第12話 もしも願いが叶うのならば

二.紅色は悲劇のヒロインと


 朝なんとなく目が覚めていた。だいぶん早いから、たぶんまだ誰も起きてはいないだろう。


 旅館の休憩所で無料のコーヒーを飲みながら、昨日の事を考えている。

 夢か何かだったんじゃないかとすら思うけど、部屋に干した衣類がそれを否定していた。


 不思議な子だったと思う。何を考えているのか、つかみどころがない。海の中に引っ張りこまれて、変な風に笑って、手をつないで歩いた。いま考えても現実感がない。僕は一体何に巻き込まれているんだ。


 だけどそれでも桜乃さくのといたあの夜が、呆れつつもどこか楽しく思えていたのは確かだ。


 麗奈れな以外の女の子と手をつないだのもひさしぶりな気がする。それは少しだけ気持ちを浮つかせていたかもしれない。


「なんだか楽しそうだね」


 掛けられた声に振り向くと、いつの間にかそこには矢上やがみが立っていた。


「何か良いことでもあったのかな」


 矢上は言いながら僕の隣に腰掛ける。シャンプーの香りが少しだけ僕の鼻腔をくすぐっていく。


「いや、特には」


 昨日の事をどう話したものかもわからなかったし、良い事だったのかもわからない。


 しかし矢上もそれ以上にはつっこんでくることはなく、コーヒーを口にしていた。


「昨日はよく眠れた?」


 とりあえず話題を変えてみる。麗奈なんかは枕が変わると眠れないとよく言っているから、もしかしたら矢上も寝付けずに早起きをしたのかもしれない。


「そうだね。この辺りは古い町なんだろうから、いろいろと気になるものがあってね。落ち着かなかったかもしれない。この旅館もかなり古いようだし、この休憩所もいろんな人がいろんな気持ちを残していったのだろうね」


 矢上は軽く辺りに視線を送る。特別なものがある訳ではなかったけれど、どこもよく言えば歴史を感じさせる。確かにこんな場所だけれど、かつてはいろんなドラマがあったのかもしれない。


 こうして僕と矢上が話しているのだって、他の人達には何の意味もないかもしれないけれど、僕達にとってみれば一つの想い出になるのかもしれない。


「泣いたり笑ったり、楽しい記憶や悲しい記憶があったんだろうなって、いろいろ感じるよ。この旅館は戦前からあったらしいからね。私達には戦争なんてぴんとこないけれど、やっぱり大変だったのだろうな」


 矢上は何か思うところがあったのか、大きく息を吐き出していた。


 確かにここは古い旅館だ。僕には戦争がどういうものなのかは、本やテレビなんかでしかわからないが、いろいろな事があったのかもしれない。


 だけど矢上はどうして急にこんな事を言い出したのだろうか。矢上は古いものなんかが好きで、そこに何かを感じ入る事は多々あったから、その一環なのかも知れないが、少し不思議に感じて矢上の方へと目を向けてみる。


 僕の表情に気がついたのか、矢上は少し照れ笑いを浮かべながら、ごまかすようにしてコーヒーを飲み干していた。


「いや、昨日テレビでそんな話をしていてね。柄にもない事を言ってしまったようだ」


 矢上は小さな笑みを口元に浮かべると、コーヒーのおかわりをとりに席を立った。

 それからサービスのコーヒーを入れながら、矢上は僕に背を向けたまま話し続けていた。


「なぁ、浩一。昨日はどうして急に行かないなんて言い出したんだ」


 矢上の問いかけは昨日の朝の話のようだった。

 皆はもう電車の中に入っていたかと思ったが、聞かれていたのかと少し恥ずかしく思う。結局は抗う事が出来なかったけれど、あれでは駄々をこねている子供のように映っただろう。


 何を言っていいものかわからなくて、何も答えない。ただ矢上は沈黙が答えだと思ったのか、再び僕の隣へと腰掛ける。


「浩一、君はときどき不思議な事を言うよな。まるで何か見えないものが見えているかのように」


 矢上の言葉に胸が激しく鼓動した。


 まさか僕が未来を見えるという事に気がついているのだろうか。いや、そんなはずはない。矢上と知り合ってから、未来が見えたのはほんの数回だし、矢上に力の話をした事はない。麗奈ですら信じないのに、そもそもそんなことを知ったとしても信じるとは思えない。


「この辺にはいろいろ逸話があるらしいが、君はもしかして霊でも見えるのか」


 そう告げた矢上の表情にはいたずらな笑みが浮かんでいた。そこで始めてどうやら僕をからかっているらしいとわかる。


「まさか。霊なんているはずないだろ」


 ため息と共に答えると、矢上は楽しそうに笑顔を漏らしていく。


「ふむ。そうか。私は信じているのだが。この旅館にも、いろいろな想いをもった霊が残っているんじゃないかと思うよ」


 どうやら矢上は幽霊を信じる方らしい。確かにいろいろと歴史を感じたがる矢上には、その方が楽しく思えるのかもしれない。


 もっとも未来が見える力があるのだから、霊だってもしかしたらいるかもしれない。今の科学では証明できないだけで、何かしら不思議な力が他にもあるとしてもおかしくはない。もしかしたら僕が知らないだけで、それはありふれているのかもしれなかった。


「矢上は霊と出会ったらどうするんだ」


「そうだね。出来る事ならその霊と友達になりたいね。そして霊の世界について、もっといろいろと教えてもらいたいな」


 僕の何気ない問いに矢上は真面目な顔で答える。


 知的好奇心にあふれた矢上らしいといえるだろうか。霊と友達になるのはハードルが高そうではあるけれど、もしもなれるならそれは素敵な事なのだろう。きっと。


 僕には出てこない発想だけに面白く思えた。僕は霊なんて信じていないけれど、もしもいるのだとしたら、それは悪霊や怨霊のたぐいだと考えていたと思う。だから友達になるだなんて平和的な考えは全くない。しかし矢上にしてみれば、自分の知らない知識を持っている対象なのだろう。だから少しでも情報を得たいという訳だ。


「それなら神様がいたら」


 少し対象を変えてみる。矢上はなんと返すのだろうかと興味がわいた。

 だけど霊の話にはのってきたはずなのに、急に矢上は顔を背ける。


「そうだね。もしも神様がいて願いを変えてくれるのだとしたら。何もかもなかったことにしてもらいたいよ」


「なかったことに?」


 不思議な答えに訝しんで僕は矢上へと目を見開く。


「ふふ。まぁ、人生の中ではいろいろ後悔している事もあるってことさ」


 矢上のその答えは、何か有無を言わせない迫力があってそれ以上には何も言えなかった。


「しかし君はやっぱり面白いね。やっぱり君と私は同じなのだと思う」


 何が同じなのかはわからなかったけれど、矢上はこれ以上は何も言わなかった。


「さてそろそろ朝食の時間も近いだろう。皆を起こしてこないとね」


 立ち上がり、矢上は僕へと軽くウインクをして後ろ手をふりながら歩き始める。


 ただその背中がどこか悲しそうに見えたのは、僕の気のせいだったのだろうか。僕にはわからなかった。

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