第34話「『七草』は関係ない」

 数時間後!


「ま、待った!」

「ああ? なにを寝惚ねぼけたことを言っていやがる。囲碁や将棋じゃねえんだぞ」

「終わりだ、終わり! 今日の練習はもう、終わり……!」


 仰向あおむけに倒れた五十郎は、冷たいコンクリートで背中を冷やしながら、あえぐように言った。事務机の向こうで、椅子に座りタブレット端末でゲームに興じている鈴木に。

 五十郎の周りにはバラバラ死体さながら、彼が破壊した石像の頭や手足が転がっている……と思いきや、それらはひとりでに転がって集まり、元の形に戻ろうとしはじめた。


 ま、まだやる気か!?


 五十郎はぎょっとした。汗腺かんせんという汗腺から噴き出た汗という汗が、一気に冷えた感じがした。

 『練習に付き合ってやるよ』――鈴木の言葉に嘘偽りはなかった。五十郎はあれからずっと、鈴木が『忍法混凝土遁こんくりとん』でこしらえた一体の祇園人形を相手に、ひたすら貼山靠てんざんこうの練習をしていたのだった。

 勿論、『おまえが死ぬまで』という言葉にも嘘偽りはなかった。鈴木がる祇園人形の手並みは、そこらの養殖者はおろか、天然者をもしのぐものだった。しかもその体はコンクリート製で、硬くて重い。この数時間の練習のなかで、五十郎は何度となく死を予感させられた。


 だからこそ、意味がある。


 とはいえ、このまま続けていたら、まちがいなく死ぬ。なにせ、五十郎の疲労はおりのように溜まってゆく一方、祇園人形は砕かれてもすぐ元どおり、なに食わぬ顔で立ち上がってくるのだ。そのたびに五十郎は、表情までモデルに似せなくてもいいのに、と思った。

 そういうわけで『待った』をかけた五十郎であったが、彼自身の耳には、その言葉はむなしく響いた。鈴木には、『待った』を聞く理由がないからだ。鈴木はこのまま、練習を続行するだろう……五十郎が『死ぬまで』。


 はやまったか……? 体力があるうちに、逃げておくべきだったかもしれない。


 五十郎はそう思い、またもや覚悟を決めた。


「……まあ、いいだろう」


 が、しかし! あにはからんや、鈴木は同意! いつのまにか修復が完了していた祇園人形も、底なし沼にはまった自動車みたいに、無音で床に沈みはじめる。


「えっ?」

「続けてえのか?」


 祇園人形がり上がってくる!


「続けたくないです!」

「じゃあ、さっさと帰れ」


 そう言うと、鈴木は『𠮟𠮟しっしっ』のハンドサインを使った。


「……おれが死ぬまで練習しなくていいのか?」


 藪蛇やぶへびかもしれないと思いながらも、五十郎はたずねずにはおれなかった。鈴木にしては、不合理な行動のように思われたからだ。

 鈴木、タブレット端末を操作しながら答えていわく。


「おまえが死ぬまで練習するとも。おまえが『忍法祇園梵鐘ぼんしょう』で死ぬまでな」


 五十郎がぽかんとしていると、鈴木が呆れたように補足する。


「そりゃ、そうだろ。貼山靠が祇園に直撃したら、おまえは死ぬ。祇園が死ぬかどうかはわからねえが、おまえはまちがいなく死ぬ。『忍法祇園梵鐘』で大鋸屑おがくずみてえにされてな。だから、それまでは練習に付き合ってやる」

「いや、そうじゃなくって……おれを殺さなくていいのか?」


 鈴木は五十郎に横目をくれた。


「殺されてえのか?」

「殺されたくないです!」


 五十郎は死にかけのセミみたいに、仰向けのままじたばたして鈴木から遠ざかった。それで気がついたが、事務所内からは、練習の痕跡――五十郎が踏み砕いた床や、破壊した祇園人形の欠片――はすっかり消え失せていた。どうやら、本当に今日の練習は終わりらしい。


「まえに言っただろ? クソにはクソの――依頼仲介業者には依頼仲介業者の信用があるんだよ。おまえが望んだ練習でおまえを殺しちまったら、過失致死。だが、おまえは『練習は終わり』だと言った。いま殺しちまったら、殺人だ。そんな真似をしたら、信用を失うからな」


