ひとときの安らぎ

1

「コルトぉ! 大変だよぉ!!」

 ブリッジのドアが開くと、ミィミィが駆け出してきた。

 核融合エンジンの接続するため、リバーシスのコンピュータを調整していたコルトは、動揺している彼女に驚いた。

「どうしたのさ」

「カカオフレーバーがなくなったの……」


 一瞬停止するコルトだが、すぐにディスプレイを動かした。


「ちょ、なんで無視しようとしての。死活問題だよ!」

「知るか! 備蓄を考えながらバランスよく消費していればよかったろ!」

 ミィミィは頬を膨らませ、

「だって……転移の修行は力をすごく使うし、特異点のなかはエネルギーが多すぎて集中できないし、モチベ保つにはどうしても味が偏るんだもん」

 そんな嗜好を語られても困る。リバーシスでは自給自足できないのだから。


「大体さぁ、コルトは好きな食べ物がなさすぎなんだよ。そんなんじゃ生きてて楽しくないよ」

「ほっとけ! 俺は歌があれば生きていけるんだ」

 反論すると、ミィミィが無言でげんなりした顔になる。

「なんで何もいわないんだよ!」

「だって、ときどき遠くで歌っているの聴くけど、下手過ぎてこっちが悲しくなるもの」

「そこはほっといてくれ!」

 いや、言われたとおりにしてるし。ミィミィが微かな声で呟いた。

「とにかくお腹減ったぁ。何か食べようよ」

「だからこっちは忙しくて――」

 不意にルナがそのコルトの足にこつんとあたった。

「コルト様、カレコレ6時間ハ作業シテイマス。休憩シテハイカガデスカ? 私ガ代ワリニヤッテオキマス」

「助かる。まだ供給電力と本体の調整が合わないんだ。頼んでいいか?」

「カシコマリマシタ」

 ルナが曲がらない頭部を一五度まで下げた後、リバーシスの端子に接続した。

 気が抜けたコルトは、いまになった鳴り出した腹を押さえながら、

「マウさんに相談するか。もしかしたらダガーヘッドに残っているかもしれない」

「カカオあるかな、カカオ!」

 両手をあげてはしゃぐミィミィに、コルトはまたため息をついた。

 やっぱり俺より年下でしょ……。


 翡翠色の空の真下、大地のように固い枝葉の上にテーブルを置いた。

 せっかくだから外で食べようというマウの提案を受け、ダガーヘッドにある丸テーブルとイスをコルトが用意した。その上にはできたばかりのおやつが皿の上に置いてある。

 酵母の混ざった小麦粉に、卵と乳製品を合わせた焼き物がテーブルの前に並ぶ。黄金色の丸い焼き物の上には、塩化物の混じった油と、植物性の蜜を垂らしている。

マウいわく、パンケーキという料理だ。コルトの銀河では小麦粉は固形食糧かブレッドで用いられるのがほとんどで、ふっくら焼きあがるおやつを見て不思議だった。

「わぁ、すごいなー!」

 ミィミィの皿は特別仕様だ。焼き物の上に蜜のかかったミルクアイスが乗っかり、熱でアイスの下が溶け始めている。

 彼女はスプーンで器用にアイスと焼き物をいっぺんにすくって食べる。

「あったかいのつめたいのが合わさっておいしいー!」

 満面の笑みである。


 向かいにいるマウは満足そうに微笑むと、瓶詰に手を入れて半分になったサンフラワーの種をつまんだ。

「ココアパウダーは流体化の影響で消えたからね。ミィミィさんの舌にあってよかった」

 でも、蜂蜜にアイスはさすがに甘すぎだろうとコルトは内心おもう。

 ミィミィに睨まれたが。

「マウさん、そっちのタスクはどうです?」

「難航してる。なにせ船のサイズが違うからねぇ。電力の生成量が多すぎて、意図的に放出しなきゃならないから、どうするか迷っている」

「常時シールドを展開してもダメですか」

「そうだね。核融合エンジンだと出力が強すぎてシールド発生装置が耐えられない。かといってコルト君の船に強い武装は必要だと思えないし」

 焼き物を一口食べながらコルトが頷く。

 宇宙国家の法律では、船に攻撃兵器を装備してはならない。これはコロニーや惑星同士の戦争を防ぐとともに、流体テレポーテーション中の事故を防ぐためだ。隕石群の調査など、どうしても必要なときに許可が下りるが、コルトの船もその例外ではなかった。

