ブタ貯金箱になるまでの経緯
これは朝から昼にかけての出来事である。
ニッコリ笑う太陽がサンサンと輝く空の下、豊かな緑が広がる王国の中心部に、一つの学園が存在した。
名前はルヴィア魔術学園。そこは王国を守る騎士団と対をなす組織、王国魔術師団への所属を目指す子ども達が通っている。
そんな学園に向かう道ばたの途中、一人の少女がこぼれたアクビを右手で隠し歩く姿があった。
青みがかった美しく長い銀髪に、ちょっと低い背丈。少し眠たげな目を隠すようにかけられた黒縁のメガネと白を基調としたブレザーと藍色のスカートがよく似合った女子学生だ。
学園指定の深みがある青いストローハットが彼女の可憐さを引き立たせ、行き交う人々の目を引く。それは同じ学生からも注目を集めるほどだった。
「クリスぅ、おっはよぉー!」
そんなクリスに抱きついてくる友達がいる。
幸せな顔をして髪の匂いを嗅ぎ、どさくさに紛れて胸を揉もうとする変態だ。
「リリア、やめて」
「やめなーい。ああ、いい匂いがするねクリスちゃんは! ふふふ、これこそ同性の特権だよー」
「鉄拳制裁」
いつまでも髪の匂いを噛んでくる友達リリアの脳天に、クリスはゲンコツした。
思った以上に痛かったのか彼女は頭を押さえ、目に涙を浮かべて蹲っている。
ちょっと痛かったかな、とクリスがつい心配するとリリアはなぜか赤いハンカチを取り出し、口でその端を噛み引っ張りながら嘆き始めた。
「ああ、なんてこと。あのかわいいクリスが、このアタシに反抗するなんて! でもね、負けないから。アタシ、絶対にクリスの胸を揉みしだいてやるんだからね!」
明るくとんでもない宣言をしたリリアに、クリスは肩を落とした。
一瞬でも心配した自分がバカらしくなるほど、彼女は前向きだ。
ひとまずクリスはリリアを無視して学園に向かう。置いていかれそうになったリリアは「待ってよー」と大きな声を放って追いかけた。
ありふれた日常。これがクリスにとっての当たり前な光景である。
しかしその日常はもうすぐ崩れ落ちてしまう。
「あ、そうそう。クリス、レミア先生のこと知ってるでしょ?」
「魔術の実験研究講義を担当している人。それがどうしたの?」
「風の噂なんだけど、最近恋人にフラれちゃったらしいよ。なんでもずっと研究室に引きこもって構ってあげなかったからだってさ」
「ふーん。大変だね」
「興味なさそうだねぇ、クリスは。もう少し恋バナしようよぉー!」
「これは恋バナというよりゴシップ。でも、先生かわいそう」
「でしょでしょ! あんなに美人なのにフラれるなんてね。私が男だったらもうたくさんスキンシップを取るんだけどなぁー」
同性でよかった、とクリスは心のどこかで思った。
しかし、その考えはすぐに払拭される。
「ということで、胸を揉ませろクリスぅー!」
「鉄拳制裁」
本当か嘘かわからない噂話で気を引かせ、油断したところにリリアは飛びかかってきた。
だがクリスにとっては毎日やられていることなので、その騙しの手口はわかりきっている。
だから彼女の強襲を華麗に躱し、カウンターとして脳天にゲンコツをした。
「いたーい! クリスが暴力するぅー!」
「セクハラには鉄槌を。これ世界の理」
「セクハラじゃないもん! スキンシップだもん!」
もはやイタチごっこである。
しかし、いつも明るいリリアにクリスはちょっとだけ微笑んだ。
とてもうるさく、落ち着いていられない。しかしその分、楽しく飽きない時間だ。
だからクリスは泣いているリリアに背を向けた。すると途端に彼女は抱きつき、ニコニコと笑って機嫌を直すのだった。
「えへへ、クリスちゃんはかわいいなぁー」
「セクハラは許さないからね」
「ケチだなぁー、クリスは」
クリスはリリアに抱きつかれたまま学園に辿り着く。
それはいつもながらの光景であり、クリスにとっての当たり前だ。
