変えられない予定
時期は雨季。降りしきる雨の中、王都にひんやりとした風が吹き抜けていた。
そんな王都に住む一人の麗しい女性がいる。艶のある長い黒髪をいじりつつ、紙袋いっぱいにパンやビン牛乳を詰め込み何かを待っている様子だった。
ふと、一台の馬車が走ってくる。
女性が手を上げると馬車は止まり、運転していた男性が降りると丁寧にエスコートをして扉を開いてくれた。
「ありがとうございます」
最近できたタクシーなるものを利用し、女性は馬車の中で腰を下ろした。
本来、貴族しか利用できなかった馬車であるが発展著しい王国では庶民でも利用できるようになっている。
とはいえ、まだ活用できる範囲は狭く、王都と主要都市以外ではほぼ見かけないタクシーだ。
そんなタクシー馬車の中で女性は紙袋からあるものを取り出す。それは数ヶ月後に開催されるコンサートの案内が書かれているパンフレットである。
「本当に開催するのかしら?」
そこに載っている写真にはジェーンの姿があった。
奇跡の歌姫、という謳い文句が表記されており、女性はその少女の歌を楽しみにしていた。しかし、彼女はなぜか数週間前に姿を消してしまい、その消息が掴めていない状態だ。
一種の噂では大きな事故に遭い、死んでしまったのではないかと囁かれていた。しかしそれと同時に、違う噂もある
それは歌えなくなったのではないか、というものだった。
「どっちにしても開催されたら嬉しいわね。にしても、突然どうしたのかしら?」
噂の真意はわからないが、無事に開催されればいいなと考えた。
ひとまずパンフレットをしまうと、馬車はゆっくりと止まる。どうやら拠点としている一戸建ての借家に着いたようで、それを確認した女性は少し高い代金を払った。
タクシーが去っていく様子を見てから女性は自宅へと入っていく。履いていたブーツを脱ぎ、中へ進んだ。
濡れたコートを適当にソファーへかけると、女性はテーブルの上に置いた書物に目を向けた。
赤黒く染まった表紙は焦げたような質感があり、分厚いにも関わらず不思議と軽い。どうしてこんな禁書が学園の図書室、しかも一般閲覧可能の書物として置かれていたのか不思議だった。
もしかしたら間違えて誰かが本棚に入れてしまったかもしれないが、それはそれで奇妙なものである。
「そのせいでひどい目に合っているけど」
まるで誰かが手に取ってくれることを待っていたような気がした。
そしてその狙い通りに彼女は手に取り、禁術を発動させようとしたが失敗する。
危うく学園の教師を解雇されかけたが、どうにか旅するクリス達を支援することで首の皮一枚を繋ぐことができた。とはいえ、安心できる状況でない。
これからも旅する二人をしっかり支援するために教師レミアは彼女達と定期的な連絡を取ることにした。
「ハロハロ二人ともぉ~。今どの辺りに――」
『大変大変、大変だよレミアせんせー!』
とても元気なリリアの声がレミア先生の頭に響く。
あまりの大きな声に右目をギュッと閉じ、痛みを堪える。少し頭の痛みが引いてからなぜか興奮しているリリアに問いかけた。
「何が大変なのよ、リリア。頭が痛いんだけど」
『ジェーンが、奇跡の歌姫ジェーンが目の前にいるの!』
「はぁっ? 何を言っているの? 彼女は結構前に姿を――」
『だからそのジェーンが目の前にいるのっ! 信じてよ先生!』
「あー、はいはい。わかったから。ところでルミナスコインは見つかった? あなた達が頑張らないと私、解雇されちゃうんだからね」
『元はといえば先生のせいでしょ! というかどうにかして戻してよ』
「できたらそうしてるわよ。ま、その様子だと新着なさそうね。また後で連絡するわね」
『あ、ちょっと待ってよ先生! 大ファンなんでしょ? サインもらうから。なんて書いてほしい?』
「じゃあジェーンの名前と一緒に先生大好きって頼んで。じゃあね、リリア」
レミア先生はそういってリリアとの通話を切る。
どんな旅をしているかわからないが、ひとまず無事だということがわかりホッと胸を撫で下ろした。
通話を終え、彼女は禁書に目を向ける。本日もクリス達の助けとなるべく、禁書の解読を始めたのだった。
だがレミア先生は気づかない。リリアの言っていたことが本当であることを。
◆◆◆◆◆
リリアはニッコリしていた。そんなリリアを見て、ジェーンは非常につまらない表情を浮かべている。
隣にいるクリスは、そんな二人を静かに見つめていた。ヴァンはというととても困っている様子だ。
『お願いします! サインをください!』
大きな声でリリアはそう迫る。ジェーンはとてもウンザリとしていると、二人の間をヴァンが割って入った。
どうやら彼は優秀なマネージャーのようだ。
「申し訳ありません。今はプライベートなので、できればその申し出は控えていただきたいです」
『そんな固いこと言わないでよぉ~。というか仕事になったら絶対に書いてくれないでしょ!』
「あはははっ。何にしても今はダメですよ」
笑って誤魔化すヴァンに、リリアは不満そうに唸った。
そんなリリアを見て、クリスはこう訊ねる。
「ところで、何にサインを書いてもらうつもりなの?」
