り倒すと、ユリアン公が剣を抜いて聖職者の頭をかち割った。


「苦しまずに眠れってことだな。神も、認めてくださるだろうさ。なんてったって猊下の勝手を許される神様だぜ? こんな優しさ塗れのちんけな悪行、許してくれるだろうさ」


 奥では、聖職者らしき人たちが次々と殺されている。


「な、にを」

「エーアリヒ卿!」


 パシアンの声を聞き、思考を捨てた。

 目の前ではユリアン公が松明をヴィオルヌに近づけている。


「逃げろ!」


 ヴィオルヌが叫んだ。

 無視して、クリュスエルは駆けだす。背に衝撃。痛み。二か所ほど。

 矢でも刺さったのだろうが、確認せずにクリュスエルはユリアン公に突っ込んだ。


「弟の仇ってことで、一つ、どうだい?」


 松明が落ちる。火が広がる。


「ああ」


 最初は、零れ落ちた声。


「があああああああ!」


 次に、自身の足を引きちぎって罠を脱する狼の声。

 剣を思いっきり上にやると、そのままたたきつけた。石畳が割れる。剣が欠ける。

 ひゅぅういっ、と言う口笛が聞こえた。


「怖いねえ」

「ああっ!」


 力任せながら最速の一撃をユリアン公が最小限の動きでかわしていく。

 ユリアン公の口調は余裕を保っているが、表情は引き締まっていた。目も鋭い。


「貴様っ!」


 獣性に身を任せた、最速最高の一撃。

 ユリアン公の剣を弾き飛ばし、ユリアン公自身も大きく引いた。

 その隙にクリュスエルはマントに手をかける。


「今消します!」

「後ろだ!」


 ヴィオルヌの叫びを耳に、後ろを向く。斧。転がってかわせば、ユリアン公が再度近づいてきた。

 長弓部隊にも補充が来ている。


「逃げろ。逃げてくれ、クリュスエル」


 火にくべられて、一番冷静ではいられないはずのヴィオルヌが諭すように言ってきた。

 クリュスエルはユリアン公の攻撃を受け止め、押し返す。ユリアン公が大きく引く。


「此処まで来たのです」


 矢が降ってきた。

 幾つかは防ぎきれず、クリュスエルの体に刺さる。ヴィオルヌにも刺さる。


「此処まで来てくれたことだけで十分だ」

「しかし!」

「分かっていたんだ」


 少し強く言われ、クリュスエルは黙る。

 ユリアン公は静かにこちらを覗っているようであり、長弓部隊はユリアン公の動きを覗っているようだ。


「いつかはこうなると、村を出れば長生きできないことは知っていた。それでいながら、少し、まだ先を望んでしまっただけだよ」

「それを、人は『だけ』とは言いません」


 パシアンが長弓部隊に突撃する。

 接近してしまえば騎士の独壇場だ。あちらは、問題無いだろう。


「ランティッドを頼む。私が燃やした炎を、どうか消さないでくれ。それから、妹も」

「ヴィオルヌ様」

「いもうどっ」


 叫ぶために見たのがいけなかったのか。

 クリュスエルの目の前で、ヴィオルヌの胸に斧が突き刺さった。


 かく、かく、かく、と首を動かす。視線の先では、ひひっ、と犯人が笑っていた。

 投擲した手をぶらぶらと動かして、無頼公フォルシェロン・フォリー・アノルマルが笑っていた。


「きさま……」

「ひひっ。ひひっ。お相子だな。お相子だよ、アルデュイナ公。弟と甥と君の友。二対一で良いって言ってんだから、ありがたく受け取っておくべきだと思うな。ああ、そうした方が良い。うん」

「貴様ぁ!」


 クリュスエルの目の前に、鎚が落ちてきた。

 口笛を吹いてユリアン公が引いて行く。


「こっちも退くぞ!」


 飛ぶようにソルディーテが入ってきた。

 太い腕が軽々とクリュスエルを抱える。


「待ってください! ヴィオルヌ様が! ヴィオルヌ様がまだ」

「もう駄目だ」

「待ってく」

「大聖堂が燃えているのが見えねえのか。それとも、アンプレッセ卿とスープノレス卿も殺す気か?」


 クリュスエルの目が大きくなった。

 追えば、長弓部隊の真ん中で暴れているパシアンも、退路を確保すべく動いてくれているスープノレスもどこかに怪我を負っていたし、敵兵も増えている。乱戦もまた。原因は、オキュールの軍団が突っ込んできたことだろう。


 向こうには、こちらも敵と言う認識らしく飛び道具が増えている。


「なんで……!」


 クリュスエルは、ぐ、奥歯を噛みしめた。

 砕けそうな音もなり、体も震える。


「俺らの負けだ」


 ソルディーテが重く言いつつ、近くの兵を蹴飛ばした。だが、数が多い。


「だが、俺らのために戦ってくれるか? エーアリヒ卿」


 ソルディーテの声が、やさしくなる。

 クリュスエルは一度拳を強く握りしめると、ゆっくりとほどいた。


 視線の先はこと切れているヴィオルヌ。その最期は予期せぬものだったはずなのに、穏やかな顔で笑っているようにも見えた。


 ならばあの火は火刑の、断罪の炎では無く死者を送る炎なのだろう。


「もちろん、です。生きて、帰りましょう」


 瞼を閉じてヴィオルヌの最期を焼き付けると、クリュスエルは鉄紺のマントを翻して再び地面に降り立ったのだった。

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