第51話 社会人⑭ 美結の病気

「同級生の誰かから聞いたかもしれないけど、美結って実は病気だったの。治ったとは思うけど、本当に昨年の今頃までは覚悟もしてた。」


 何の覚悟かは言わずとも理解は出来る言葉。


 美結が死ぬという覚悟である。


 元々病院と自宅を行ったり来たりだったという美結の半生。


 怪我をしたりしなければとりあえずは大丈夫という事で、暫く自宅で暮らしていた。



「離婚が成立したのは本当に最近だけど、決断したのはまだ1年経ってないんだ。要因はその時美結に手をあげた事が決定打だったんだけど……」


 手をあげたとはいっても、夢月にしていたようなビンタや殴打、蹴りなどではない。


 クズなりにも最後の良心は存在していたのか、突き飛ばすというものだったのだが。


 それでも乳幼児には充分に過度な暴力である。


 美結が悪い事をしての叱責ならまだしも、美結に非は全くない。


 夢月から家庭用の財布を奪い取り、それを取り返そうとしていた夢月の頬をビンタし腹を殴った男に対して立ちふさがっただけの事。


 

 どけぇっと男が美結を突き飛ばした。幸い頭は打っていなかったが、身体からは血を流し美結は痛い痛いと泣き叫んだ。


 夢月が美結を庇うように覆いかぶさると、男は財布を持って出て行った。


 そして夢月は救急車を呼び美結を診てもらう事となる。


 男はそれ以来殆ど家には帰っていないという。


 



「血が……止まらなかったの。血小板だか白血球だかに異常があって……」


 唇を噛みしめながら、嗚咽を交えながら夢月は言葉を続ける。


「でも、奇跡が起きて、どうにか輸血出来るようになって、先生が手術してくれて……」



 外傷自体は然程問題ではなかったという、問題は美結が元々持っていた病気だった。


 血が止まらないというとその病気候補は限られてくる。



「血友病は、母親から息子に受け継がれる事が約7割だから考え辛いか……」



「突発性血小板減少性紫斑病は国の指定難病だからもっと考え辛いか……」


 国指定の難病ならば夢月はとっくに相談しているに違いないからである。


 友人なり同期なり、両親なり。


 両親に相談していれば、実家が隣接する真道家の耳に入らないはずがないからである。


「小児白血病?リンパとか。」


 小児がんでも耳に入ってきそうなものではあるが、瀬戸際で止められていたのか真樋の耳には入っていない。 


 後に白状する事になるが、夢月は両親にも相談していなかった。


 離婚騒動が起きてから知る事となった。


 その際には美結の完治が見込めたため、病気の事は真森家と一部の秘密とされていた。


 夢月は首を縦に振っていた。


「色々治療って……という事は抗がん剤治療とか?でも……」


 髪の毛を洗った真樋には、美結の毛が偽物だったようには感じなかった。

 

「最近生えてきたんだよ。」


 抗がん剤治療が終わったり止めたりすれば、失った髪の毛は再び生えてくる。毛根がお亡くなりになっていなければであるが。



「今でも針の跡があるのは、検査で血液検査とか点滴をしてるからなんだ。本当に強い子だよ。私がこんななのに……」



「とにかく、色々な奇跡と努力の結果、今の美結がいるの。」


 その奇跡については夢月はあまり語らない。


 細かい事を言っても情報が精査出来ないからである。


 専門的な事を説明するには、医学薬学はあまりにも難しい。


 奇跡という漢字二文字に集約した方が説明は楽なのである。


「そうか。」


 真樋は夢月の知らない数年間を聞かされ、言葉を失った。


 別に自分から離れた事を責めるつもりは毛頭なかったのだが、改めて傷口を抉るような言葉をかける必要はないだろうと思っていた。


 大変だった事が理解出来るため、大変だったなとか、よく頑張ったなとかは口に出来ない真樋だった。


「序に私も診て貰っててね。身体の痣とか色々バレちゃった。それで雲母の事思い出して……」


 離婚と暴力、強姦に対しての訴訟を決行したという事であった。


「雲母には往復ビンタ貰ったけどね。」


 美結の病気を知る真森家以外の一部が山﨑雲母である。

 

 病室で極悪夫の事、美結の事、夫の事を話す以上、真樋との別れの真意を話していたのである。



「何故相談してくれなかったとか、頼ってくれなかったとか言われたのか。」


 夢月は頷いた。もし真樋が当時に知ったとしても同じ事を言っただろう。


 そこに振った振られたは関係ない。


 

