第58話 出向⑥ いくつものサ・ラ・シ
ぱんぱんぱらぱんぱんぱん!ばばばばばばばばん!ばばんっ!
怒涛の連続花火でこの花火大会の幕を閉じる。
地元テレビ放送ではキャスターや、地元出身のお笑い芸人等が花火大会の解説や実況を中継していた。
廣瀬通りに用意された有料観覧席等は座って観覧をしている人達がまだ空を見上げていた。
歩道にいる人達は、西公園方面へ向かっていた者と、仙代駅方面へ戻る者で二分されていた。
地元近隣に住まう人は、この後電車に乗って帰る事となる。
JRにしても地下鉄にしても、人が溢れてしまうため、終了間際から駅方面へ向かう人が現れていたのである。
花火大会の運営からのアナウンスでは、迷子の案内や歩道は込むため立ち止まらないように注意が流されていた。
真樋達有料観覧席にいた人達の一部は、人の流れを考慮してからか、直ぐには立ち去らずその様子を眺めて暫くは立ち上がらずにいた。
「あ、今更になってしまうけど、二人共浴衣似合ってたぞ?」
真樋は買い出しとトイレを除き、ずっと自らの左右に陣取っていた金田と宇奈月の両女性陣に声を掛ける。
「本当に今更ですね。」
「それでもそう言って貰えるだけ良いですけどねー。」
「あら、私達他の女性陣は似合ってないと?」
カップに残った酒をグイっと飲み干してから答える宇奈月、真樋の腕を無理矢理奪って答える金田、バカップルでも見ているかのようにわざとらしい呆れを見せながら答える田中と三者三葉であった。
「花火大会が終わってから言うセリフじゃないですよねっ。」
モブと化している男性社員が田中の後に続いて真樋にダメだしをしていた。
適当にあしらわれていても、他の男性陣の何人かは合流したその場で女性陣を褒めていた。
「なんでこんな朴念仁が両手に華状態なんだっ」
酒に酔った男性社員が声をあげた。
大声を出して周囲に迷惑にならないよう、その男性社員を他の男性社員が落ち着かせる。
帰宅の列が落ち着き始めた頃、松嶋不動産の面々は立ち上がり、自らの尻を敷いていたシートを畳む。
「では帰りますか。男性社員達は送り狼とならないように。女性社員はほいほいついて行かないように。花火大会は家に帰って戸締りするまでが花火大会です!」
所長の挨拶を皮切りに社員達は歩き始める。
ゴミ箱を見つけると、真樋は自分達が出したゴミを捨てるために列を離れる。
「私はこれから彼氏のとこに行くけど、本当に節操は守ってね。」
田中恋奈が真樋と金田と宇奈月に忠告をする。
田中の彼氏は21時まで仕事であり、残念ながら花火大会中は目下仕事をしていたのである。
「レナは花火停会に来れなかった彼氏に、代わりに自分の花火でも見せるの?」
別の女性社員が田中に卑猥な言葉を投げかける。
花火大会の終了は20時台。まだ下ネタを投下するには若干早い時間である。
流石に卑猥な言葉にはツッコミせずにはいられない田中からウメボシを喰らって、今にも吐きそうになった表情の女性社員は小走りに去っていった。
「送り狼もなにも、いやでも宇奈月は隣の部屋だしなぁ。」
真樋達は仙代駅ではなく青葉通り駅へと向かっていた。
松嶋へは、始発となる青葉通りから行く方が便利なのである。
電車に揺られる事約30分少々、既に馴染深いものとなる松嶋海岸駅へと到着する。
社員のほとんどが同じ駅を利用しているため、同乗した全員が一斉に降りようとする。
彼氏の元へ行くと言った田中の姿はすでになかった。
「おい、二人共着いたぞ。」
酒が入っていたせいか、最初の数駅こそ起きていたものの、気が付けば真樋の左右に陣取る二人は夢の中へと誘われていたのであった。
「ってお前またよだれっ!」
金田の口から漏れ出た透明の液体が、真樋の二の腕で染みとなっていた。
「ふぇ?」
大仏の目が開眼するように、ゆったりと開いた目にはまだ光が宿っていない。
しかし、涎という言葉には反応を示したのか、金田は浴衣の袖で口を擦っていた。
「宇奈月も起きろ。」
軽く肩を揺らすと、ただ頭を添えていただけの宇奈月はそっと目を開いた。
「はっ。ホーロドニー住める地?」
「いや、それじゃ何も凍らないし倒せない。って住める地ってなんだよ。」
「ごちそうさまでした。」×いくつか
真樋達の正面に座る松嶋不動産の社員達が面白がって挨拶をしていた。