だが、その当たり前が崩れ去る時がやってくる。
「みなさん、申し訳ございません。本日は自習です……」
講義室にやってきたレミア先生が、とても暗い面持ちでそう告げた。
用意された実験器具どころか学生にすら目もくれず、レミア先生は講義室の外へ出ていく。
そんな女教師の背中を見送ったクリスは、思わずリリアに顔を向けた。
するとリリアは目を輝かせており、興奮でもしているのか鼻息を荒くしている。
「噂は本当だったんだぁー!」
「そう、なのかな?」
「そうに決まってるよ! だって見たでしょ? 先生のあの落ち込みっぷりを。あれは絶対にフラれたんだって!」
「違うことで落ち込んでいるかもしれないよ」
「例えば何? もしかして大好きな雑誌が見れなかったとか!?」
「それであんなに落ち込まないと思う」
「じゃあ決まりだね。先生は恋人にフラれた。だから泣いていたんだよ!」
例えそうだとしてもどうしてそこまで興奮するだろうか。クリスはリリアの不思議に頭を傾げる。
何はともあれ、講義は自習となってしまった。実験がちょっとした楽しみだったクリスにとってそれは、少し残念なことだ。
仕方なくクリスはカバンに入れていた本を読むことにした。
その書籍のタイトルは〈不思議な貯金箱〉と記されている。
「新しいやつー?」
「うん。ルミズ・ロドニーの新作。結構面白いよ」
「よく飽きないで長く読んでいられるねぇ。アタシャそんな長時間も集中していられないよ」
「リリアは元気いっぱいだからね」
「まあね。あ、そうそう。ちなみになんだけどレミア先生の元彼ってさぁー」
クリスはリリアの言葉を聞き流しながら読書を始める。
その書籍に書かれている物語はなかなかに独創的で、独特な世界観だ。
主人公は言葉を話せ、動くことができる貯金箱。かわいらしいブタを模ったそれは、自身にかけられた呪いを解くために七体の審判者と対峙するといった物語である。
問われるのは、罪深き者が犯した大罪についてだ。
ブタ貯金箱である主人公は審判者に罪人を許すかどうか問われる。どれもが許せない罪であり、まさに大罪と呼ぶにふさわしいものばかり。
だからこそ、悩み葛藤し、自分なりの答えを出していくという展開となっていた。
クリスは夢中になって読み進める。
気がつけば学園全体にチャイムが鳴り響き、講義時間が終わったことを知らせた。
「さて、と」
隣で眠っているリリアの身体を揺さぶり、起こす。
だがとても気持ちよく眠っているのか、リリアは「あと五分」といって再び眠ってしまった。
クリスは仕方なく立ち上がり、書籍をカバンの中へしまう。気持ちよく眠っている友達を置いて次の講義室へ向かおうとした瞬間、一人の男子が声をかけてきた。
「クリスさん、悪いけどこれ届けてくれないかな?」
その男子から手渡されたのはかわいらしいブタの姿をした貯金箱だった。
何気なく受け取ると、彼は困ったように笑いこう言葉を放つ。
「先生のところにあってさ。たぶん忘れ物だよ」
「そうなの。ねぇ、どうして私なの?」
「俺この後、用事があってさ。悪いけど届けてくれない?」
どんな用事があるかわからないが、クリスは承諾する。
小さく頷き返事をすると、男子はお礼を言ってそのまま去って行った。
クリスはもう一度手渡されたブタ貯金箱を見る。どこからどう見てもかわいらしい子ブタちゃんだ。
「小説の主人公みたい」
思わずそう呟いて笑う。
すると突然後ろから誰かに抱きつかれた。咄嗟にバランスを取り、後ろを確認するとそこにはリリアがいる。
いつものように匂いを嗅いでいるのかな、と思っているとなぜかムスッとした表情を浮かべていた。
「どうしたの?」
「……クリスのにぶちん」
何が言いたいのか。リリアの言葉の意図がわからず、クリスは小さく頭を傾げる。
そんな彼女を見て、リリアはさらに機嫌を悪くしたのだった。
