第5話 ブラッドムーン小隊、発艦
「お前ら、今から飛ぶぞ」
「それだけかよ?長話は嫌いだけど、お前は短すぎだぜ」
「なら、アホのサンドロにも分かるような説明をしてやろう。不明機を確認に行ったヴァローナ小隊がレーダーからもロスト。撃墜されたと断定、尚も艦隊に接近中の不明機1個小隊規模を要撃に向かう」
「おい、それをウチだけで対応するんじゃねえよな!?」
「すぐに後続も来る。その前に、全部俺のスコアにしてもいい」
分かったらさっさと準備をしろ、と言い残したユウジは自分の機体へ飛び乗る。作戦説明なんてどうでもいい、早く飛びたくてたまらない。
機体を甲板へ出すためにけん引され、エレベーターで運ばれる間、心はこれ以上にない程昂っていた。愛した空へと還れるのだから、想い焦がれないわけがない。
そんなユウジとは正反対に、エルナはコックピットで緊張に支配されていた。
訓練隊を出たばかりとはいえ、実戦に出たことはある。しかしその殆どが偵察任務であり、要撃任務は初めてだ。
本当は怖いが、いつものように冷静なアレッサンドロやイリヤを見ていると、それに釣られて冷静さを取り戻すことが出来た。
そうだ、偵察に出る時も変わらない。チェックリストに従って操作すればいい。畳まれていた主翼を展開して、エンジン始動前にあちこちのスイッチレバーを弾く。
そうだ、落ち着いてやれば何も変わらない。どんな時も変わらず、正しいことを出来るようにチェックリストがあるのだから。これの通りにやれば上手くいく、パイロットにとっては聖書よりもありがたい紙だ。
チェックリスト・コンプリート。チェックリストから顔を上げると、丁度エレベーターが甲板へ辿り着いたところで、青空が出迎えてくれた。陽の光が眩しくて手を翳しながら、整備士が機体から離れるのを確認する。
「後ろ離れ、コンタクト!」
訓練通りの号令をかけてから始動スイッチを押すと、轟音に遅れて機体が振動し始めた。後ろではプロペラが荒れ狂うように回転していて、ブレーキが無ければ機体は海に飛び出してしまうくらい、力強く回っていた。
発艦前手順を終わらせて落ち着くと、開けたキャノピーから吹き込んでくる海風が心地よく思えた。
エンジンの轟音で耳がおかしくなりそうではあるが、それはエンジンが正常に動いているという証拠でもある。
「ベルクトより各機、コントロールチェックは済んだか?さっさと出るぞ」
操縦翼面のチェックを済ませたパイロットたちがユウジへ合図を出す。いい感じの向かい風で波も穏やか。発艦にはもってこいのコンディションだ。
ここまでの好条件がそろうことはめったにない。初出撃の幸先は良さそうだ。空が呼んでいるとは、こんな状況を言うのだろう。
出撃準備完了。ユウジは胸元のプレストークスイッチを押し、管制へ出撃許可を求める。この鎖を解き放ってくれ、俺はあそこに還りたいのだと訴えるように。
「ブラッドムーン、発艦準備完了。許可を求む」
「ブラッドムーン隊、発艦を許可。発艦後は方位090、高度3000。艦隊から20キロ地点で会敵と予想される」
「了解。ベルクト、発艦する」
ブレーキを掛けたまま、スロットルレバーを離陸推力の位置へ押し込む。途端にエンジンの回転数が増して、巻き起こす暴風がコックピットにまで吹き込んできた。
ゴーグルを掛けていなければ目を開けていられない程の強風で、その力は押さえつけようとするブレーキさえも振り解き、ゆっくりと機体を動かす。
これを待っていた。さあ、行こう。
ブレーキを解除すると、機体は弾かれたように加速していく。
たった100と数十メートルしかない甲板を一気に駆け抜けて、タイヤから伝わるガタガタとした不快な振動が一瞬で消え去る。
翼が風を掴み、プロペラが背中を押す。車輪とフラップを格納して更に加速し、天への階段を駆け抜けていく。
その背中を見送るエルナの瞳は、まるで子供のように輝いていた。戦闘機の発艦ではなく、猛禽が飛び立つ瞬間に見えた。
羽ばたいていくイヌワシの残した乱気流を身に感じつつ、エルナもスロットルレバーを押し込む。大丈夫、心の温度計は低温を示している。私は冷静になれる。いつも通り、私らしく飛ぶだけだ。
「チャイカ、出ます!」
カモメはイヌワシの背中を追いかけるように甲板から舞い上がっていく。陸上基地とは違う短い甲板を飛び出した瞬間に一瞬沈む感覚と、すぐそこに見える海と空の境界線。
