第65話 家庭教師④ 親子3人……
「おはようございます。黒川様。宮田不動産の真道と申します。」
真樋が美結に家庭教師をした翌日。
日曜出勤をして物件を案内するため、待ち合わせ場所である駅前で顧客と待ち合わせをしていた。
待ち合わせ時間よりは若干早いが、真樋の前には顧客である3人組が現れる。
一人は小さく両側から大人の手を握り、仲の良さを表していた。
それは、端的に言えば親子3人組である。
そして真樋が挨拶をすると、名刺を男性に手渡した。
「へぇ、こんなに偉くなってたんだ。」
名刺の名前……には然程目を落とさず、肩書の方に目が行っていた。
「本日は弊社をご利用いただきありがとうございます。ご希望の物件以外にもいくつか用意がございますので、また説明もありますので車の中へどうぞ。」
真樋は車のスライドドアを開け、3人を車の中へと誘う。
一万円札が500枚くらいはする少しだけ高級なワンボックスカーに案内した。
真樋に促され中部座席に座った3人、運転席に座った真樋。
資料を取り出した真樋は後ろを振り返り、3人の主人たる男性を中心に資料を手渡した。
「なぁ、仕事だから仕方ないのかもしれないけどさ、俺達の間だけでも普通に昔のように接してくれないか?お前から敬語で話されるとなんか調子狂う。ってか吐く。」
「吐いたら……請求しますよ?」
御立派な車ではあるが、
そのため、破損や汚損には当然修理費用がかかるのである。グループ会社内であってもその辺りはしっかりと別会社なのである。
「あーっはっは。もう無理。真道君、真面目過ぎてもう無理。」
真樋の目線に存在する3人組のうち2人は、良く知る人物だった。
高校時代、大学時代と仲の良かった友人達の2人、黒川有馬と三朝(旧姓:草津)である。
そして真ん中にいる無口で小さな子供は二人の娘であった。
真樋が2年の出向に出る前、2人は結婚をしていた。
そしてその出向の期間中に娘を出産していた。
「そろそろ一軒家が欲しくてな。子供ももう一人くらい欲しいし、将来を見据えて子供部屋も二つ取れるような家に住みたいと思ってるんだよ。」
「一人一部屋でも一つは
三朝は母親となった今でもヲタク活動をしている。
夢月との付き合いはなくなったものの、今でもコスプレ関係で年に二回の大型イベントには参加していた。
結婚後、出産後も休みこそ取得したものの会社を辞めたり配置転換をしたりはしていない。
全従業員に寄り添った職場であるようで、不当な退職や配置転換などは存在していなかった。
後に黒川本人から、「出産しても体型変わらないんだよ、母乳時期もそんなに大きくならなかったし。」とささやかれていた。
その言葉に真樋は、「嫁に殺されるぞお前。」と返していた。
「まぁわかったよ。そっちが良いならそうする。」
顧客の許しを経て、真樋は普段通りの口調へと戻っていた。
「今は屋根裏部屋とかはないんだろ?あれ結構夢があったんだよな。それと真道じゃないけど地下室にも浪漫を感じる。」
真樋は事前に希望の地域や大まかな間取りなどを聞いており、紹介する物件をいくつか見繕っていた。
もちろん、それ以外にも多様な要望に応えられるように、他の物件の用意も忘れてはいない。
ただし、黒川の言う通り現在では屋根裏部屋というものは存在しない。
そして地下室は建売住宅では存在しない。山間部にでも建設しない限りは、地下という概念は建売の一軒家には存在しないのである。
「やっぱりリビングは真っ直ぐが良いね。キッチンからリビングが見えるってのが良い。」
真樋は4件程のモデルハウスを黒川にを案内し終えると、黒川達夫婦は見学したモデルハウスの総評をしていた。
最初こそ無口ではあったが、黒川達の娘……伊香保は部屋等を見る度に感動を口にしていた。
新築の建物は何物にも汚されていないため、とても清潔で何もなくて壁も白く綺麗なのである。
子供であるため、思った事が口に出てしまうため、現在の黒川邸の悲惨さが容易に想像出来てしまう真樋だった。
なお、伊香保の名前の由来は、結婚したら群馬の温泉地らしさがなくなってしまうからという理屈で、嫁である三朝が考えたという事である。
流石に下の名前で猿ヶ経や万挫はなしとなったようである。
「別に今日決めなくても良いんだけどさ、こういうのは直観が大事とも言うしなぁ。」
黒川達の頭の中ではある程度希望に沿っていれば、早々に決めたいと真樋は初めに聞いていた。
出来る事なら4月の頭には引っ越しが出来ている事が望ましいという事も。
それは4月から伊香保は小学校に通う事となる。
地域に拘っているのは、現在の住まいから極端に離れて学区が変わってしまわないことである。
せっかく覚えた通学路がすぐに変更になっては、伊香保にとってよろしくないという考えであった。
家に限った事ではないが、大事を決める時というのは、後に振り返るとそういう運命だったという事が多い。
今朝まで残っていた好物件が売約されていたがために、別の物件を見に行く。
その別物件を見たために、最初に考えていたあそこより、今見たここの方が良いなんて思う事はある。
そしてその別物件に決めて、後程知る事もある。
着工日や竣工日が身内の誰かの誕生日や結婚記念日等、忘れたくとも忘れられない日にちが付随したり。
そこに決めたばかりに、その後の引っ越し日が同様に何かの記念日と重なっていたり。
えてして運命としか言えない事というのは、それなりに存在するのである。
「最初に見た物件、家の地域や間取りは良いんだけど、道路がちょっと狭かったし街灯が少ないから夜が怖いよな。」
車をブロックなどにぶつけてしまいそうで、という事である。
4m道路で若干入り組んだ場所にあるため、夜間車で帰宅する際などに不都合が生じそうな立地ではあった。
しかしこの黒川曰く不都合そうな物件、のちに2週間とせずに別の顧客が購入する事となる。
担当は真樋であった。全部で4棟あったのだが、共通道路が必須な3棟含めて全て売買契約に至っていた。
黒川は不都合と判断したが、ハウスメーカーなどはあくまで不動産屋であるため、街作りにまで手を出す事は出来ない。
道路の区画整理等は行政の仕事なのである。
そのため主要道路など道幅については弄れないし、勝手に街灯をあちこちに建てる事は出来ないのである。
「場所で言うならこことか良かったけどね。幼稚園・小学校・中学校とそんなに離れてないし。LDKも真っ直ぐだし。」
「スーパーや郵便局も近いしな。新興住宅地だから若干値が張るかと思ったけど、そうでもないよな。まぁ新興住宅地と言っても少し離れてるからだろうけど。」
「と言うわけで、もう少し……安くならない?」
話が飛んでいるためどういう理由で、「というわけで。」に繋がるのかは黒川の頭の中にしか存在ない。
「あまり言えないけど、決済期ギリギリならそうなるだろうけど、それまでの期間残ってるかと言われると多分売れるよ。そこはまだ着工前物件だけど。」
黒川達がここ良いかなと言った物件は、合計で5棟が建設される。
しかし現在は、モデルハウスとなってる1棟以外は区画整理だけされた整地である。
顧客の希望で車を3台置けるスペースが欲しいという要望で、庭を少し小さくするなどの変更は現在であれば可能である。
「モデルハウスなら少し値段も安くなるけど。」
「う~ん。綺麗に扱っていても既に色々な人が出入りしてるのはちょっとなぁ……」
黒川はそう言うが、実際には購入者に不都合となるような傷や汚れは滅多な事では起こらない。
日本人特有のものかも知れないが、基本的には来客者自身が汚さないように努めてくれている。
トイレや水道などは使用出来ないようになっているので、そういった面での汚れなどの心配もない。
人が入ったというだけでの多少のものはあるが、それは引渡し前に清掃や直しは当然行われる。
「もしこの区画で購入するなら、真ん中のここかここだね。端っこは強風とかの時にもろ受けそうだし、風の向きにもよるけど端の家が壁になってくれそうだし。」
