095 雷樹島 1

「お兄ちゃんお兄ちゃん……。起きて、お兄ちゃん……」


「……う……ん……、どうしたの?」


「ごめんねお兄ちゃん。……ちょっとご相談があります」


 結局、昨日も飲み過ぎてしまって頭が痛い。朦朧とする中でラキちゃんに呼ばれている事を何とか理解すると、あてがわれた二段ベッドから体を起こす。

 何かラキちゃんが言ってるようだが、……ダメだ。頭がぼんやりとして、よく聞き取れない。

 だが、いつになくラキちゃんが困った表情をしているのに気が付いてしまい、ただ事ではないと理解する。


「ごめんラキちゃん、また飲み過ぎちゃって頭が働かないんだ。……魔法お願いできる?」


 途端に二日酔いの気持ち悪さが抜け、頭がクリアになっていく。


「ふぅ、ありがとう。――どうしたの?」


「あの、ちょっとご相談があるのです。えっと……」


 そうは言うが周りで寝ている連中の耳が気になるのか、ラキちゃんは辺りを気にする素振りを見せ、相談の内容は語ってくれない。


「分かった、場所を変えよう。昨日俺がいた艦長室でいいかな?」


「うん」


 当直員としてソーナー室にいたフランコに断りを入れ、艦長室を貸してもらう。

 ポラーレファミリーはメンバーが少数なため、軍隊のように二十四時間体制なんてできない。

 そのため夜間は普段の生活のように船長に十分な睡眠時間を取らせ、その間は他のメンバーが警戒に当たる。

 一番負担の大きい船長をしっかりと休養させる。それがポラーレファミリーの鉄則らしい。


 俺とラキちゃんは艦長室に入ると、扉を閉めて椅子に座り、向き合った。


「どうしたの?」


「えっとね、昨日ラクスお姉ちゃんとサラスお姉ちゃんにこの船の事を連絡したんです。そしたら魔王様もこんな感じの水に潜れる船を持っているらしくって、雷樹島には基地……でいいのかな? があるので、海底にある入口から入って来ていいよって言ってくれました」


「えっ、そうなの!? ……それは助かる! ――これでラキちゃんに無理をしてもらわなくて済むね」


 当初は雷樹島に雷の影響の無い距離まで近づいたら、後はラキちゃんに地を這うように海面スレスレを飛んでもらい、トルバリアス様の竜核を雷樹島のトルディーン山まで運んでもらう手筈だった。

 いくらラキちゃんでも常に天候が荒れ狂い、雷が樹木の枝のように降り注ぐ中を飛んでもらうのは凄く不安だったから、これはありがたい。


 あれ? でもこれは相談とは違う気がする。それにラキちゃんの顔色が優れないままだ。

 まだ何か別件であるのだろうか……?


「それと……、もう一つお姉ちゃん達から言われた事があります。――あのですね……基本的にイレギュラーがもたらした遺物は、可能な限りこの世界から消さなくちゃいけないって……。どうしよう、お兄ちゃん……」


「なっ!?」


 この世界から消すって事は、この白雪号を含めタケシさんの遺産全てを隠滅しないといけないって事じゃないか。

 そんな事、ポラーレファミリーは絶対に納得しないだろう。俺だって嫌だし、したくない。……いや、できない!


「……参ったな。どうにか回避する方法って無いのかな」


「……とりあえず、もう一度お姉ちゃん達に聞いてみますね」


「ごめんね、お願い」




 ラキちゃんがサラス様達と連絡を取っている間、俺は固唾を呑んでじっと待つ。

 ラキちゃんの表情はコロコロと変わり、最後には笑顔となる。これはもしや……!


「……えっと、ポラーレファミリーの皆さんが魔王軍の管理下に置かれるのなら、そのまま使っていいよって!」


「おおっ!」


 この船はタケシさんのギフト 【金属創造】 が無いと、今のこの世界の技術では作れない。だから複製は不可能なので、心無い連中にこの船が奪われない限りは大丈夫と、使用の許可を貰えたようだ。

 ただし、何かあった時はすぐにこの船を沈める事ができるよう、魔王軍側がこの船の所在を常に把握しておくという制限付きで。


 また、どうやらサラス様達の方でもタケシさんの軌跡を辿り、ルミナリエス魔導国の方での技術の漏洩なども調べてくれたようだ。

 だがルミナリエス魔導国に潜り込んでいる魔族の間諜によると、異世界の技術どころかタケシさんの軌跡も全く追えないほどに情報が無かったそうだ。


 僅かに手に入れる事ができた情報は、タケシさんは何処からともなくふらりとやって来た、ただの勤勉な只人という事くらいだった。

 どうも徹底的に自分の持つ情報を隠匿していたようだったが、考えてみればそうか。タケシさんは戦時中であるあの時代に日の丸を背負い、艦と乗組員を預かり戦っていた人なんだ。