トビウオになったかのような錯覚から我に返ると、レバーを上げて車輪を格納する。空気抵抗が弱まって漸く上昇へ転じ、空の青と海の青が半分ずつ染めていた視界が空の青一色へ染まっていく。
最初は不快にさえ思った浮遊感も、今は揺り籠のように感じられる。
心地よくも思える揺れに身を任せながら舞い上がっていき、太陽まで届いてしまいそうな程高く飛ぶイヌワシを追いかける。
「隊長、後方に付きます」
「ぶつけるなよ。方位を維持、高度3000まで上昇。ヒップとデイモスもすぐに来る」
ヒップはイリヤの事だろうと、エルナにもなんとなく思い浮かんだ。機首に描いた美女の尻にキスしていたのがやはり印象に残る。
ならば、消去法でデイモスはアレッサンドロだろう。最初に聞いておけばよかったとは思うが、それも後の祭りだ。今は隊長であるユウジの背中について行けばいい。
「おいヒップ、デイモス、どこだ?」
「こちらデイモス。高度2500、ヒップを連れて上昇中」
「俺のコードネームはヒップじゃなくてラースタチカだぞ」
「黙れ。お前はレディ・ヒップで十分だ」
抗議を一蹴されたイリヤは沈黙した。きっと、機内ではプレストークスイッチを押さずに悪態を吐いていることだろう。
言葉を交わす方法が無線であるが故に、間違ってスイッチを押さない限りは悪口も言いたい放題。機内はどんな罵詈雑言も上官に聞かれる心配のない、特別なプライベート空間だ。
「チャイカ、方位を維持。速度をもう少し上げろ」
「了解。ええと……」
答えようとしたエルナは詰まってしまう。そういえば、ユウジのコードネームもまだ訊いていなかった。
管制とのやり取りで言っていたのだろうけれども、彼の発艦に見惚れていて聞き逃してしまっている。隊長と呼んでお茶を濁すべきだろうか。
「コードネームならベルクトだ」
それはリオールの言葉でイヌワシを意味する。やはりパーソナルマークの通りのコードネームだったし、彼の雰囲気にはよく合っている。
甲板で見た飛び方はまさに猛禽のように鋭くて、次の瞬間には心を捕らえられて、空高く連れ去られてしまった。
「了解。予想会敵地点はまでは15キロです」
ユウジからの回答がなく、余計なことを言ったかと不安に駆られた。彼程のエースであれば、新米如きに言われなくても分かっていることだろう。
「ごめんなさい、余計でした」
「いや、驚いた。俺より位置標定が早いとはな。しかも正確だ。得意か?」
予想外の言葉に、今度はエルナが言葉に詰まってしまう。彼の答えがなかったのは、怒ったとかそういうことではなく、エルナの標定した位置情報が正しいかを検算していたのだ。
「はい。訓練隊では首席でしたし、洋上飛行は得意です」
「人事記録を読んだから知ってる」
ならどうして聞いたんだと疑問が生じる。顔を合わせてから今までの間でも、彼が多くを語る人物ではないと分かっていた。
それが正しいのであれば、記録を見たのにわざわざ問いかけるのを無駄と断じるのではないだろうか?
「じゃあどうして訊いたんですか」
「アカデミーとか訓練隊で首席だろうと、実戦、しかも初陣で上手く出来る奴は少ない。大したもんだ」
ユウジの経験上、いくら好成績を取ってきた新兵でも実戦になると使えないことが殆どだ。
その新兵たちが無能という訳ではない。戦場という特殊な環境に置かれ、初めて命の危機が迫るからこそ不安や緊張、恐怖といった感情に飲まれて取り乱し、思考停止してしまう。
基地に戻った時には憔悴していて、イリンスキーと見間違えるくらいに老けて見える事もある。
だから、ユウジはエルナへ興味を示した。これから先、間違いなく戦闘を体験することになる。それを想像出来ていないような壮絶な阿呆でないとすれば、肝が据わっているのだろう。新兵でそういう奴は中々いない。
実際の戦闘になればわからないが、道中で落ち着いていられるならば合格。自分の能力をしっかり発揮出来るならば、エースの素質があるだろう。
「ええと、ありがとうございます……?」
エルナは予想外の言葉に面食らってしまう。まさか褒められるとは思ってもいなかったし、そういう柄じゃないだろうと考えていたから、奇襲攻撃でも食らった気分だ。思わず思考が止まってしまったし、彼への興味が増してしまっていた。
あの初対面の印象から認識が変わって、謎だらけの不思議な人と思えた。不愛想で感じの悪い隊長は、どうやら空に上がれば雄弁になるらしい。
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