第61話 出向⑨ 再会と出世

「真樋……」


 最後に会ってから数年が経過しているが、真樋視点で殆ど見た目の変わっていない夢月の姿がそこにはあった。


 仕事帰りなのか、隣には美結の姿はない。


「夢月……」


 夢月の呟きに、真樋も同様に名前を漏らすだけであった。




 駅構内にあるコーヒーショップ、店内に向かい合わせで座った二人。


「係長昇格が確定した出向?それって凄いね。他の会社の事知らないけど早いのかな。」


 早いのかというのは出世という意味である。


 会社が違えば当然業種も異なる。会社や事業所それぞれに昇格昇進の条件も異なるので一概に早い遅いと決めつける判断とはならない。


 30になるかならないかで係長職は恐らくは早い方ではないかと、夢月の中では考えていた。


 真樋は一度キャリーケースを寝かせてチャックを開けると、いくつかの袋を取り出した。


「何も考えてなかったからどうかわからんけど、お土産。」


 2年という時があるため最後の数ヶ月に購入したもの以外は実家に送っている。


 食べ物に至っては既に家族の肥やしとなっている。


 温泉の素はいくつか持って次の地へ行っていたため今もキャリーケースの中に入っていた。


「温泉の素とお菓子と……ナニコレ?」


 夢月の手に握られた先端に丸みを帯びた木製のナニカ。


 その丸みの部分には色のついた絵が描かれていた。


「こけし。決して電動こけしではない。」


 松嶋で何度かこけしの絵付け体験を行っていた。


「俺にはあまり絵心はないからな。あまり絵柄については気にするな。変な事には使うなよ?」


 墨や絵の具を使って描いているため、水気に晒すと溶けて惨事になってしまう。


 電動こけしのような使い方をしようものなら、股間が黒くなったり赤くなったりしてしまうだろう。



「そういや、美結ちゃんは学校とかどうなんだ?」


「可もなく不可もなく……だよ。いじめとかもないし。勉強に遅れもないし。中の上というか上の下っていうか。運動は得意ではないけど。」


 運動が得意でないのは仕方がない。病気がちだった幼少期があるのだ。


 治ったとはいっても身体が活発になったというわけではない。


 それに再発しないとも限らないし、何が原因で再び悪くなるかは誰にも想像出来ない。


 脳裏にそういったものがあれば、勝手に身体をセーブしてしまい運動能力が向上しないのかもしれない。


 たまにテレビでお笑い芸人が運動苦手芸人として奇特な行動をする事があるが、そういった苦手というわけでもなかった。


「楽しく過ごせてるなら、それに越したことはないな。」


 美結が病弱だった事は聞いていたので真樋も知っている。


 だからこそ、無難に生活出来ている事を聞くと、自分の事のように喜ばしい事であった。


「夢月も……こっちでそれなりに生活基盤が確立出来ているようで良かったよ。」


 積もる話もあり、夢月が例の会社を辞めた後、パートをしながら女手一つで美結を育てた事。


 慰謝料や養育費は、宮田法律事務所の弁護士がきっちりと勝ち取った。


 そのおかげで資金的な面では然程の不自由はない。


 

「美結の事はあるけど、家でじっと主婦だけをしているのも性に合わなくて。」


 たまに美結の服を作ったりはしてるとも付け加えた。


 コスプレをしていた時の名残で、美結の幼児期の服を製作していたりしたのである。


 それからコーヒーを飲み終わるまで、雑談を交わして互いの数年間を埋めた。



「じゃぁ俺は帰るよ。4月からまた地元だし。」


 真樋は伝票を持って立ち上がった。


 夢月に対する男心でもなければ、昇格して給料も良くなるからでもない。


 自然な行動の流れで真樋は夢月の分の飲食代も持とうとしていた。


 その何気ない仕草に当てられたのかは定かではないが、夢月は店を出た時に真樋の服の裾を掴んで引き留めようとする。



 浦宮駅の西口には飲食店や大人の街などの歓楽街が存在する。


 大人の男女が時間を費やすには、都合の良い街でもあった。


「俺達はもうそういう関係じゃないだろ。」


 真樋は1年半前、別れ際に金田に言われた言葉を思い出す。


(まだ……あの人がいるんですね。)


 肯定も否定も出来なかった言葉が、真樋の脳裏で渦巻いていた。






 4月に入り、かつての本店に出勤する真樋。


 懐かしさを感じつつも、以前までは別の係長が座していた机と椅子に真樋は落ち着いていた。


 当時座っていた面々も、同じ席の者、別の席に移動している者と様々であった。


 係長の席は所謂お誕生日席である。


 つまりは班員達の横顔を見る形となる。


 真樋の目の前には、出向前には一人前と称する事になった朝倉謙太の姿があった。


「そういや朝倉、お前風俗ビル建てたんだって?」


 真樋が出向に行っている間に、加須壁駅西口の風俗街に新たなビルが建設されていた。


 そこの建設に宮田グループが絡んでおり、テナントとして風俗店がいくつか入店していた。


「知り合いとの共同経営ですよ。社長から副業も可ってのは確認してますし。それに経営には殆ど絡んでないんで。」


 はじめてのおるすばんという、業界での経験の浅いキャストのみを採用した、初々さを売りにした店であった。


 宮田グループは犯罪以外のなんでも手掛けているのが売りである。


 この店も結果的にはグループ会社の一つであった。


「お前、彼女いただろう。お前がおまわりさんに捕まってしまいそうな感じの。」


 彼女がいたからどうというわけではないが、偏見や固定観念を持たれないのかという意味で聞いていた。


 朝倉の彼女が小さく童顔であるため、少女感が満載なため一部社員から朝倉=ロリコン大臣と渾名が出来ていた程である。


「それが、うちの彼女公認であります。俺が言うのもなんですが、かなりの変態なんで。」


 それ以上は何も言えない真樋は、羽目を外さない程度にしろよと言うのが関の山となった。






 係長として真樋が3年職務を全うすると、本店で営業所長……課長職へと昇格した。


 同時期に宇奈月もまた、浦宮営業所で所長へと昇格していた。


 これ以上の出世となると、グループ会社の本体への異動か、グループ内他社への異動くらいしか残っていない。


 宮田不動産という会社の中では、経営側の方に回らなければ頭打ちとなる。


 尤も課長職が経営側でもあるのだが……




【真樋……少しの期間で良いの。美結の勉強見てあげられないかな?】


 帰宅した真樋が携帯電話を開くと、夢月から届いていたメッセージを目にした。


 真樋が営業所長になってから数年、35歳となり色々なものが適齢期を超えていた。


 特に意識をしたわけではないが、真樋が思い返してみると、かつて会った夢月の娘である美結は15歳。


 今年度高校受験を控えていた。 

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