四 偽りの村 三
かつては厨房だったようだ。ほこりまみれのガスコンロと冷蔵庫がある。
「俺が聞きたいくらいだよ」
手を伸ばせば触れるくらいまで近づいて、薄山が自分をじろじろ眺めているのを悟った。
「こっちは『たもかん』で神出の追悼をやってたんだ」
「恩田と?」
「そうだ」
「二人で?」
「そうだ」
「そうか」
しばらくの間、沈黙が流れた。
「退院はしたのか?」
岩瀬としても、薄山のいきさつは知っておくにこしたことはなかった。
「した」
「家には帰ったんだろう?」
「それが……電車に乗ったのは覚えているんだがな。どうも、そこからは曖昧なんだ」
「疲れて眠り込んだとか?」
「いや、それはない」
「じゃあ、どれくらい前からここにいたのかは?」
「短くとも八時間くらいはいるな」
岩瀬は、自分の腕時計で時刻をたしかめた。夜の七時半。今日の昼頃には来ていた形になる。
「ここは、覚正村っていうところなのか?」
岩瀬は話題を変えた。
「そうだよ。とっくに廃村だ」
薄山の言葉を待つまでもなく、岩瀬も察してはいた。つまり、公衆電話も期待できない。
「まさか、県外じゃないよな?」
「当たり前だよ。すずり山の北側斜面にあった村で、平成の中盤くらいに住民がいなくなった」
歴史はともかく、地理は重大な知らせがもたらされた。極端な話、徒歩でも最寄りの街にいける。
「ならさっさと……」
「ふもとにいくには湿地を越えなきゃいけない」
薄山の言い種は、冷淡でもなければ事務的でもなかった。元々が口数の少ない……というより乏しい……人間だったが、今回はいっそ学術会議でもしているような風情だ。
「湿地……?」
岩瀬の頭の中で、ラムサール条約だの小魚をくわえるサギだのが浮かびあがった。
「廃田に勝田川の支流が流れこんでできた。底なし沼だ」
薄山の説明は情け容赦なかった。
「でも道路が……」
「ない。陽のある内に確かめた」
「ないって……」
「廃村になって二十年くらいほったらかしにされたら、道路だって壊れてなくなる」
そんな状況は想像すらしたことがなかった。経済学部の学生であるのに、岩瀬は道路はいつでも車なり歩行者なりが往来できると思い込んでいた。
「なら、廃材でもなんでも使って通れるようにすればいいじゃないか」
「俺は足のケガがまだ完治してないんだ」
辛抱強く、薄山は語った。
「陸の孤島かよ」
詮のない言葉でも、岩瀬としては口にしないと気がすまない。
「最初からそういう村さ」
「知ってたのか?」
このさい、頼れるのは薄山の知識だけだ。
「ほんのちょっとな。大学の課題でレポートを書いたんだ。源平合戦で地名がでてくるし」
薄山は史学部だ。
「で、どうなんだ?」
岩瀬は一刻も早く、一粒でも多くの情報が欲しかった。無駄かどうかはあとまわしでいい。
「平成十四年に市町村合併で正式に消滅したんだが、そのとき既に人口は四百人足らずだったよ。財政は破綻寸前だった」
「そういえば、散策路の看板があったな」
「すずり山のだろ? この家にもパンフレットがあったよ。カビまみれだったけど」
「読んだのか?」
「読んだ。平成二年に発行されたやつで、まあ、きれいごとの建前があれこれ書いてあった」
薄山が、はっきりとそこまで何かを批判するのは初めて耳にした。
「定見のないことなかれ主義が、三流コンサルにいいように食い物にされたのがみえみえだ」
「おいおいそこまでいうか?」
さすがに、岩瀬としても全面的には賛同できない。だいいち、主たる目的はあくまで廃村からの脱出だ。
「陸の孤島って岩瀬はいったけどな、知的な意味でも孤絶していたんだ。どこの山奥でも似たようなことはあったのだろうが」
「な、なんかこの村に恨みでもあるのか?」
「ないよ。事実を指摘しただけ」
「あー、二人でなら協力してどうにか道を作れるんじゃないか? 一回通れたらいいんだし」
「恩田はどうしてここにいないんだ?」
いきなり痛いところを突かれ、さすがに仰天した。
筋道をたてると、恩田に多くの責任があるはずだ。
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