第17話「頑張ってるよね?」
恐怖存在は五十郎を手提げ鞄みたいに持って、アクションゲームさながら、ビルの谷間を跳んで越え、あいだに幹線道路があれば助走をつけて跳んで越える。
もっとも、五十郎はその変化を楽しむことはできなかった。ずっと
その努力が
「な……なんで、黙っていたんだ?」
「なにを?」
恐怖存在が五十郎に視線を落とした気配はない。彼は、ほっとしている自分を自覚した。
「忍法のことに決まってるだろ……」
「聞かれなかったから」
恐怖存在はいつもどおりだった。それが
あの
「この先……」
「うん」
「この先、おれが……おまえを……殺せたとする」
「うん」
五十郎は口にしてから、気づいた。自分が『殺した』ではなく『殺せた』と言っていることに。しかし、訂正する気は起きなかったし、口は勝手に動いて、続きを話していた。
「そのとき……おれも、死んでるんじゃないのか? あの忍法で……ち、塵になって……」
身の毛がよだつ問いだった。
「そうかも」
答えは、いつもの調子で返ってきた。なんの感慨もなさそうな、どうでもよさそうな……
「そ、そうかもって……」
「でも、それは忍者の習いでしょ」
五十郎は一瞬、言葉に詰まったが、
「ち、ちがうだろ。おれはおまえを殺したいんであって、相討ちになりたいわけじゃ……」
思い直して、言い返した。確かに、殺し殺されるのは忍者の習いだ。しかし、殺されることが前提というのはちがうのではないか? 五十郎はアサニンであって、鉄砲玉ではないし、自爆テロリストでもなかった。
「そう?」
五十郎は前後に揺れた。恐怖存在が立ち止まったのだ。
五十郎は反射的に顔を上げた。
恐怖存在が彼を見おろしていた。
それは、忍法みたいに
「あなたは『ほかになにもない』と言った。
たとえ相討ちでも、わたしを殺せたなら、あなたの誇りは取り戻される。
たとえ相討ちでも、わたしを殺せたなら、あなたは死して『七草』になる。だって、わたしは『七草』だから。
たとえ相討ちでも、わたしを殺せたなら、あなたの目的はぜんぶ叶って、もうなにも無駄になることはない。
それでいいんじゃないの?」
「え……」
……それでいいのか?
と五十郎は思った。恐怖存在の言うことは、なるほど、もっともらしく聞こえた。
相討ちだろうと、こいつを殺したなら、
相討ちだろうと、『七草』を殺したなら、おれは『七草』だ。
それで、忍学で失われた人生の……青春の元が取れる。あの日のおれは救われたと言える。
もう、忍学で過ごした地獄の日々が無駄になるかもしれないと恐れることもない……
それでいいのか?
「……わからない」
我知らず、五十郎は口に出していた。彼は本当にわからなかった。考えたことがなかったからだ。相討ちになったときのことではない……『七草』になったあとのことを。
五十郎は戸惑った。
『七草』になったあとのことなんて、考えたことがなかった。
『七草』になることの『ほかになにもない』と思っていた。
それなら、『七草』になれたら死んでもいいはずだ。
でもいま、相討ちを――死を
おれには『七草』になったあと、生きてやりたいことでもあるのか?
五十郎は浮遊感を覚えた。恐怖存在が跳んだのだ。いつのまにか、五十郎の運搬が再開されていた。
恐怖存在が問答に興味を失ったのだろう。元からなかったのかもしれない。
五十郎はなんだかちょっと待ってほしくなり、
「お、おまえこそ、それでいいのか?」
思わず、聞き返していた。
「なにが?」
「その……殺されたら、それで」
『おれに』とつけることはできなかった。答えはすぐに返ってきた。
「ほかになにもない」
五十郎は、ちがいを思い知らされた気がした。
こいつはきっと、本当に『ほかになにもない』んだろう。そういう凄みを感じる。迷いも一切ない。一体、なにがあったらこうなっちまうんだ?
それに比べておれはといえば、『ほかになにもない』と吹いておきながら、いざ死を匂わせられたら
それでいいのか?
答える者はなかった。この世のどこにも。
五十郎は浮遊感を覚えた。恐怖存在が跳んだのだ。着地の衝撃で、五十郎は上下左右に揺れた。寿司折みたいに吊られた彼の体は、不安定だった。孤独で寄る
「さっきの忍者……」
「うん」
「おれ、あいつらに殺されそうになったんだ」
五十郎の弱気の虫が
「で、おまえはそのひとりを殺した。ただ、歩いて近づいただけで」
「うん」
いつものどうでもよさそうな
「まいるぜ……」
五十郎は溜め息をついた。何年ぶりだろうと思ったが、
「なにが?」
恐怖存在が、そう聞き返してきたからには。
「なにがって……」
五十郎はまた溜め息をついた。数秒ぶりだなと思いながら、彼は覚悟を決めた。言いたくないことを、わかりやすく言う覚悟を。
「おまえ……おれに殺されられると思うか? そういう話をしてるんだよ……」
恐怖存在にも、彼自身にもわかりやすく……
「わかるだろ? おれは、おまえが殺した忍者よりずっと――」
「可能性はある」
五十郎は、発言を
……可能性はある、だと?
「本当かよ……」
「うん。誰よりも」
だ、誰よりも?
「……なんで?」
「諦めてないし、頑張ってるから」
ちょうどそのとき、恐怖存在が走り幅跳びみたいに助走をつけてビルの屋上の縁を蹴り、首都高速都心環状線上を跳んだが、五十郎が
恐怖存在は向かいのビルの屋上に着地すると、足を止めた。
「こんなにわたしを殺しにきたのは、あなたがはじめてだし。こんなにわたしを知ろうとしたのも、あなたがはじめて」
そう言って、五十郎を見おろす。
「諦めてないし、頑張ってるよね?」
「……」
五十郎は目を
……なにがどうなっているんだ?
あまりにも久しぶりすぎるうえ、相手が相手だから、信じられなかったし、いまもぴんと来ていないが……
おれはいま、もしかして……褒められているのか?
それも、殺すべき相手に?
というか、こいつに?
「諦めずに頑張ってた、って言い直したほうがいい?」
五十郎はおのれを宙吊りにしている存在を見あげた。
五十郎は、体の内側から震えが走った感じがした。
「おまえ……たまに
「帰っちゃいそうだったから」
「帰ってりゃよかったよ」
「そう?」
いまはまだ、わからない。
でも、こいつほどの忍者がそう言うのなら……
「……とりあえず、こいつをほどいてくれ。歩けるから」
……祇園が認めてくれているのなら、諦めずに頑張ろう。いまはまだ、その果てに死しか見えないとしても。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます