アーカイブ10:問題だらけの日常(4)
一体どうすればαスポーツの加入者を増加させることができるだろうか。
ブツブツと考えながら、ちょうどスパイラルビルから外に出た時だ。
夕暮れの時間帯。青と黒のキャップを目深に被り、黒い長めのダウンコートに黒いジーンズ。そんな姿でも本来いるはずのない黒マスクをした男がいたら逆に目立つだろう。
「え。苅田?」
欄干に
「おい。大丈夫なのか?」
良く見れば、かなり厚みのある黒いマスクをしていた。嗅覚過敏症に悩まされている苅田は街中を滅多に出歩かない。
「うん。薬も飲んできたから。多少は歩いても大丈夫」
「渋谷なんて香水つけてるひと多いからな。気を付けろよ?」
「ありがとう。気ぃ使わせて悪ぃ!」
「いいよ。てかさ、会えるなら電話とかメッセージ飛ばすとかさ、あるじゃん。教えてくれたら良いのに!」
「あー。それがさ。色んな所から通知が来て、電話も凄い来るの。テレビとか雑誌とかオカンのことで時間取らせないから良いですかって。余りにもウザいから、スマホごと機内モードにしてるんだ」
なるほど。連絡が全然付かないのは、そういうことだったのか。
「それは大変だったな。チュイットのトレンドも凄い騒ぎになってたからマジ心配したぞ?」
「ほんと、ごめん。連絡くれてるだろうな、とは思ってた。スマホじゃなくてもPC上から、わくちゃんで返事しようと一瞬考えたんだよ。でもさ、わくちゃんの通知もえぐいし、メール通知もえぐいし、正直PCも暫く落としてるんだ。だから今日は徳最くんのインターン出社日に、いっそ直接来ようと思って」
「マジかよ。苅田、いま二月末なんだぞ! 寒いのに長い時間ここにいたのかよ! 風邪引くだろ!」
苅田はポケットから幾つかのカイロを出した。持参しているからとはいえ、寒い中、待ち伏せるのも体に堪える筈だ。
「ここじゃなんだし、何か温かいものでも食いに行くか?」
できれば入野井のことを話しておきたい。
ずっと苅田に黙ったままでいるのも俺の心が落ち着かない。
「あ、徳最くん。食べに行く前にさ、どうしても話しておきたいことがあるんだけど」
「話しておきたいこと?」
苅田は、大袈裟なくらい大きく首を縦に振った。
「そう。会ってもらいたい人がいて」
スマホを取り出した苅田は誰かにメッセージを打っているようだった。
「こっち。ごめん少し歩くけど」
「おう。別に良いけど。俺に会ってもらいたいって誰なんだよ?」
「実はさ。んー。それはまぁ、オレが言うより直接会ってやって欲しいんだよね」
「なんだよ。勿体ぶるなよ!」
苅田は渋谷から喧騒離れた坂道を下り、小さなカフェに辿り着いた。木製看板には『Coffee』という文字が見える。
苅田が扉を開くと、香ばしい珈琲豆の匂いがした。心地よい香りだ。
苅田に促されるまま付いていくと、ボックス席に座る男が目に入った。
ボサボサの頭は寝起きなのか、それとも癖毛で跳ねているだけなのか目視しただけでは判断できない。首を傾けて、こちらを見上げた男は「あ。お疲れさまです!」と席から立ち上がりかけた。
「あ、良いって!」
苅田が手を翳して男はまた座り直したが、俺の見た限りでは同い年くらいの若さで、かなりの高身長に見えた。チーフの尾野くらいはありそうだった。
細身で薄いレンズの眼鏡を掛けていた。鼻が高くて、目鼻立ちもハッキリしている。店内を照らすオレンジのライトが強くてグレーなのかグリーンなのか分からないが、暖かそうな厚手のカーディガンを羽織っている。
「じゃあ、徳最くんは、そっち座って」
促されて俺は、誰も座っていない空いている席に座ると、謎の男と向き合うことになった。
苅田は男の隣に座った。
おいおい。これは、なんなんだ。
若干の気まずさを感じたが、注文を取りに来たウエイトレスが何にするかと聞かれてテーブル端に立てかけられたブックメニューを手に取った。
コーヒー一杯、八百円という値段に思わず「高っ!」と俺は声が出た。
「あ、徳最くん。奢りなので気にしないで良いよ!」
「奢ってくれるの! マジ!」
流石、人気配信者は儲かってやがる。
今日のお勧めとやらのコーヒーを注文することにした。飲み物は、ほどなくしてテーブル上に並べられた。
「苅田は相変わらずラテなんだな」と俺。
「ブラック飲めねぇもん。別に良いでしょ!」
謎の男が、小さく噴き出すように笑った。
「ところで、この人、誰?」
俺は小さく苅田に尋ねたつもりだった。
「あ。やっぱり分からないよね」と謎の男が俺を見てそう言うと、小さく息を付いた。
「え、分からないって。会ったことありましたっけ?」
小柄な苅田の横で、明らかに大柄な男は肩を落として丸くなっている。謎の男は、眉をハの字にさせて、コーヒーカップを一口飲んだ。目も口も鼻も、パーツごとに大きい。手に持つコーヒーカップは小さく見えた。
大人しめなゴリラのようだ。酷い喩えなので口に出しては言わないけれど。
「全然覚えてないんだね」
横から苅田が口を挟んだ。
「覚えてないって、この人、大学にいたっけ?」
「いないよ、いない! うつーちゃんは同じ大学じゃないから!」
「え。あの配信の、って、え。うつー、ちゃん?」
もう一度、男を見る。
彼と目が合う。
「五年生のときに引っ越したんだけど」と、ボソリと呟いた。
その瞬間、思い出した。名前を。
ふわりと蘇る。
「ちょ。え。うつ、み…
一体これは何年ぶりだろうか。
最後の日に黒板前で内海は別れの挨拶をしていた。当時の俺と同じくらいの身長だったのに。こんな大きなゴリラみたいな風貌に様変わりするなんて!
「マジか。うつーちゃんって内海なのかよ! ああー。だから苗字から名付けたのか!」
内海は二度頷いた。
「ほんと久しぶりだね。徳最君。あんま変わってなくて。ちょっと逆に驚いたよ」
「違ぇよ。お前が変わりすぎてんだよ!」
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