第57話 出向⑤ 夏の風物詩

 真樋達が異動により変化をもたらした松嶋不動産。


 いざ仕事が始まってしまうと、時の流れというのは水流の如く。


 気が付けば東北の地でも薄着をするのが当たり前の季節へと変わっていた。


 学生であればそろそろ夏休みの宿題や遊びの相談などをしている頃であり、社会人であれば盆休みや夏休みの旅行や夏祭りの相談をしている頃である。


 そんな夏に至るまでには当然節目の時期世間でいうイベントが間にはあったわけであるが……


 世間ではイベントであっても、真樋にとっては魔のゴールデンウィークですら何もなく過ぎていた。


 会社のメンバーで行った水族館が何もないと称するのは、水を被って衣服が透けてしまうとか、お土産のぬいぐるみの手触りが良くて、それなら私を触ってくださいとか、そういったイベントがないといけないのである。


 しかし、ラブコメにおけるラブラッキースケベコメスケベもなかった以上、何もなくとなるのは仕方がないのである。


 ただ誰かと出掛けたというだけでは誰も得をしない。


 尤も、歓迎会以外で仲間内の親交を深めた一日ではあった。





 仙代では旧七夕である8月に花火大会や祭があるため、7月に各地から観光客が集まる事は多くはない。


 チャンスはありながらも、金田は現時点で真樋を花火大会に誘えてはいない。


 応援する形となっている宇奈月や田中も、まだ動いてはいない。



 変哲もないまま7月も幾日か過ぎていき、松嶋での出向期間も後半戦となっている。


 窓を開ければ蝉の鳴き声が酒のつまみとなるが、あまり酒の飲めない真樋はコーヒーで晩酌代わりとして過ごしていた。


 そんな折、真樋の携帯電話が鳴ると、その相手は隣の部屋の住人である宇奈月からであった。





 真樋と宇奈月の二人は万一のためと、信頼の上互いの部屋の鍵の予備は預けている。


 その予備の鍵を使って真樋は宇奈月の部屋の扉を開錠すると、声を掛けてから返事を待たずに靴を脱いで室内へと入る。


 電話先での宇奈月が、これまで真樋が聞いた事もない大声で何やら慌てている様子だったからである。


 ましてや、その電話先から頷いが「きゃー!た、たすけでー」と発していたのだから猶更である。



 真樋が扉を開けてリビングへ突入すると、そこには暴漢に襲われている最中の宇奈月……ではなく。


 リビングの床に、うつ伏せで屈辱的なまでに尻を上げた状態の宇奈月の姿だった。


 宇奈月は転んだのか屈辱的な姿に加え、ジャージのズボンが膝下にまでずり落ちていた。


 さらにはジャージの下から現れた紺色の物体。


 今では夜のお店かコスプレ界隈でしか見る事が殆どないであろう、昭和の代名詞の一つでもある紺色ブルマーであった。


 転んだ際に力が入ったせいか、普通に着用している時とは違い中心に喰い込んでしまっていた。


 つまりは、ブルマーの中の神秘の布が若干はみ出てしまっていたのである。


 しかし当の本人は気付く事はない。見ている真樋の目にしか映っていない。


 真樋が見た宇奈月の表情には若干の涙が浮かんでいる。


 暴漢に襲われているわけではないと分かった真樋は、落ち着いて現在の宇奈月の状態を見て冷静に言葉を吐き出した。



「なぁ、宇奈月。前にジャージは見たから薄々感じてはいたけど……」


 真樋は頭を掻きながら呆れたように宇奈月を見る。


 その目は同僚の異性を見る目ではなく、若干のがっかり感を含んでいた。



「へ、部屋着はこんなものですよ。それに誰に見られるってわけでもありませんし。」



「いや、現に俺に見られているだろう。」



「そうですけど、見られる前提がなかったものですから。でも男子ってこういうの好きななじゃありません?」


 何かの現実逃避かのように、宇奈月の身体はおろか視線すら動こうとはしていない。


 まるで窓際を避けているかのようである。


「それで、俺はなんで緊急呼び出しを受けたんだ?電話では物凄い大音声だったけど。むしろ部屋の壁を越えて生の声も聞こえてたんだけど?」


 場合によっては他の部屋の住人から苦情を言われそうな程であった。


 そうでなければ、勝手に110番されていそうな程でもある。


「そ、そそっそ。そうです。ヤツです、奴が現れました。たたたっ助けでください。」


 真樋が宇奈月に問いかけると、宇奈月は恥ずかしい体勢と恰好はそのままに、指先を壁へと差し向ける。


 そして、屈辱的な伏せの状態から復帰出来ないのは、単に腰が抜けただけであった。


 思い出したかのように、電話先で真樋に助けを求めた時のような恐怖が戻った口調となる宇奈月。


「あ、察し。」


 指先の向こう側、窓際のすぐ横の壁の白の中に一つだけ黒い点があった。


 そして真樋はテーブルに置いてあった新聞を丸めると、野球部で鍛えたミスターフルスイングで甲子園に出れなかった悔しさを白い壁にに使わない黒い部分へとぶつけた。


 高校では野球部に入っていないのだから、甲子園に出場出来ないのは当然であるが。



 真樋が全てを終わらせたからだろう、宇奈月は正気に戻り、ずり落ちていたジャージを履き直した。


「綺麗に拭きとってください。元の白い壁に戻してください。でないと気持ち悪くて住めません。」


 夜も眠れませんではなく、住めませんと答える宇奈月。



「全て処理したし、アレはティシュで何重にもした挙句に袋でがんじがらめにしたし、ブレーキパーツクリーナーも使って壁は綺麗にしたぞ。」



 人類ほぼ全ての敵である、黒い甲冑……黒い悪魔……その名は【GOKIBURI】を退治したのは真樋。


 ややグロテクスなものとなってしまった残骸を処理し、戦地となった壁には地雷の跡が残された。


 宇奈月の涙の怒声により、その地雷跡をも清掃する事となった真樋である。





「その……ありがと。」


 黒い悪魔でもあるGOKIBURIを退治してくれた事に対する、宇奈月の礼である。


 ジャージ姿なのが様にならないのだが、普段の出来るキャリアウーマンとは違ってまた新鮮な姿でもあった。



「こちらこそ、ありがとう?」


 今は絶滅して等しい紺色ブルマーを拝める事が出来たのだから、とは言えない真樋の心の声が形となって漏れていた。


「いや、それは忘れて。忘れてくれないとセクハラで……」


 勝手に見せつけておいて、真樋からすればそれは不条理でもあった。


「それは酷いな。まぁ忘れるについてはいいけど。というか、真面目ちゃんイメージの宇奈月の部屋での堕落具合を見たら、男性社員の残念がる姿が想像出来るな。」


 ここでいう男性社員とは、ここ松嶋の事務所だけでなく、地元埼玉を含めての事である。


 仕事の出来るクール系眼鏡女子である宇奈月は、それなりに人気が高い。


 そういった事に疎く鈍いのは真樋に主人公気質があるからなのか、心に誰かが住んでいるかの二択によるものである。



「1匹見たら30匹はいると言うじゃないですか。念のため他にいないかもう少しだけ部屋で待機して貰っても良いですか?」


 その代わり、飲食物は提供するとの事だった。



「まぁ、日付変わるまでの数時間で良いなら。」



 簡単なおつまみとなるものを用意すると、宇奈月がテーブルに並べた。


 流石に酒は用意しないが、冷蔵庫からペットボトルのコーヒーを真樋に振舞った。




「そういえば……仙代って旧七夕に花火大会があるよな。」


 Gの話をぶり返すわけにもいかず話題に詰まったのか、真樋からまさかのイベントフラグの話を始めた。


「そ、そうですね。他の地方からも人が集まりますし、賑わうんじゃないですかね。」


 なぜか鼻のあたま辺りが赤みを帯びる宇奈月。なお、宇奈月も酒ではなくコーヒーを飲んでいた。



「そうですね。今日のお礼もありますし、花火大会は仕事も終わってる時間でしょうから観覧に行きませんか?」


 何を以ってお礼なのかは宇奈月にしかわからないが、真樋にはその真意も言葉尻も伝わってはいない。


 真樋は深くは考えず、その提案に頷いた。



 本来であれば金田が提案したであろう、仙代花火大会の誘い。


 話の流れでまさかの宇奈月が提案する形となった。






「で、結局はこうなるよな。」


 宇奈月に誘われる形となった花火大会。


 浴衣に身を包んだ女性陣一同。


 真樋の右には金田、左には宇奈月。


 観覧席には他の社員達が花火ではなく、中心にいる真樋を見ていた。


「宇奈月さん、なんで貴女までそんなにセンパイにべったり引っ付いてるんですか?」


「引っ付いてはいないですよ。ただ張り付いてるんです。」


 周囲には聞こえない程の小声で互いにだけ聞こえるように耳打ちしていた。



「なになに?花火じゃなくて血の雨が降る感じ?」


 田中恋奈が興味津々に乗り出していた。

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