第26話 突然途切れた電話
「
「心配かけてすまなかったな。とりあえず濡れたままだし、着替えがしたいな。それと風呂にでも入って暖まりたいし」
矢上は楠木から受け取ったバスタオルで顔と頭をふきながら、それから僕の方へと視線を送る。おそらく部屋から出て行って欲しいという合図なのだろう。
「わかった。じゃあそこで待っているから着替えが終わったら一緒にいくよ」
矢上が無事だったとはいえ、
残念ながらこの旅館の部屋には個別の風呂はついていない。事件の起きた浴場に向かうしか風呂に入る手段はなかった。
「
矢上が意地の悪い顔をして笑う。おそらくはわかった上でからかっているのだろう。いつもの矢上と変わらない様子で安堵の息を吐き出すが、しかし本当であれば風呂に向かうのは避けて欲しいところでもある。
麗奈の二の舞になりかねないとも思うが、ただ濡れて身体を冷やしたままが良くないのも確かだ。それに今は忍び込まれた裏口も閉まっているはずで、さすがにもう犯人も旅館の中にはいないだろうとは思う。それでも心配なのは確かだった。
「あはは。いいじゃありませんか。入り口までみんなでご一緒しましょう。私も少し汗を流したいですし」
楠木が僕の方へとウインクを飛ばしてくる。楠木なりに気を使ってくれているのだろう。
楠木が一緒に入って、僕が二人がでてくるまで入り口で見張っていれば大丈夫かと思い直してうなずく。
二人が部屋から出てくるのを少し待って、それから浴場へと向かう。
もしかしたら事件のあとだけに閉められているかもしれないとは思っていたけれど、通常通りに開いているようだ。時間も経っているし、警察の調査ももう終わっているのだろう。浴場だけに閉めたままという訳にはいかなかったのかもしれない。
ただ事件があった事を当然楠木は知っている。事件現場に向かうことに、楠木もためらいはあったかもしれない。それでも矢上と一緒にきたのは、やはり少しでも矢上に安全でいてもらいたいという気持ちからかもしれなかった。
楠木が一緒にいれば矢上が襲われる危険性も少なくなるだろうし、万が一何かあったとしてもすぐに対応が出来る。僕が入り口で見張っていれば特に問題はないはずだ。
二人が女湯の中に入っていくのを見届けると、壁に背をつけて他に人がこないかを見張っていた。
しばらくの間は何事もなかった。浴場の方から楠木と矢上が話す事が少し聞こえてきていたくらいだ。
ただ不意にスマホが電話の着信を知らせていた。
「もしもし」
『あ、もしもし。大志だよ。浩一くん、いまどこにいるの? 僕達はいまちょうど駅前にいるんだけど』
大志の声はいつもよりどこか固い。矢上はもう戻ってきたというのに、どうして駅の周りにいるのだろうか。駅まではそれほど距離はなかった。それならとっくに戻ってきてもいいはずだ。
「大志か。どうしたんだよ。まだ戻ってこないのか。矢上はとっくに帰ってきてるぞ。まだ
僕は少し不思議に思いながら訊ねる。
まだ響も一緒にいるのなら、さっきみた男は響ではないことになる。それなら響はやっぱり麗奈を襲った犯人ではなかったのかもしれない。
『え? そうなんだ。よかった。あ、でもさ、それならそれで連絡の一つくらいくれ……え、響くん、何? ……うわぁっ!?』
大志は突然悲鳴を上げていた。同時に激しくぶつかるような音が響いて、ぶつっと大きな音と共に電話が途切れていた。
ツーツーと無情な響きだけがスマホ越しに聞こえてくる。
今のは何があったのだろうか。響が何かをしたのだろうか。そうだとしたらやっぱり響は犯人だったのだろうか。
僕の胸の中は不安で強く揺れていた。
すぐに電話をかけ直してみる。しかしスマホから漏れてくるのは、圏外か電源が切れている事を知らせるアナウンスだけだった。
ここは田舎町で電波が悪い場所も多い。突然圏外になったとしても不思議ではなかったけれど、それにしてはさっきの悲鳴は不自然が過ぎた。
胸騒ぎがしていた。大志と響に何かがあった。でもそれが何なのかわからない。駅前にいることはわかっているけれど、そちらに向かうべきだろうか。駅まではそれほど遠くない。
しかしこの場を離れてもいいものだろうか。もしその間に二人が襲われるような事があればどうしたらいいのだろうか。
いやさすがにこの状態で何かあるなんて事はないだろうか。
僕の心が揺れる。
しかしこれから起きるかもしれない事よりも、いま確実に起きている大志と響の方が緊急度は高い。下手をすれば取り返しがつかなくなるかもしれない。
僕はすぐに女風呂の奥に向かって叫んでいた。
「楠木っ、矢上っ。大志に何かあったみたいだ。僕は様子をみてくるから、あと頼む!」
大声で叫ぶものの返答はない。浴室の扉が閉まっていれば聞こえなかったかもしれない。しかし返事を待つわけにも中に入る訳にもいかない。僕はとにかくいそいで駆けだしていた。
何があったのかはわからないけれど、間に合えばいい。
こんな事で何を失ってたまるか。
僕は胸の中に強い怒りと不安を覚えながら、とにかく駅へ向かって走り出していた。
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