 五十郎は、鈴木の説明を理解することはできたが、納得することはできなかった。しかし、それでよいのだろうとも思った。


「わからねえってツラをしているな?」


 鈴木は、そんな五十郎の心中を見透みすかして嘲笑あざわらうと、鼻を鳴らして言った。


「おれに言わせりゃあ、おまえのほうがわからねえがな」


 五十郎はむっとして問う。


「なにがわからない?」

「おまえはいま、死ぬために頑張っているんだぜ?」


 それは、寿司折すしおりみたいに吊るされて運ばれた、あの黄昏時たそがれどきに提示されてからずっと、未解決のまま棚上げになっていた問題だった。五十郎は、来るべきときが来た感じがした。


「さっきも言ったが、貼山靠が祇園に直撃したら、おまえは死ぬ。それなのに、おまえは貼山靠の練習をしている。わからねえな? 万にひとつ、祇園を殺せて『七草』になれたとしても、死んじまってちゃあ意味がねえだろうに」

 

 ……五十郎は心密こころひそかに考える。


 『七草』になってはじめて、元が取れると思っていた。

 忍学で犠牲になった人生の元が取れると。

 いまでもそう思っている……『七草』になったあと、やりたいことがあるのかどうかは、まだわかっていないけれど。


「『七草』は関係ない」

「……なに?」


 だが、ことここに至って、五十郎は認めざるを得なかった。

 もはや『七草』は関係ないのだ。


 その理由のひとつは、自覚できていた。

 おのが人生の元を取れぬことよりも、あの地獄の日々が無駄になることよりも、恐れるべきことがある。

 この世界の『都合』に、未来永劫、祇園鐘音が生殺しにされつづけることだ。程度はちがえど、同じく『都合』に呪われた天堂五十郎に見過ごせることではない。祇園鐘音が、『都合』に呪われていることにさえ気づいていないとあっては。

 五十郎には祇園が、家庭内暴力に晒されながら、その異常性を知らぬがゆえ、自然なものとして受け入れている子どものように見えていた。

 かつて祇園にけがされた誇りも、とうに関係なくなっている。新たな誇りが生まれたからだ――当の祇園に認められたことで……


「じゃあ、なにが関係あるんだよ?」

「……」


 史上、これほどまでに答えにくい質問があろうか! 


「それは……祇園に借りがあって……あいつ、死にたがってるし……それはもう、どうしようもなくて……おれにも、ちょっとだけ似たような経験があって、どうしようもないのもわかるから……それなら、殺してやりたいっていうか……そのためなら、命を賭けてもいいかなって……?」


 しかし、五十郎は途切れ途切れながらも、頑張って答えた。鈴木はまごうことなきクソではあるが、練習に付き合ってくれたからだ。

 改めて言葉にしようとすると、まだなにか言語化できていないことがあるような気がしたが、いまはこれが精一杯だった。


「わははははははははははは!」


 鈴木はたちまち抱腹絶倒ほうふくぜっとう! 五十郎は、鈴木のクソっぷりを甘く見積もっていた! 恥を忍んで答えたことを後悔しながら、踵を返す!

 鈴木、呵々大笑かかたいしょうしながらその背に曰く!


「お、おまえ……おまえ、マジかよ!? もう思い残すことはねえってか!? あとは祇園と心中するだけだって!? 祇園に冥途の土産でももらったのかよ!? その土産の名は、ひょっとして……思い出!? エッチな思い出ですか!? そうとは知らず、悪かった! おれのつくった人形で、思い出させちまったか!? なんなら、ひとつお持ち帰りするか!? いや、帰ったら本物がいるんだったな! 今夜も思い出、つくるんですか!? あやかりてえなあ! わはははははははははははは! はっはっはっはっはっはっはっ……!」


 五十郎は鈴木の下ネタを無視して、事務所を辞した。ただ、「思い出」という聞き慣れない単語だけは、やけに耳に残った。

 遠く、鈴木の笑い声が響くなか、五十郎は雑居ビルの狭い階段をおりながら思った。


 この日々は『思い出』なのか……?




 そして時は流れる。

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