第64話 家庭教師③ 血は争えない
「これはだれの入れ知恵だ?」
綺麗に整理整頓された美結の部屋。
若干甘い香りが鼻を擽るのは、思春期の女の子特有のものだろうか。
異性には良く見られたいという見栄ともいうべきプライドか。
それならば本棚に陳列している本も隠すべきではある。
漫画やライトノベル、そして同人誌と思われる背表紙達。
参考書の類はその中に埋もれるように、寂しそうに1ブロックに収められていた。
そして真樋のツッコミであるが、それは美結が最初に教えて欲しいと持ち出した教科によるものである。
その表紙には「保健体育」と書かれている。
「お母さんから苦手な教科から制覇した方が良いって。」
「そりゃ普通のテスト勉強ならそれは一つの方法だろう。しかしこれは入試に向けた勉強だろう。体育大学やスポーツ推薦に向けた勉強じゃないんだから……」
性教育を教えて貰いたくて
世の中にはそうした駆け引きも存在するとかしないとか。
「半分本気で半分は冗談です。」
美結は保健体育の教科書をしまい、主要五教科の教科書を取り出した。
「いつか手取り足取り腰取り教えてくださいね。」
「ヲイ。ナニ勝手なアテレコしてるんだ。」
今の手取り足取り発現は美結のものではない。
差し入れを持ってやってきた、真樋の背後に立っていた夢月のものである。
「そして何かわいこぶって純真無垢な娘の表情に合わせてアテレコしてるんだ。」
「邪魔するなら出ていって。」
美結さん、ややおこである。
夢月が差し入れを置いていくと、その後の勉強はスムーズに進んでいった。
正直真樋が教えなくとも問題に然程詰まる事はなかった。
過去問題集の穴は、そう時間をかけずに埋まっていった。
わかり辛いところは真樋に訊ねたりはしたが、基本的には態々教えるという事は必要としていなかった。
ただ、時折真樋は視線を感じていた。
カンニングがバレないかな?と周囲を気にするテスト中の生徒のような、チラッチラッとしたものである。
若しくは顔色を窺う叱られている子供の視線のような。
夢月が差し入れたおやつと飲み物は既に空になっている。
教科の合間に10分程の休憩を挟んでいたからである。
「の、飲み過ぎたみたい……」
と、いったところで勉強初日は終了したのであった。
この後美結がどうなったのかは、本人の名誉のため各人の心の中にしまっておくことだろう。
「夢月は控えめに言ってたけど、美結ちゃんかなり出来るじゃん。流石夢月の子だとったよ。」
合計3時間程の勉強を見て、真樋は美結の出来の良さを理解していた。
本当に誰かに教わるなら、塾や職業家庭教師でなくて良いのかと思うくらいには勿体ないなという事も。
「人間、目標があると頑張れるんだよ。それは私自身で実感してるし、会社で偉くなった真樋も理解出来るんじゃない?」
元々夢月との共同の夢を叶えるために選んだ進路、そしてその先の未来。
早々に夢は粉砕される事になったが、一部は残っていた。
夢月と共にという部分がなくなっただけで、歩き始めた不動産業の道とその先に見える理想の家つくり。
一心に描いたもののために真樋は資格を取得しまくり、自分が社長兼設計者兼現場監督としてやっていける程のものは持ち合わせている。
「まぁ、否定はしない。無我夢中とか一心不乱とかそういうのもあっただろうけど。あとはヤケクソか。」
これまでの16年ほどを振り返った真樋は、大学生からの人生が過ぎった。
勉強を教えるのはともかく、受験対策という意味では自身が受験生だった時の現役としての対策2回だけである。
それが他人の受験の役に立てるのか、真樋にはまだ理解出来ていない。
「とりあえず、基本的には俺が休みの日じゃないとこの話は継続は難しいぞ。」
不動産屋の休日は水曜日が多い。
それは休日にまとまった休みが取れる顧客が物件を探す事が多く、月曜日はそうした土日に契約を交わした顧客の契約書類などに忙しい。
そのため休日から離れた水曜日を休みにしているところが多くなる。
また、水という文字が水に流すではないが、「流れる」イメージがあるためでもある。
契約が流れるというイメージにも繋がり易いため、水曜日に休みを設ける傾向にあるのである。
宮田不動産においては土曜は半数ほど、日曜は完全に休日という体制を取っているが。
「可能な日や曜日を送ってくれたら、お願いする日を返信するよ。」
受験生だから基本的には勉強中心の生活となる。
まして試験まであと何か月も残っていないのだから猶更であった。
「来週以降は帰ってから送るわ。俺にだってプライベートはあるし、ここまでの距離なんてのもあるからな。」
電車で1時間も掛からない距離だが、出掛けるのだからそれなりに往復や準備で時間を要する。
美結はまだ
最後の挨拶はまだだったが、決して多くはない真樋の休みの時間を多く割くわけにはいかないと夢月は思っていた。
夢月の裏の心の中では、この後夕飯を3人一緒に取ってあわよくば……なんて考えていたのかもしれないが、寸でのところで理性が意識を勝ち取っていたのである。
「美結には悪いけど、あまり引き止めるわけにもいかないよね。」
それがこの時間の終焉を意味するものとなる。
真樋の中でも、帰宅が遅くなると翌日に響いてしまう。
明日は日曜であるが、一件内覧の顧客の予定が入っていた。
会社としては基本的に休みであっても、顧客都合でこうした接客が入る事はある。
休日出勤をした社員には、時間に応じて代休の取得だったり、休日残業として給料へと反映する。
「偉くなるとこうした応対も増えるし、資格取り過ぎて俺でないと駄目な件もあるしな。」
夢月は玄関で真樋を送り出した。
駅まで送るなんて事をすると、それ以上を求めてしまいそうだったからである。
真樋は真森家の玄関を出ると、そのまま帰路へとついた。
後ろ姿を見守る夢月は一つ、小さな溜息をついた。
「やる気スイッチは講師の先生じゃ、押す事はおろか出現すらさせられないんだよ。」
さらに夢月はボソっと言葉を漏らしていた。
夢月は恋は盲目のような言葉を自身で理解している。
自分が受験生だった頃を思い出せば、それは必然的に理解してしまう。
夢月は理解していた。
美結が幼い頃からずっと真樋の影を追っていた事を。
それが父を求めるものなのか、異性を求めるものなのかは別として。
「血は争えないのかな。」
室内へと戻り誰も聞いていないリビングで、夢月は独り言葉をごちた。
美結が
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