駅を出ると、それぞれ家に向かって歩き出す。
飲酒をしているためマイカーで帰る者はいないが、家族に迎えに来てもらう者、タクシーで帰る者、徒歩で帰る者と様々であった。
昼間は観光客でごった返している海岸通り、夜はそれが嘘のように寂しい姿を見せている。
それでも夏はまだ光を放っている方だった。それは日の入りの遅さだけではなく、夏は祭の季節だからである。
遅くまで飲んでいる人が多いため、いくつかの飲食店の灯りが冬場に比べて若干存在しているためであった。
ぽつぽつと、角地を知らせるかのような道しるべのような灯り。
街灯は少なく、信号も多くはないため、こうした数少ない飲食店の灯りは歩行者にはありがたい。
まばらに歩く人達はその灯りを頼りに、またはその灯りに吸い込まれるように消えていく。
「ところで……宇奈月さん、花火が始まったから有耶無耶でしたけど。なんでそんなにセンパイにくっついてるんですか?」
「袖の中に強力磁石が仕込まれてるかで張り付いてるんですよ。」
「そんなネタに引っかかるとでも思いですか?」
Gの件があってからというもの、宇奈月からの好感度パラメータが増加したのか、真樋に対する応対に変化が訪れていた。
少なくとも周囲から見ると、変化があったとしか思えなかった。
ニブチンと称される程の真樋は気付いていないが、明らかに何かの階段を一つか二つ昇っていたように見えているのである。
「さて、そんな事より……今更だけど少し開けてるぞ。」
「ななっ!」
驚いたのは真樋の言葉を聞いて自らの胸元を確認した金田である。
なんだかんだと完璧に近い仕草の宇奈月がそのようなミスをする事はほぼない。
宇奈月は電車を降りる際に自らの恰好を直していた。
「み、見ました?」
上目遣いで真樋を見上げる金田の表情には恥じらいが含まれていた。
「あぁ。つけてないんだな。」
それは胸の装備である。
「私はサラシ巻いてますけどね。」
ぽんぽんと自らの胸を叩いて、冷静にツッコミを入れる宇奈月だった。
「俺も巻いてるな。」
ちらりと胸元を見せる真樋。
「残念ながら潰せる程ないのが悲しいですけどね。」
宇奈月はついでに自虐を補填していた。
「真道君。本当に今更過ぎですよ。浴衣の事といい、浴衣の事といい。」
最初の浴衣の事は褒めた時の遅さを指し、二度目の浴衣の事は金田の胸元事件の事である。
そこからの道程は静かなもので、羞恥に歪む金田をそっと支えながら真樋は宇奈月と3人でマンションへと到着する。
「宇奈月さん、緊急会議です!」
真樋の部屋にくっついていきそうだった金田は、宇奈月の腕を取ると宇奈月の部屋の前に立った。
何かを思い出したのか金田は「フンス!」と鼻息荒く宇奈月を連行していく気であった。
その様子は、最近急に真樋への態度を軟化させた事に対する宇奈月の真意を探るためであろう。
真樋は気付かないが、同じ女である金田には何か思うところがあったようだ。
緊急女子会を開くと言っているのである。
そして宇奈月と金田は揃って同じ部屋へと入っていく。
それまでの両手に華状態の終焉と共に、真樋は一人寂しく自分の部屋へと入る。
浴衣の帯を解き、リビングの椅子に掛けたところで冷蔵庫へ向かう。
帯を失った浴衣の裾を踏まないようにすり歩く。
冷蔵庫から取り出したのは、1本の瓶。
炭酸の効いたうんと冷えたサイダーだった。
夏祭の定番であり、偶々コンビニで売っていたのを購入して冷やしていたのだが、先日のG騒ぎで忘れていたのを漸く思い出したのである。
その前に先にトイレを済ませ、浴衣はそのままに椅子に座ると栓抜きでサイダーの栓を開けた。
「あぁ、アルコールのない炭酸は美味いな。」
それはまるで青春の味だった。
真樋がサイダーで黄昏ていると、隣の部屋から大きな声が木霊する。
「それって吊り橋効果なだけじゃないですかー!」
宇奈月の部屋から大きな声が発せられていた。
隣の部屋である真樋には当然、近隣の部屋にまで聞こえる程の金田の声がマンスリーマンションに響いていた。
幸い花火大会等で酒盛りをしている部屋が多かったため、苦情が来る事はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます