第10話 夜の海で不思議な少女に出会う

 食事や風呂も済ませて時間が更けていく。


 肝試しは結局それなら明日にしようという話で落ち着いて、今日はそのまま各々の部屋に戻る事になった。初めはいろいろと皆で騒いでいたものの、なんだかんだで疲れも出たのか響と大志はさっさと眠りに入っていた。


 ただ僕はなぜか目が覚めて眠れずにいる。


 時間はそれなりに遅いが、女子達はまだ起きているようで隣の部屋から声が微かに漏れ聞こえてくる。それなら少し顔を出そうかとも少し思うものの、時間も時間だけに遠慮しておくことにする。


 普段であれば強引にでも眠ろうとして横になっていたと思う。でも今は布団に入る気分にもなれなかった。


 少し外を散歩するかと思って部屋を後にする。

 ここが田舎町だからか、夜の海岸沿いは意外と人がいない。静まりかえった世界の中で、響いてくる音は寄せる波の音だけ。誰もいない海というのは寂しいものだなと思う。


 街灯もさほどないため、砂浜と海の境目すらよくわからなかった。


「誰もいない海は何だか落ち着くな」


 思わず口に出してしまったのは、ここには誰もいないと思っていたからだった。

 ただ同時にその暗闇の中に人影が見て取れた。誰かが砂浜に降りていたようだ。


 聞かれたかなとも思うものの、聞かれて困るような事を口走った訳ではない。少し迷うものの、そのまま歩き続ける事にした。


 近づいていくにつれて、姿がはっきりと捉えられるようになる。そしてそこにいる人の姿が見えた瞬間、僕の胸が大きく揺れていた。


「こんばんは。こんな時間にお散歩ですか?」


 その姿の主は僕に向けて、ささやくような笑みを浮かべて、僕へと視線を向ける。


 どうして彼女がこんな時間にこんなところにいるのかはわからなかった。偶然なのだろうか。それとも運命が引き寄せているのだろうか。僕の前には白いワンピース姿の桜乃さくのが立っていた。


 僕は思わぬ相手に返す言葉を失っていた。たださざ波の告げる時だけが、幾度も揺れては返していく。


 こんなところに彼女がいるなんて思ってもみなかった。そう考えて、でもそれは嘘だなと自分の想いを否定する。たぶん僕自身にも予感があったんだと思う。こうすれば彼女と出会えるんじゃないかと、無意識の内に感じていたのだろう。


 僕のこの旅の目的は彼女と出会うことだった。どうして桜乃があんなことを告げたのか、それを知るためにここに来たんだ。


 思い返してみれば、今までも意図していないにもかかわらず、まるで吸い寄せられるように未来へと近づいていく事があった。僕は運命なんて言葉は信じていない。いや信じたくない。だけどまるでそれをあざ笑うかのように、未来は僕の方へと寄せてくるのだ。


 こうまで偶然が重なってくると、運命を信じざるを得ない。僕の力は未来を見る力だ。未来が見えると言う事は先が決まっている。運命があるということになる。


 でも僕はそれを覆したい。


 あの時、血まみれで倒れる麗奈れなの姿があまりにも衝撃的だったから、僕の心は落ち着かないまま揺れ続けているままだ。でも彼女と話して何かを掴む事ができたなら、運命を変えられるかもしれない。


 だから僕はこの場所にきた。そして僕は彼女と出会った。


 彼女に向けて何を話せばいいのかはわからない。だけどとにかく何かを告げなければならない。だから僕は彼女の質問と同じ事を聞くことにする。


「桜乃さん、だっけ。君こそこんなところで何やっているの」


 僕の問いに桜乃はまるで小さな花が薫るかのようないたずらな笑顔を向ける。


「夏の海辺で女の子がする事なんて決まっているでしょう。それはですね」


 少しだけ溜めて、それから微笑を漏らす。


「ナンパ待ちですよ」


 そう告げた彼女は、どこかつかみどころのない笑顔を漏らしながら、潮風で白いワンピースの裾を揺らしていた。


 昼間みた姿とも僕が見た未来の姿とも違う、どこかささやかな微笑みは、だけど僕の胸の中に刻み込まれていく。


 あっけにとられていた僕に、桜乃はさらに続けて微笑みを漏らす。


「あ、本気にしましたか? 冗談ですよ」

「言わなくてもわかるよ。そもそもこんな人のいないところでナンパ待ちしたって誰もきやしないだろ」


 たぶん憮然とした顔を向けていただろうとは思う。

 こんなほとんど月明かりしかない場所で、ナンパ待ちも何もない。そもそもほとんど人がいやしない。本気で答えていたとしたら頭の中を疑うところだ。


「そうですね。田舎町ですから。昔はもう少し人も来ていたのですけど、最近はあんまり観光客も来ないんです。この辺はちょっと外れたところにありますしね。うちの宿もそろそろ廃業しなきゃいけないかなって、そんな心配ばかりしています」