 そもそも潜水艦の情報は軍の中でも超機密だし、その辺は徹底していたのだろう。これまで魔族の情報網から漏れ、サラス様達がこの船の存在に気が付かなかった位だからな。


「となると、後はポラーレファミリーに納得してもらうだけか……」


「サラスお姉ちゃんは、魔王軍に目を付けられたって感じに恐怖で縛り付けておいてって」


「なるほどね、了解した」




 まずはポラーレファミリーで一番理知的なフランコに話を通しておく事にする。

 彼はまだソーナー室にいるはずだ。少々時間を割いてもらおう。


「えっ!? 魔王様に目を付けられた!?」


「ああ。タケシさんはイレギュラーとしてこの世界へ来てしまった人だ。本来ならばイレギュラーのもたらした遺物は全て隠滅しないといけないらしい」


「そんな……」


「だが、魔王様にも慈悲の心はある。お前らが魔王軍の管理下に置かれてもよいのならば、御目溢おめこぼしをしてやってよいと言ってくださった」


「ほっ、本当ですかっ!?」


「本当だ。――だから、この事をフランコの口からポラーレファミリーの全員に伝え、納得させてほしい」


「――! 分かりました。……しかし、どうして魔王様にタケシさんの事が知れてしまったのでしょう?」


 思わずギクリとしてしまう。そういえばそうだった。何と説明したらよいか……。

 すると、ラキちゃんは申し訳なさそうに、おずおずと手を上げる。


「私が魔王様に連絡しました……」


「えっ……!?」


 それから、実は魔王様はこの世界を管理統括される存在である事。自分達天使は女神様の御使いである魔王様の配下である事を伝える。


「寧ろラキちゃんに感謝してほしい。もしも魔族の潜水艦に白雪号が見つかっていたら、問答無用で沈められていたらしいからな」


「ええっ!? ……そうだったのですか。――しかし、魔族も潜水艦を持っているのですね。……驚きです」


「俺もさっき知ったばかりなんだけどな。元々は雷樹島にある潜水艦の基地に停泊しても良いって、ラキちゃんが魔王様から連絡を貰ったのさ」


「はい。――それでですね、もしも魔王軍の管理下に置かれてもよいのなら、皆さんの白雪号も今後そこでメンテナンスしてあげますよって言ってます」


「本当ですか!? ……それはありがたい。――とりあえず、エルザ達に話してきます」


 どうやら説得は上手くいったみたいで、ポラーレファミリーの白雪号は今後、魔王軍の管理下に置かれてもよいと話が纏まったようだ。まぁ、抵抗しても沈められるだけだしな……。

 フランコとしては寧ろ白雪号をメンテナンスしてもらえる分、メリットの方が大きいと喜んでいた。


 こうして俺達は、雷樹島にある魔族の基地へ向かう事となる。

 基地へ停泊したら、まずは魔族の技術員による監査を受ける事となり、この船の情報もつまびらかにしないといけないようだ。




 雷樹島へ近づくにつれ、次第に暗雲が垂れ込める。雷樹島の方角からは稲光が見え、雨もポツリポツリと降ってきた。

 波も高くなってきたので、そろそろ水上航行を止め、潜航するようだ。


 雷樹島は島全体が火山の火口のような形状をなしており、まるでフジツボのような険しい断崖絶壁の外輪山に囲まれ、中央にはトルバリアス様の再誕の玉座であるトルディーン山が聳え立っている。