「そちらが謝る必要はないよ。エンジンは私の世界の問題だからね。ユアン相手に並みの兵器では歯が立たないから」

 コルトがはっとしてマウを見つめた。

「あれ? どうしたんだい?」

「いえ、なんかミィミィと似た感覚だったので」

 さっき謝ろうとしたのに、先読みされた。

 コルトはミィミィに視線を向けたが、パンケーキに夢中で気づいていない。

 まぁ、たしかにおいしいから食事に集中したくなるかも。そうおもいながらパンケーキを頬張る。


 マウがまたボリボリとサンフラワーの種をかじると、遠くの空から電子音が聞こえてきた。

「あ――」

 音はいくつかの音階を奏で、鼓膜から胸の内に響いてくる。音楽として成り立つその音のほうに向くと、雨雲のような黒いもやのようなものが次々と現れた。

「ブラックパレード……」

 ミィミィがスプーンを口から放して呟いた。

もやは次第に増えていき、中から黒く半透明の宇宙船が出る。

「あれが噂の幽霊ゴースト船なのか……。はじめて目にするな」

「あのパレード、俺たちが来た特異点の出口へ向かってない?」

 コルトが最初に覚えた違和感はそれだった。

 幽霊船はブラックホールの引力に流されるばかりだとおもったけど、逆らうこともできるのか。ますますスロウスト粒子の謎が深まる。


「コルト様! コルト様!!」

 電子音で構成されたメロディを聞いていると、耳障りな声があたりに響いた。

 ルナがウィンウィンと脚部のローラーを回して近づいてくる。

「どうしたんだよ、いきなり」

「突然、計器ガ数値ヲ読ミ取リマシタ。マッタク不可思議デス」

「人間の知能の一〇倍高いお前でもわからないのか」

「イイエ、一〇〇倍デス」

 いや、そういう自尊心はいらないから。

「ソレヨリ――皆様ドコヲ向イテイルノデス?」

 コルトとマウがいきなり目を合わせた。

「ルナ、お前はパレードを見れないのか?」

「音楽も??」

 ルナはセンサーのカバーを何度か動かし、翡翠色の空を向いたまま硬直している。

「感知不能、ワカリマセン」

「――音もそうだが、電子センサーでは読み取れないのか。ますます興味深いな」

 マウが胸に手をあてながらパレードを見ている。

「人の魂には粒子が存在します。生きている俺たちもその粒子が備わっていて共鳴しているのかもしれません」

「スロウストもその一部なのかい?」

「可能性の一つですが……」

 話を聞いていたルナは無意味に身体を前後にスライドした。

「ヒトガ認識デキナイデータヲ私ガ知ルコトハデキマセン」

 マウはゆったりと腰を下ろしてぬるいコーヒーをすすった。

「宇宙の神秘か……。我々はブラックホールの中にいても何もわからないね」

 コルトは小さく頷き、

「少なくても俺は凡人の域です。あくまで観測したデータを運べばいい。それ以外のことは、一握りの天才が真実を知ればいいと思っています」

「冒険家が天才である必要はない、か」

「そうです。生き残る術と踏み出す勇気があればいい」

 空を見ながら語る二人に、ルナは同じ目線を向けてカバーを上げ下げした。

「ヨカッタラドンナ演奏カ教エテ頂ケマセンカ?」

 コルトは嬉しそうにルナの頭をなでると、

「よし、歌って聞かせよう」

「ちょ、コルト!」

「いいだろ、知りたい奴がいるんだし」

 ミィミィは諦めたのかジト目になる。

 そんな悲観することないだろ。元の音楽があるんだし酷い歌にはならないはずだ。

 深呼吸すると、拳をマイクに見立てて喉を震わす。


「あの世を旅する私たち 宇宙は広いな大きいな♪

 死んだらどこへいくんだろう みんな元気でさようなら♪」


 2フレーズ歌ったところで、コルトのよく知る空気が漂った。

 スロウスト粒子よりも強張り温暖でも皮膚が寒さで震えた。

 何がまずかったのか?

 じッと停止していたルナは、ようやくセンサーのカバーをパチクリ動かす。

「コルト様……本当ニソノ音楽デ合ッテイルノデスカ?」

 顔を背けていたマウがいきなり吹き出した。彼は腹を抱えながら、

「ルナくんはどう聴こえたんだい?」

「AIノ私ガ思ウノオカシイデスガ、不快二感ジマシタ」

 嘘だろ!

「嘘じゃないもん! その端末で録音してるならあとで絶対聴かないとだめだよ!」

 マウがたまらずクククとくぐもった声を漏らした。

「そうだね……少なくても似てはいなかったな」

「どちらかといえばこうだもん」

 ミィミィが椅子を引いて背伸びをする。

 パレードのワンフレーズを聞いた後、小さな口を開いた。

「―――――」

 歌詞はないが、透き通るほどの美声だった。

 幼さとはかけ離れた、木々のざわめきに呼応するような自然な声音だった。マウが目を閉じてその歌声に酔いしれ、ルナがじっと停止して聴いている。

「どう合ってた?」

 マウが拍手を送り、ワカリヤスクテ綺麗デス、とルナが賛辞を贈る。

 無言で突っ立っていたコルトだが……。


「わああああああああー!」


 気が狂ってその場で駆け出した。食事もタスクもほったらかして、葉の上をジャンプして次の葉に移った。

「もうやだ! ミィミィのほうが上手いなんて! もうみんな嫌いだ、絶交だ!!」

滲んだ視界のなか、スロウストの粒子を頼りに次の枝へ飛び乗った。

「次のご飯までには帰ってくるんだよー」

 遠くでミィミィの声が聞こえる。

 絶対帰ってくるもんか!!

 滲む視界の中、悔しさで歯を食いしばった。

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