三朝の意見はあくまで個人のイメージである。
現実には然程大差はない。台風や強風等の場合、端や中で受ける影響に差はほぼない。
「そこは気分の問題だろう。後はゴミ集積所になる角地も少し安くなるけど……」
「じゃぁ家そのものが安くならないなら、何かつけてくれたりはしないのか?照明器具つけてくれたりカーテンレールつけてくれたり網戸つけてくれたりみたいな。」
黒川が言っているのは、所謂制約特典の事である。
「それは大家さんに交渉は出来るけど、伊達に色々資格取ってないしな。」
「最初注文住宅を探していて断念したんだけどさ、一応〇〇銀行の審査受けて3500万円までは通ってる。」
半年ほど注文住宅で様々な不動産屋と話をして、見積もりを取ってとやってきたが、最終的には値段で断念していた。
土地が0円ならば可能であるが、所謂第12号住宅という制約等に阻まれてきた。
都市計画法第34条第12号、市街化調整区域は原則として宅地の造成や建物の建築は出来ない。
ただし、当該市街化調整区域に20年以上居住する6親等以内の親族がいて、現在その土地を求める本人が居住する住まいが自己所有でない場合、自己の居住する目的で建築物を建築する目的であれば、開発する許可を取得する事が可能となる。
つまりは、地主の家族や集落のように身内がそばに居住している狭い世間でなければ、この12号区画というものにはほぼ建設が不可能という事である。
親戚などは遠くに離れているからこそ、夏休みなどに遊びに行くなんて事が出来るから嬉しいのではないだろうか。
近すぎる親族なんてのは、現実ではほとんど存在しないだろう。
「この辺りで注文住宅を建てたかったら4~5000万円は必要だよ。最低でも4000万かな。」
真樋が発している情報は、公表されている事実なので、情報漏洩などには当たらない。
「駅までも近いし、学校等も近い。福祉施設も車で5分程度のところにあるし、申し分ないんだよな。」
様々な施設が徒歩で20分圏内、車で5分圏内と立地としては好条件である。
30年前が田んぼであった事を除けば。
尤も関東平野にあって、元が田畑であったり戦場であったりと昔の事を詮索しても栓無き事でもある。
東京だって半分は埋立地なのだから、歴史の教科書でしか見た事ないような時代の話をしても、意味はない。
「俺はこっちのど真ん中が良いと思うけど、みさっちはどう?」
黒川はたまに三朝の事を「みさっち」と呼ぶ。他には「みさみさ」「みさねぇ」といくつかの渾名があった。
学生時代ほとんど呼んでいた事はないけれど、小学生の時に学校で呼ばれていた渾名の数々ではあった。
当時は同じ学校ではなかったため、真樋が知る事がなかっただけである。
「確かにこの真ん中の家ならインナーバルコニーだから雨の日でも洗濯物が濡れる心配は殆どないかぁ。」
湿気や水気は別にしてと付け加えた。
軽い家族会議の結果、黒川は購入を決意した。
真樋は大家へ連絡し、物件の仮押さえを実施。
手付金として50万円を受け取り書類を交わす。
大家への連絡の際、先程黒川がお願いしていた項目は全て通した。
真樋の話術の賜物である。ついでに子供用の遊び場となる砂場の設置も確約していた。
流石にブランコは不可能だったが……
「それじゃ、3日以内で会社に来れる日はあるか?本契約は会社でないと出来ないからさ。後はその際に持参してもらわなければならない必要なものが……」
元の駅前に黒川一家を送ると、その日はそれ以上何もなく別れていった。
「黒川達も結婚してたんだっけな。それに可愛い子供までいて……」
当時忙しかったが結婚式には参加していた。
その後に資格試験等もあったために、記憶の中で曖昧になっていただけで。
黒川達と別れて一人になったところで、親子三人仲良くしていた姿を思い出し、一人哀愁を漂わせていた。
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