 そして周囲は雷樹島の名前の元となったように、常に雷樹が島全体に降り注いでいる。

 そのため、断崖絶壁の外輪山と雷樹により阻まれるこの島は、何人なんぴとたりとも立ち入る事ができない聖なる島と呼ばれていた。


 しかし雷樹島の海底には潜水艦が余裕で通れる海底洞窟があり、その先に繋がる島内の陸地を、魔族は潜水艦の基地としていた。

 まるで海底二万哩に出てくる潜水艦ノーチラス号の秘密基地だな。


 雷樹島へ近づいたら、海底洞窟の位置を基地への進入灯で導いてくれると連絡があった。

 進入する際の深度も教えてくれたが、船長の蛸があるため目視で確認ができるから、そこは問題無いようだ。


「おっ? 多分あれだ!」


 潜望鏡で外を監視していた、本日の哨戒長であるマルコが基地への進入灯を発見したようだ。

 船長も確認したようで、島に向かって海底から光の柱が等間隔で並んでいるそうだ。


 白雪号は光の柱で出来た道の真ん中に着けると潜航を開始する。

 潜望鏡深度よりも少し深い位の潮の満ち引きにより露わとならない深度に、潜水艦が悠々と通っていけるほどの巨大な、洞窟と言うよりもトンネルがあった。


 船長は慎重にトンネルの中を潜っていく。暫く進むと天上の岩盤が海面と変わったようで、船長は蛸で確認した後に浮上の指示を開始した。


「浮上準備だよ!」


「浮上用意よし!」


「よーし、んじゃ浮上っ!」


「浮上!」


 船長の合図を確認すると潜航の時のようなブザーが鳴り響く。


「メインタンクブロー!」


「上げ舵一杯!」


 号令と共に白雪号は、海面へ浮上していく。

 マルコが潜望鏡で浮上した事を確認すると、ブリッジのハッチを開ける。

 途端に心地良い新鮮な空気が入って来た。ここが雷樹島の中である事を告げるように、絶え間ない雷の音も聞こえてくる。


「うおっ!? なんだありゃ!?」


「あははっ! 流石は天使様だ。随分と歓迎されているようだねっ」


 俺達もブリッジに上がらせてもらうと、マルコや船長の言っている意味が分かった。

 どでかい横断幕には 『歓迎ラキシス様! ようこそ雷樹島へ!』 と書かれ、陸地では大勢の魔族の皆さんが諸手を挙げて歓迎してくれていたからだ。




 海底のトンネルを抜けたそこはかなりの大きな港湾となっており、幾つもの潜水艦が停泊できるような波止場が整備されていた。

 白雪号は魔族の水先案内人に誘導され、指定された波止場に着岸させる。


 ラキちゃんを先頭にタラップを渡り波止場へ降りた俺達は、魔族の皆さんから熱烈な歓迎を受けてしまう。

 出迎えの先頭にはビシッと制服を着た魔族の方が、部下を従え待っていた。


「ラキシス様、ようこそお越しくださいました。私はこの雷樹島基地司令のレイモンドです」


「こっ、このような歓迎をしていただき、誠に有難うございますレイモンド司令……」


 ラキちゃんも流石にこのような歓迎をしてもらえるとは思ってもいなかったようで、ドギマギしてしまっている。

 俺達はやる事やったらさっさと帰るつもりだったんだが、大丈夫かなこれ……。


 この様子だと事前に通達が行っているはずだが、俺達は改めてこの島を訪れた理由を伝える。

 まずはトルバリアス様をトルディーン山へ運ばなければならない。そして白雪号を魔王軍の管理下に置くための監査だ。


 トルディーン山は外輪山よりも遥かに高く、山頂は休火山のように、すり鉢状とっている。そこがトルバリアス様の再誕の玉座だ。

 山頂は雷樹が轟き普通の人では近づけないので、やはり最後はラキちゃんにお願いする事となった。


『ココマデ運ンデモライ、其方ラニハ誠ニ感謝スル。――其方ラニ何モ礼ヲシテヤレナクテスマヌナ』


「大丈夫ですよー」


「そーそー。トルバリアス様のおかげで雷樹島来れたしな」


「勿体なきお言葉です」


「トルバリアス様とこうしてお話できただけでも語り草となりましょう」


「こんな言い方は変かもしれませんが、トルバリアス様もお元気で」


『ウム、其方ラモ達者デナ。マタイツカ其方ラト相見あいまみエル事ヲ願ッテオルゾ。――アアソウダ。ケイタ、我ニ手ヲ触レヨ」


「えっ? は、はいっ」


 ――これは……!


 言われるがままに竜核へ手を触れると、俺の頭の中に雷魔法を行使する際の詳細な情報が流れ込んできた。

 まるでこれまで当たり前に使えた事を突然思い出したかのように、自分の技能として上書きされていく……。


『コレデモウ少シマシナ雷魔法士トナレルデアロウ。――精進スルガヨイ』


「――ッ! ありがとうございます!」


 まさか意外な所で己を強化できるとは思わず、歓喜に打ち震えてしまう。

 ありがとうございますトルバリアス様! 嬉しい! 本当に嬉しい! やったっ!




 次にトルバリアス様はポラーレファミリーの方へ向くと、ここまで運んでくれた彼らにも感謝の言葉を述べる。


『其方ラニモ感謝スル。コノ島ハ魔族同様、自由ニ使ウガ良イ』


「ほっ、本当かいトルバリアス様!? ――やったぁ!」


 この島を自由に使ってよいと言われた船長は大喜びだ。

 この島、常に暗雲が垂れ込めているが絶え間なく稲光が瞬いているため結構明るいんだよね。

 そのおかげか、トルディーン山と外輪山の間には独特な草木が生い茂っていた。

 ひょっとしたら大家さんの欲しがる薬草などがあるのかもしれない。大家さんもここへ連れて来てあげたかったな。


 ラキちゃんは竜核を抱えると、六枚の光の翼を展開して浮き上がる。

 いよいよトルバリアス様とはお別れだ。


「ではいきますよー」


『ヨロシク頼ムゾ天使殿。――デハナ』


 最後にトルバリアス様は俺達に向かって手を振る仕草を見せてくれると、ラキちゃんと共にトルディーン山の山頂へ飛び立つ。

 俺達はラキちゃんの姿が見えなくなるまで、いつまでも手を振って見送っていた。


 随分と長くなってしまったが、これで護衛依頼から始まった今回の冒険も終わりだ。

 さあ、後は帰るだけだ。

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