080 聖女の一団

 再び俺達は国境検問所で通行料を払い、ボルドレンの方へ向かう。

 国境に架かる橋を渡りながら、俺は何となしに橋の下に広がる街並みを眺めてしまっていた。


 ――このまま行ってしまって良いのだろうか……。


 谷壁の住宅街では流行り病に罹った多くの人たちが苦しんでいる。

 下の方へ行くほど貧困層とも聞いた。多分だが、その人たちまで薬は行き届いていないだろう……。


 ふと……どこからともなく、力なく泣いている赤子の声が聞こえた気がして…………俺のギフトが警鐘を発した。


 ――ああ……、うん、そうですよね女神様。ここで見過ごしてはいけないですよね……。


「ラキちゃん」


「ん? どうしたのお兄ちゃん?」


 俺の改まった呼びかけに、リンメイと一緒に俺の前を歩いていたラキちゃんが振り返る。


「実は、俺のギフトが発動してしまったんだ。――その、申し訳ないんだけど……俺のお願い、聞いてもらえないかな?」


「もちろんです! 私にどーんと言っちゃってください」


 ラキちゃんはニッコリと微笑んで答えてくれた。

 それから俺は皆に事情を話し、ラキちゃんが周りから見えないように俺達で壁を作る。


「ラキ、あたいの外套使ってくれ」


「ありがとうリンメイお姉ちゃん」


 リンメイは認識阻害の効果がある自分の外套をラキちゃんに掛けてあげる。

 そしてラキちゃんは 『聖女の御勤め』 で使う仮面を被った。


「では、ちょっと行って来ますね」


「済まない。――頼む!」


「はいっ!」


 ラキちゃんは返事をすると即座にテレポートして俺達の囲いからいなくなった。

 そして暫くして峡谷の遠くの方で、大気の魔力マナが暴風の如く一点に集中するのが見えた。


「ラキの奴、もしかしてあそこから纏めてやるつもりなんじゃないか? ――きたっ!」


 ――ボッ! ボボボボボボボボボッ!!!


 リンメイの声と同時に峡谷の遠くの方からこちらへ向かって光が吹き上がり、俺達がいる橋を潜って反対側へ抜けていった。そしてボルドレンとガルドレンの谷壁にある居住区は光に包み込まれてしまった。

 それはまるで峡谷が突然光の川となってしまったかのようで、この世のものとは思えない幻想的な光景だった。


 これはラキちゃんが神聖魔法を行使した光だったのだが、周りでは何が起こったのかと人々が大騒ぎだ。


「これは……凄いな」


「はい……」


 王子様もエルレインも、ラキちゃんの本気の力に驚いている。


 俺も驚いてしまっていた。

 本当は、完治とまでいかなくてもいいから、流行り病で苦しんでいる人達に向けて神聖魔法を薄く広く行使してきてもらえないかなとお願いしたからだ。

 しかし、どうやらラキちゃんはフルパワーで一気にやってしまったようだった。

 こんな芸当、ラキちゃんの人造天使としての力と、 【威力倍増】 というギフトが無きゃできない。


 ……これで、流行り病に苦しんでいた人達は回復に向かうだろう。

 ただ、まだ流行り病の根本的な原因は解決していないから、時が経てば再び患ってしまうかもしれない。

 それでもギフトが教えてくれた、今にも消えてしまいそうだった幾つもの命のともしびを見過ごす事はできなかった。


「ふぅ……、ただいま戻りました~」


 ラキちゃんは再び俺達の囲いの中にテレポートし、仮面を外してニッコリと微笑んだ。


「お疲れ様っ! ――ありがとう……本当にありがとう!」


「はいっ……!」


 あのラキちゃんが額に汗を滲ませ、酷く疲れた表情をしている。それでもニッコリと微笑んでくれた。

 その健気な姿に俺は目頭が熱くなり、思わずラキちゃんを抱きしめてしまった。




 エルドラード共和国は所謂亜人の国だ。

 このエルドラード共和国はそれぞれの地域で有力な種族が代表者を選出し、合議制によって運営されている。

 遥か昔、元々はそれぞれの種族ごとに独立していたそうだが、只人の近隣国家による侵略に対抗するために共和国として纏まる事にしたらしい。


 エルドラード共和国は様々な種族が治める地域が纏まった国のため、アルティナ神聖皇国を覆うように長く大きな国土を持つ。

 魔王様の住む巨大な浮島はエルドラード共和国とアルティナ神聖皇国を合わせた国土の丁度ど真ん中辺りにあるため、それもあって亜人の人々を 『魔王の眷属』 と今でも揶揄する輩がいる。


