英雄から生まれた死神
不思議な夢を彼女は見ていた。
楽しげに笑い、母と一緒にいろんなものを見て回る夢だ。そこには大好きな甘いスコーンやちょっと苦手な紅茶、女の子を模る人形にボールといったオモチャなどがある。
お母さんの手を引いて彼女は自分の好きなものは何なのか教えていく。しかし、ちょっとおかしいなと感じてしまった。
何気なく振り返ると手を引いていたのはお母さんでないことに気づいた。真っ黒な顔で、真っ黒な髪。何もかもが黒く包まれており、すぐにそれが知っているものじゃないと気づいてしまう。
「ひぃっ」
思わず握っていた手を払った。そのまま逃げ出し、怖い何かから離れようとする。
だが、それはどこまでもついてくる。どんなに一生懸命に足を動かしても、苦しく激しい呼吸をしても、手を振って前に進んでも、恐怖は追ってきた。
いやだ、と彼女は泣いた。
こわいのやだ、と彼女は拒絶した。
もういやだ、と彼女は否定していた。
こわいことをしたくない、と彼女は願った。
しかし、それはどんどんと迫ってくる。彼女はその恐怖に怯え、そして足をもつれさせて転んでしまう。
膝が痛い。すりむいたのか、とても痛い。でも、これよりももっと痛い感覚を知っている。
どうしてそんなものを知っているのだろう。なんでそんな感覚を覚えているのだろう。
そういえば私は、なんで今幼いんだろう。どうして女の子なんだろうか。
『思い出せ』
黒い何かが耳元で囁いた。途端に心の中で何かがこぼれ落ち、広がっていく。
何かを忘れている。何かが抜け落ちている。
何を忘れているのか。何が抜け落ちているのか。
『思い出せ』
何かが浸透し始める中、彼女の頭が痛んだ。それは妙な感覚で、まるで自分が思い出すことを拒んでいるような感覚だった。
だが、思い出さなければいけない気もする。なぜなのか、彼女にはわからない。
『思い出せ――あの光景を』
何かが目の前で再生される。
それは一つの処刑台と、それに向かう一人の男性の姿だ。その男性は逃げられないように兵士がつけらえ、手には錠がつけられている。
彼女はそれを見て、目の奥が痛んだ。
思い出せ、思い出せ、と心が叫んでいる。しかしそれを拒む自分もいた。
「あぁっ」
ゆっくりと、彼は処刑台に立った。そのまま座らされ、処刑人によって刃が向けられている。
首がはねられる。そう思った瞬間に彼女は叫んでいた。
「やめて! お父さんを殺さないで!」
全てを思い出した。
そう、彼女は英雄ランベルの娘だ。大国との戦いで活躍し、負けてもなお死神を恐れられた男の娘である。
優しく、仲間想いで、誰よりも自分を愛してくれたそんな人の子どもだ。
その父親が、目の前で殺されようとしている。世界は美しいと教えてくれたお父さんが、世界の醜さに命を奪われようとしていた。
「やめて、やめてぇぇぇぇぇ!」
必死に叫んだ。必死に止めた。
だが、決まり事は止まらない。
ザシュッ、という音が聞こえた。そのまま父親は力なく倒れ、それと共に血が広がっていく。
赤い液体は、絨毯のように思えた。どんどんと広がっていく支配域を見て、彼女は気づいてしまう。
世界は美しい。でも、その世界を愛した父親は殺されてしまった。
世界は美しい。だけど世界は父親を拒んだ。
だから世界は、とても醜い。
「嫌ぁあぁああぁぁあああぁぁぁぁぁっっっ」
何もかもが蘇る。
喜びも悲しみも、嬉しさも怒りも、父を奪った世界への憎しみも。
そう、彼女は思い出したのだ。父親を奪った者達への復讐心を。
そして世界を壊す意味を。
◆◆◆◆◆
何が正解なのか。カドリーはずっとその疑問を自分に投げかけながら考えていた。
正解はないかもしれない。そう結論を出してもずっと問い続ける。
恩師の処刑が実行され、数日経った日のこと。恋人であるアルナを探し、思い出のあるこの丘に来た時のことだった。
もしかするとまだ父親が死んだことにショックを受けているかもしれない。そう思って覗きに来たのだが、思いしない光景を目にする。
英雄ランベルを讃える石碑。その前で幼くなっていた彼女が倒れていた。
初めは何かの冗談かと思った。だが、すぐに違うと気づいてしまう。
慌てて駆け寄り、その身体を抱き起こした。すると彼女は目を開き、こう言葉を紡いだ。
「私ね、世界がとっても憎いの。お父さんが愛した世界が、とってもね。すっごく壊したい。自分が壊れてもいいから、壊したいのよ。だけど、そんな世界をお父さんは美しいって言って愛したのよ。壊したいのに、お父さんが邪魔するのよ」
「アルナ……」
「苦しいよ、とっても。何もできないまま壊れちゃいそうだよ。だから私、ここに記憶を封じ込めたの。過ごしてきた時間を、全部閉じ込めたの。進むの、もう嫌だ。もう進みたくないの」
「そうか、そうか。ごめん、僕じゃあダメなんだね……」
「カドリー、ごめんね。でも私、疲れちゃった。だから少し、寝かせて」
彼女は目を閉じる。その身体を抱っこして、カドリーは背中をポンポンと叩いた。
父親が教えてくれたという子守歌を歌いながら、彼女がもっと気持ちよく眠れるように歩いた。
「アルナ、ここにはいずれ教会が建つんだ。僕はそこで働くことになる。君もたぶん一緒だ。いや、絶対にだね。僕が、君の傍にいる」
「すぅー、すぅー」
「いつ目を覚ますかわからないけど、次に起きるまで守るよ。だから、おやすみアルナ」
幸せな夢が続きますように。
辛い記憶が忘れられますように。
彼はそんな祈りを込め、子守歌を歌う。そして、幼くなったアルナと一緒に楽しい日々を過ごした。
だが彼女は、カドリーが知っているアルナではない。全くの別人であり、共に暮らす幼い女の子だった。
そして彼女は歳を取らない。まるで本当に時が止まったかのような少女になっていた。
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