「この一年近くは離婚等で忙しかった。メインは当然美結を元気に育てる事だったけど、その傍ら訴訟関連だったから。」




「そういや……雲母の勤める宮田法律事務所と、私がアパート契約した宮田不動産って同じ宮田なんだね。」



「なぬっ!?」


 思わぬ言葉を聞いて真樋は麦茶を少し吹き飛ばしてしまう。



「これが領収書等だけど……」


 代表の名前を見ると真樋の見覚えのある名前が記載されていた。


 そしてその担当者の印にも見覚えがあった。宇奈月と押されていたからである。


 契約時期を考えれば、宇奈月が一人で最初に契約した契約者という事になる。


 思わぬところで同期の仕事振りを知る結果となる真樋だった。



「これ、俺の同期。浦宮市に配属された同期の女子。」


「へっ!?」


 やや間抜けな声色で夢月が聞き返す。


「あいつの顧客第一号が夢月って……なんか縁があるな。」


「え?真樋って宮田不動産だったの?」


「あぁ、俺は地元の本店だけどな。」


 鞄から名刺を取り出し、夢月に手渡した。



「そう言えば、あいつって言い方……宇奈月さんとは仲良かったの?」



「別に、同期は俺の他に4人だからな。そういう意味では教育期間中は皆仲良かったかな。配属後は他の営業所の同期とは年に数回しか会ってないから、特に仲が良いかと言われるとそうでもないな。」


「同じ営業所に配属された野郎なら結構仲は良いけど。そういや今度あの同窓会をやったホテルでヤツの結婚式があるわ。」



「へぇ、男女の仲って何がどうなって一緒になるかわからないわね。」


 真樋はプライバシーの侵害にならない程度に同期・川俣日光の結婚に至る経緯を話した。


「まさか結婚式よりも先に、あのホテルを使う事になるとは思わなかったけどな。」


 そして布団やらなんやらを弁償する事になるともな……と付け加える。


「あ、あれは……真樋も悪いんだ……よ?」



「お前が上目遣いに見てももう俺にはきかねーよ。」


 その言葉には真樋なりの線引きがされていた。


「まぁ、調子に乗り過ぎたとは思わなくはないけど。」


 ホテルの備品の弁償をする事になるくらいだ、悪いと思わなければ只のチンピラである。


「あ、麦茶切れたね。」


 冷蔵庫に飲み物を取りに夢月は席を立った。


 真樋が時計を見ると既に23時を回っていた。


 約2時間以上真樋と夢月は会話をしていた事になる。


 酒を飲まないのは件のホテルでの事が過ぎるからであろうか。



「真樋はその……この7年程の間誰も良い人いなかったの?」


 どの口がそれを言うか、という質問ではあるのだが、これは夢月の中でもある種線引きをする言葉でもあった。



「俺からは……ないな。」


 意味深な言葉で返す。大学時代、社会人若年時代はあっという間に感じていた真樋である。


 気が付けば25歳というのが現状であり、地獄の新人教育白浜式ブートキャンプも既に過去のものとなっていた。



「俺からはって事は……」



「まぁ、お前以外でバレンタインにチョコをくれた中学時代の後輩とか、真都羽の同級生とかには大学の時に言い寄られたな。後は少年野球で教えてた山﨑の妹とか……」


「ふぅん。それなりにモテてはいたって事ね。」



「誰とも何もないけどな。回想するまでもない。俺が全く相手にしなかったし、のらりくらりと交わしてたからな。」


 回想するまでもないと語る真樋ではあるが、一緒に遊びに行ったり飯を食べたりくらいはしている。


 あくまで友人としてという範囲を超えないように。


 中学の後輩と真都羽の同級生とは大学で再会している。


 とてもウザい後輩となって再会したのである。


 ツンデレならぬウザデレというキャラとでも言おうか。


 真樋は、夢月に萌えない大学社会人生活を話した。


「なんだか酒を飲んで暴露大会をしているみたいだな。」


「そうだね。」


 一切酒は入っていない。真樋も夢月も氷の入った麦茶を飲んでいた。


「多分……美結ちゃんがいなければ、こういった事もなかったかもしれんなぁ。」


 背中を強引に押した同級生の事も少し感謝しつつ、真樋は現状を振り返った。


 夢月は複雑な表情をして言葉に詰まる。 


 真樋の言葉に続ける言葉が見つからなかった。


 先程時計を見てから時間は過ぎ、既に0時も間近に迫った頃。


 真森家に警鐘が鳴り響く事になる。


「ぱぱぁぁぁぁあぁぁああんッぱぱがいないぃぃぃぃぃっうえぇえっぇえぇぇぇぇ!」


 隣の部屋から美結の泣き叫ぶ声がリビングにまで響いてきた。

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