 そんなエルドラード共和国だが、大天使ラクス様がどの種族に対しても寛容なのもあって、アルティナ神聖皇国とは同盟を結ぶほどに仲が良い。

 そのような関係なので、稀にアルティナ神聖皇国の聖女が、エルドラード共和国へ救済に赴く場合がある。

 現在、俺達はまさにその救済をすべく、駅馬車でボルドレンから最も近い大都市ドルンガルドへ向かっていた。


 ドルンガルドはドワーフの好む鉱脈が無数にある霊峰を軸に鉱業都市として発達した、ドワーフの治める地域最大の都市だ。

 そのドルンガルドに近い山脈付近にあるコロロン諸島という浮島に、今回 『聖女の御勤め』 をしてきて欲しいとラクス様に頼まれてしまった。

 飛行能力を持つ聖女が滅多に現れないため、これまで各地の浮島へは稀にラクス様が赴く程度だったんだとか。


 コロロン諸島へ 『聖女の御勤め』 に赴く前に、ラキちゃんには相当な負担を掛けてしまった。

 そのため少しでもラキちゃんを休ませてあげたいと思い、今回は奮発して駅馬車の車内側の座席を貸し切りにした。

 只今ラキちゃんは俺の膝枕で寝息を立てており、俺は少しでも快適にしようと氷と風の生活魔法を駆使して車内を涼しくしていた。

 反対側の座席にはリンメイと王子様とエルレインが座っている。


 馬車に揺られながら、リンメイは自分の故郷がこのエルドラード共和国にあるのを教えてくれた。


「あの山脈の向こうにリンメイの村があるのか?」


 俺が指差したのは、霞んで見えるほど遠くにある雪化粧された山脈だった。


「そーそー。夏でもあの山脈越えるのはかなり大変だからさ、こっち側の地域に来るには、かなり遠回りしなきゃいけないんだよね」


「へぇー」


 リンメイは遥か遠くに見える山脈を眺めながら、懐かしそうに教えてくれた。

 可能ならついでに帰郷でもするか? と訊ねたら、とてもそんな距離じゃないからと笑っていた。

 どうやら、帰郷する時はこちら側からよりも、聖都から別の国境都市へ向かうルートを通って行く方が遥かに楽なんだそうな。




 ところで、エルドラード共和国にはダンジョンがある。あるのだが、非常に仲の悪い隣国と近い場所にあるため、ダンジョン利権が欲しい隣国がしょっちゅう侵略戦争を仕掛けてくるらしい。

