四 偽りの村 一
気がつくと、岩瀬はどこかの山奥にいた。恩田の姿はない。とにかく、膝に手をついてどうにか立ちあがった。
何がどうなってここまできたのか知らないが、身体中がうずく。特に頭はヒビが入りそうなほど痛い。そのくせどこからも血はでていなかった。
所持品を点検したが、奇跡的にも失ったものはなかった。もっとも、スマホは圏外になっている。
「恩田ーっ!」
恩田を心配しているのは事実ではある。だが、ひっきりなしに心身を苦しめる痛みをどうにか紛らわせたい。それもまた本音だった。
「恩田ーっ!」
夕闇が迫る山あいに、呼びかけは虚しく木霊した。
ただ立ち尽くすのは馬鹿げている。さりとて闇雲にさ迷って体力を消耗するのは無謀だった。
前後左右ともに、なだらかな傾斜と無個性な杉の植林が広がるばかりだ。ちなみに岩瀬には花粉症を始めアレルギーはない。
唐突に、無視できない事実に気づいた。このままではいつもの時間に薬が飲めない。日帰りのつもりだったから油断した。まだ異常がでたのではないが、いやでもすぐに行動せねばならない。
せめて現在位置でもわかればまだ手の打ちようはあるが、スマホが使えないだけで 実質的に両目両耳を塞がれたも同然である。
必死になって頭の中に蓄えた様々な雑学をほじくり返すと、山で迷った場合はまず登れという格言を思い出した。
一見、降り続ければどこかの道に出られるような気がする。しかし、崖や谷川に突き当たる可能性の方が高い。いざ引き返そうとしても、今度は来た道を登らねばならず物理的に余計な負担が体にかかる……結局は遭難してしまう。
手立てというには心細い限りだが、何の方針もないよりずっとましだろう。それで、目についた勾配を登り始めた。恩田が無事かどうかが重要なのは当然ながら、まずは自分の安全を確保するのが先だ。さもないと二重遭難になりかねない。
完全に陽が暮れた。スマホのライトをつけると即席の懐中電灯にはなったものの、押し包むように迫る杉の木並みはかなり不気味な圧力を放っていた。
そもそも、落ちてきた破片で頭を打ったなら場所が変わるはずがない……恐怖を伴う様々な可能性を振り払うべく、岩瀬は努めて合理的に状況を整理した。
ならば、何者かが彼をここまで運んだのか。前後の状況からして理屈に合わない。
唯一ありえるのは、天井と同時に床も崩落して洞窟から蹴りだされたという可能性だが、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
木と木の間が鈍く光り、一瞬ぎょっとした。良く見ると看板だった。つまり、少なくともある一時期は人が往来していたことになる。
いくばくかの期待をこめて足早に近づくと、幅三メートルくらいの朽ちかけた骨董品だった。赤茶色の錆びと中途半端に残った背景の緑色とがシュールレアリズムもどきな混沌になっている。
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