『えっ? えっと、その、バックとはか!?』
「長く使うし、たぶんサインは消えちゃうよ」
『えー! じゃ、じゃあ、えっと、その、えーっと……』
「書いてあげるから静かにしてくれる? うるさいの嫌いなんだけど」
『ご、ごめんなさい。な、なら私の身体にお願いします!』
リリアはジェーンのサインのために自分の身体を差し出す。
そんなリリアを見て、ジェーンは彼女の身体を持ち上げた。ヴァンに向けて手を出すと彼はヤレヤレと頭を振る。
ジェーンの要望に応え、持っていた羽ペンにインクをつけて渡す。受け取った彼女はその
まま流れるように自身の名前をリリアの身体に書き込んだのだった。
「他になんて書いてほしいの?」
『レミア先生、大好きってお願いします!』
「それ、私が書く意味がある?」
ひとまずジェーンは言われた通りにサインを書いた。
宝物と言えるアイテムを手に入れたリリアは、身体に書き込まれた文字を見て目を輝かせる。
本当に嬉しいのか『やったぁー!』と手を大きく広げ、ジェーンにお礼を言ったのだった。
『ありがとうございます! 一生身体を洗いません!』
「そ、そう。ありがとね」
ジェーンは苦笑いを浮かべていた。リリアはそんな笑顔に気づいていないのか、ただただ感動しっぱなしである。
クリスはそんな友達の姿を見て楽しげに笑った。
リリアにもこんな一面があるんだ、と微笑ましく思っていると唐突に馬車が止まる。
「おや、目的地についたのかな?」
ヴァンが外に顔を向ける。しかし、まだそこは緑が溢れる光景が広がっていた。
どうしたのか、と思いヴァンは馬車を降りる。
運転していた男性に声をかけると、こんな言葉が返ってきた。
「橋が落ちてて進めないんですよ」
切り立つ崖。かかっていただろう立派な石橋が見事に崩れ落ちている。
そんな光景を目にしたヴァンは頭を抱えた。これではさすがに進むことはできない。
「どうにかなりませんか?」
「うーん、迂回してもいいですが予定よりかなり時間がかかります。それでもよろしければ」
「わかりました。ジェーンに話してきます」
馬車へと戻り、ヴァンはジェーンに事情を話した。
するとジェーンは激高し、ヴァンに「冗談じゃない」と言い放つ。
ヴァンはそんな彼女をなだめようとした。しかし、ジェーンの怒りは収まらない。
「そんな時間、かけられないわよ。どうにかしなさいよ!」
「どうにかしようにも、橋が崩れているんだ。どうしようも――」
「あなた本気で言ってるの? わかっているでしょ!」
「だけど、僕の力ではどうしようもない」
ジェーンは奥歯を噛む。どうやら彼女には時間をかけられない事情があるようだ。
リリアはそんな彼女を見て目を丸くしていた。思ってもいない姿だったらしく、驚いている様子である。
オロオロとし出す友達を見て、クリスは立ち上がる。そしてジェーンにこう声をかけた。
「どうにかしましょうか?」
それはジェーンにとって思いもしない言葉だった。
彼女がクリスに振り返る。クリスは助けを求める目をするジェーンを見て、優しく微笑みこう告げた。
「本来なら相応の対価をもらいますが、リリアにサインをくれましたからね。そのお礼です」
「お礼って、どうにかできるの!?」
「おそらくは。ただ少し対価が足りません。だからもう少し一緒に行動をしてもいいですか?」
「そのくらい、いいわよ! お願い、どうにかして!」
ジェーンはクリスの両肩を掴み、迫るようにお願いする。とても切羽詰まっていることを知り、クリスは承諾した。
ひとまず馬車の外へ出る。
そして崩れ落ちている石橋を見て、どうするか考えた。
「見合う対価を考えると、これかな」
クリスは手を合わせる。そして聞き取れない不思議な声でこれまた理解できない言葉を呟いた。
すると途端に空は暗くなり、クリスの身体が光り始める。
驚いている運転手に気を向けることなく言葉を紡いでいくと、最後に光が弾け飛んだ。
『ちゅー! ひさびさだのクリス!』
光が消えると共に現れたのは、言葉を放つ小さなネズミの集団だった。
頭には捻り鉢巻きがあり、ハンマーとノコギリが描かれた半被を着ているそれにクリスはこんなお願いをする。
「大変なお願いをしたいけど、いい?」
『おっ? 作るのか? 何、たいてい一日あれば作れるぜ』
「この崖に馬車が通れる橋を架けてほしいの。できる?」
『朝飯前だ!』
召喚されたネズミ達は号令をかけるとすぐに動き出した。それぞれが役割を持ち、大地のどこかへと駆けていく。
そんな光景を見ていたジェーンは目を大きくしていた。
まさか、と思いリリアに訊ねると当然のようにこう言葉を返される。
『クリスは魔術師のタマゴだよ。まあ、アタシはそう感じないけどね』
思いもしない言葉に、思いもしない光景。
それをしっかり認知したジェーンは、明らかにクリスの認識を変える。それを見ていたヴァンは少し考えていた。
もしかすると、と呟くがすぐに微笑んでその言葉を誤魔化したのだった。
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