 そのため、それらの争いに巻き込まれたくない冒険者の多くは、自国ではないアルティナ神聖皇国のダンジョンに流れてくる者が多い。リンメイもその一人だった。

 因みに、その仲の悪い隣国とは、あのハルジャイール王国である。


 ただこのダンジョン、結構良い品が多く産出されるらしい。そのため、戦争を気にしない血気盛んな連中はこぞって集まってきている。

 そして彼らがダンジョンから持ち帰る様々なアイテムや装備は、かなりの高額で取引されていた。


 この国は江戸時代の藩のように、それぞれの種族の小国が幾つも連なっているような国だ。

 そんなお国柄なので、それぞれの種族の冒険者は帰属意識が強い。

 そのため、彼らは良い品をダンジョンで手に入れると、まるで錦を飾るかのように自分の出身地域に持ち帰って取引をする。


 いつしか、それらのアイテムや装備はオークション形式で取引されるようになり、それを見世物とするのが一種の娯楽となっていった。

 元々は同族のために持ち帰っていた品だったのだが、最近では他の地域の人々もオークションに出される珍しい品を一目見ようと、わざわざ遠くからやってくるようになった。

 そして次第に、オークションは他の地域の人々がやってきてお金を落としていく観光産業の一端を担うようになっていったそうだ。


 リンメイはまだ一度もオークションを見た事が無いらしい。リンメイの村は辺境のため、これまでオークションを開催するような大きな都市へ行く機会が無かったそうだ。

 そのため、先日バージルさんからドルンガルドでも夏祭りの催しの一つとしてオークションが開催されるんだよと教えてもらうと、是が非でも見たいと言い出した。

 そんな訳で、折角ドルンガルドへ行くんだから、じゃあついでに夏祭りも見物していこうぜって事になった。


 実は俺も、そのオークションのある夏祭りが楽しみだったりする。

 何でも、夏祭りに合わせて相当な数の商人が、各地からダンジョン産アイテムを売りに来ると聞いたからだ。

 中にはオークション品にも劣らない掘り出し物が売り出される事もあるんだとか。


 それに、今回開催されるのは非常に優秀な職人として名を馳せるドワーフの都市。

 武器や防具など、様々な職人自慢の逸品も売り出されるだろう。


 そんな感じなので、もしも手が届きそうなお宝があったら皆でお金出し合って買っちゃおうかなんて、行く前から盛り上がってしまっていた。


「お姉ちゃんもさ、あたいの地元のタルカリアって都市で何度か出品した事があんだぜ! ――あーぁ……、あたいもいつか、すげーアイテムをババーンと出品してみてーなー」


 メイランさんのように、聖都のダンジョンからも故郷へ様々な品を持ち帰える冒険者は結構いるらしい。


「そのうちできるさ。――ただまぁ俺達は、まだ自分の装備を充実させるのが先決だけどな」


「そうなんだよねー。いつか全装備をネームド品にしたい」


「ははっ、だな」




 馬車がドルンガルドへ近づくにつれて、同じようにドルンガルドへ向かう馬車が次第に増えてきた。

 周辺の地域から見物にやってきたであろう人を乗せた馬車や、行商人の馬車、馬車が何台も連なる護送された隊商など様々だ。


「随分と沢山の人が集まるお祭りなんですね。宿泊できる宿があると良いのですが……」


 エルレインの何気ない一言にドキリとしてしまう。


「あっ! ……やばい、すっかり宿の事忘れてた。――そうだよな、こんなに人が集まるお祭りなんだ。まともな宿はもう部屋が無いかもしれない……」


「おい、私は木賃宿なんて嫌だぞ!」


「えー、あたいも嫌だ。どーすんだよおっさん」


「不味いな、どうしよう……」


 野郎だけならともかく、女の子がいるからな。不潔で治安のよろしくない木賃宿はなるべく避けたい。

 参ったな……。


「ふふふふふー、ご心配には及びません」


 突然、俺の腹の方から声が聞こえた。どうやらラキちゃんが目を覚ましたようだ。


「おはようお姫様。――何か策があるの?」


「おはようございますっ。ラクスお姉ちゃんと少しお話してました。――ドルンガルドへ着いたら聖女の一団となり、郵便ギルドに向かいましょう。郵便ギルドにコロロン諸島へ案内してくれる方がいます」


「あっ、ドルンガルドで宿を取らずに、コロロン諸島の方で泊めてもらうって事?」


「んー、ちょっと違います。郵便ギルドの宿舎を、またお借りするのです」


 ラキちゃんから、アルティナ神聖皇国は聖女の一団が 『聖女の御勤め』 を安全に遂行するために、郵便ギルドを利用しているのだと教えてもらう。

 郵便ギルドは手紙や書簡といった他者の情報を扱う機関なので、その辺の守秘義務が徹底しているし建物は堅牢である。そのため、聖女の移動や宿泊に非常に都合が良い。


 以前王子様の仮住まいへ向かう時に利用した聖女専用の馬車では、都市間を移動するのは非常に危険だ。

 なぜならここに聖女様がいますよとアピールしながら移動するようなものなので、騎士団でも引き連れていかないと聖女を狙う大集団には対処できないからだ。

 そして普通に町の宿を利用しても、すぐに情報を漏らす愚か者が後を絶たない。


 そのため、いつしか郵便ギルドの郵便馬車が、聖女を安全に移動させるための手段となっていた。

 聖女は配達員と一緒に馬車の中に乗り、護衛はそのまま郵便馬車の護衛となることで都市間を移動する。そして宿泊も郵便ギルドの宿舎を利用していた。

 それら経費は全て、アルティナ神聖皇国が持ってくれる。


「王子様とエルレインさんも、この事は内緒でお願いしますね」


「ああ、勿論だとも」


「はい、決して他言は致しません」


 これは聖女に関するかなりの極秘情報だな。

 なんとなくだが、冒険者ギルドは俺達が 『聖女の御勤め』 で郵便ギルドを利用できるようにするために、さっさと俺達を昇級させたかったのかもしれない。

 普通なら黒曜級と木級では郵便ギルドの依頼を受けられないから、今のままだと他の冒険者などに疑念を持たれてしまう。


「マジか。なら聖女の一団として郵便ギルドに行けば、また宿舎使わせてくれるって事?」


「ふふふー、そーなんです」


 それから俺達は急いで、借りてきた神官服に着替える事にした。

 この神官服はローブのタイプなので、鎧の上から羽織るだけで良い。ちょっとミラージュ騎士団っぽくってカッコイイんだよね、このローブ。

 しかもあらゆる耐性効果がついていて、物凄く性能が良い。普段から使わせてもらいたいほどだ。


「まさか私もこの恰好をする事になるとはな」


「ふふっ、本当ですね」


 今回は王子様とエルレインにも聖女の護衛神官をやってもらうため、全員で事前に教皇庁からローブと仮面を借りてきていた。


 ドルンガルドの駅へ着いた駅馬車から仮面を付けた俺達が出てくると、周りにいた人達は騒然となった。

 ラキちゃんを中心に、俺達四人が守護するように立つ。


「では皆さん、参りましょう」

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