「これから先生を探しに行くけど、来る?」
「行く」
ムスッとしたままリリアが後ろをついてくる。
どうしてそんなに不機嫌になっているのか気になりつつ、クリスは一緒に学園を歩き回り始めた。
しかし、どこを巡ってもレミア先生はいない。
「お腹空いたぁ~」
気がつけば太陽が高く上がっていた。リリアのお腹は空っぽなのか、かわいらしい鳴き声を上げている。
クリスはそんなリリアを見て、一旦探すことをやめた。
彼女同様にお腹が空いてきたこともあり、何かを食べようと考えたためだ。
「何食べる、リリア?」
「そうだねぇー。今日のランチ次第かな。あんまり好きなのじゃなかったらサンドウィッチ!」
「じゃあそうしよっか」
二人はレミア先生の捜索を一時中止しようとする。
だが、食堂を目指して振り返った瞬間に冷たい風が背中を撫でた。
思わず振り返ると、一つの部屋へ続く扉がある。飾られている札を見るとそこには〈図書室〉という文字が記されていた。
「どうしたのクリス?」
「なんか寒気がしない?」
「うんにゃ? あ、もしかして風邪引いてた? なら私が――」
「リリア、真剣に聞いてる」
クリスはまっすぐとした強い眼差しをリリアに向けた。
そんな目を見て、彼女はふざけることをやめる。
クリスが感じた寒気とは何か、と考えつつも感じたままのことを告げた。
「私は感じないよ。どうしたの?」
「図書館から吹いてくる。なんだろうこれ……」
リリアはクリスの顔を一度見る。そして勇ましく笑い、「私が確認してくるね」と言葉をかけた。
彼女が先行して扉が開かれる。直後、妙な輝きがリリアを包み込んだ。
「えっ?」
それは一瞬のことだった。
光に包まれたリリアは、そのまま吹き飛ばされクリスへぶつかる。
クリスは咄嗟に受け止めようとしたが強い勢いを殺しきれず、一緒に倒れてしまった。
何が起きたかわからず、クリスは身体を打ち付ける。
痛む背中に顔を歪めながら身体を起こす。すると受け止めたはずのリリアとブタ貯金箱が消えていることに気づいた。
「あれ?」
クリスは思わず二つの存在を探す。しかし、どんなに辺りを見回してもそれらしいものはない。
ふと、視線を上げると図書室の扉が開いていることに気づいた。
恐る恐る奥へ視線を向けるとそこに、さっきまで持っていたはずのブタ貯金箱が転がっていた。
クリスは息を飲む。そして覚悟を決め、図書室へ足を踏み入れた。
そこに広がっていたのは見たこともない模様だ。よく見ると幻想文字が書き込まれており、線と思えていた部分は文字が並べられている。
ほのかな輝きを放つそれを見て、クリスは呆然とする。
ひとまず転がっているブタ貯金箱を回収しようと手を伸ばした瞬間だった。
『うぅー、痛いー』
ブタ貯金箱から妙な声が聞こえた。しかもそれは聞き慣れた声である。
思わずクリスは部屋の中を見渡す。だが友達であるリリアの姿はどこにもない。
まさかと思い、ブタ貯金箱に目を向ける。するとそれはモゾモゾと動き始め、覗き込んでいるクリスの顔を見上げた。
『あれ? クリス、なんでそんなに大きく――』
「もしかしてリリアなの?」
『もしかしなくてもリリアだよ。それよりどうし、て?』
リリアは自身の手を見つめる。それはかわいらしい小さなブタの蹄だ。
彼女は気づき、慌てて自身の顔を触る。何か姿を確認できるものはないか、と探しているとクリスが持っていた手鏡を使った。
リリアは自身の姿を確認する。
とても小さな身体。手のひら子ブタと呼べるサイズであり、とてもではないが人ではない。
『何これぇー!』
こうしてリリアはブタ貯金箱になる。
あまりに突然なことに、クリスはただただ唖然とするしかなかった。
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