 桜乃は本気なのか冗談なのかもわからない事を告げると、大きく背伸びをして、再び僕の方へと向き直る。


「それは」

「あ、本気にしましたか。冗談ですよ」


 くすくすと笑い声をこぼして、桜乃は僕に背を向けるようにして海の方と向き直った。


 どこか不思議な雰囲気の彼女が、夜の海の前に立っているのは、まるで映画のワンシーンのようにすら思えた。彼女がどこか現実ではない、何か違う場所にいるようにすら思う。


 だけどほとんど話した事もない彼女の事が、なぜか知らない人のようには思えなかった。


 未来でみたからだろうか。それとも二人きりだというのに、親しげに話しかけてくるからだろうか。それとも何か不思議な力が影響しているのだろうか。


 ただ彼女はそのまま少しずつ歩き始める。


「このまま海の中に吸い込まれたら、きっと心地よいと思いませんか」


 桜乃はその言葉と共に、少しずつ海の中へと足を踏み入れる。


 ワンピースの裾が風に舞って、そのまま彼女をどこかに連れて行くかのように思えた。

 そのままだと服まで濡れるだろうと思うものの、彼女は歩みを止めようとはしなかった。


 彼女は少しずつ沖の方へと向かっていくと、とうとうワンピースの裾が海に触れる。もしもこのまま止めなければ、海の中へと消えてしまいそうな気がして、胸の鼓動が大きくなるのを感じていた。


「どこまでいくつもりだよ」


 僕が声を漏らすと、桜乃は振り返り花が咲くような笑みを口元に浮かべていた。いや浮かべているように思えた。


 月明かりは彼女の表情までははっきりと映し出さなくて、ただ海の中に消えてしまいそうな彼女の姿だけを見せている。


 しかし彼女は何も答えずに、再び振り返ってまた海の方へと足を向けていた。

 ワンピースの半ばくらいまで彼女は海の中へと入り込んでいた。


「なにやってるんだよ。もどってきなよ」


 まさかこのまま入水自殺をするなんて言わないよなと、どこか不安を覚えながらも、僕は彼女へと声をかける。まさか客とはいえ、ほとんど知らないに等しい男の前で意味もなく死を選ぶとは思えなかったけれど、「私と一緒に死んでくれますか」と訊ねてきたあの未来の映像だけが頭によぎっていた。


 彼女が何を考えているのか、僕にはわからない。

 ただもういちど僕の方へと向き直って、どこか寂しげな表情を浮かべていた。


「夏の海と空は同じ色を称えていて境目がわからなくなるけども、夜の海は本当にどこからが海でどこからが空か、わからなくなると思いませんか。だからその境目に向かえば、このまま溶けてしまえるんです」


 桜乃はどこか沈んだように声で告げると、その瞬間に大きな波が寄せる。

 波は彼女を飲み込んだかと思うと、それと共に桜乃の姿はぽっかりと消えていた。まさか波にさらわれてしまったのだろうか。


 慌てて彼女がいた付近まで駆け寄るが、彼女の姿はどこにもない。


「桜乃さん!? どこにいるんだ。冗談はやめてくれ。おい、どこだよ」


 思わず漏らした声にも答えはない。まさか実は幽霊だったのかとすら思うが、あまりにも突拍子もない考えに思わず首を振るう。


 さっきまで話していた彼女は確かにここにいた。だとすれば波にさらわれて流されてしまったのだろうか。


 通報するべきかと慌てた瞬間、僕の足を何かが掴んでいた。


「うわ!?」


 悲鳴に近いような声をこぼすと、何かは僕の足を引き寄せていた。


 予想もしていなかった事態に、僕はそのままバランスを崩して転倒してしまう。海の中に倒れ込んで、身体中がずぶ濡れになった。


 慌てて立ち上がろうとするが、うまく力が入らない。飲み込んでしまった海水が喉と鼻の奥をひりひりと刺激して痛みを覚えていた。


 それでもなんとか体勢を立て直して立ち上がる。ただもう少し深いのか思っていた場所は実はそうでもなくて、寝転べば何とか水に沈む程度の浅瀬だった。


 それと同時に黒と白の何かが突然に視界を覆う。


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