魔法少女ゲーマーゲート
汐見舜一
1章「ドーン・オブ・ザ・魔法少女」
日常の終わり
■2022年7月4日(月)
◆蝶谷未散
「みんなを、助けて……」
ぴろろん……。ぴろろん……。
直後に、タイミングよくスマホのアラームが鳴った。午前六時三十分を告げるアラームだ。
「夢……?」
どうやら自分は夢を見ていたようだと、まどろみの中で未散はぼんやりと理解した。よく覚えていないけど、すごく怖くて、切ない夢を見ていた。たくさんの人が死んで、たくさんの血が流れた気がする。夜空が燃えていた気がする。
「……」
未散はアラームを止めると、さっきまで悪夢を見ていたとは思えない滑らかさで二度寝を決め込んだ。いつものことだ。七時に起きれば学校には間に合うから、とくに問題はない。わずか三十分の二度寝を満喫するのが、彼女のライフワークなのだ。
「……ごきげんよう。はじめまして」
声がした。甘ったるい響きのある、知らない女の声だ。
この声は夢の中で響いているのだろう。もう自分は二度寝の世界に入り込んでいるんだ……。未散はそう分析する。
「……わたくしの名前はアリス」
また声がした。声は、スマホから発せられているような気がする。スマホがひとりでに喋る夢か。起きたら夢占いでもしてみるか。
「蝶谷未散。わたくしの話を聞きなさいな」
「……」
「さっそくですけど、本題に入らせていただきますわ。あなたには、魔法少女になって戦ってもらいたいんですの。もらいたい、と言いましたけど、残念ながらあなたに拒否権はありませんわ。それに、拒否なんてしても、あなたには何の得もありませんわ。わたくしに従って敵を殺しまくるのが、あなたにとって最も利口な選択肢であって……」
「うるさい」
眠気が怒りに変わり、未散はスマホを掴むとベッドから放り投げてしまった。
スマホは床のカーペットに落ち、ぼんっと音を立てた。
「やれやれ、ですわ」
スマホは依然として声を発しているが、すでに寝息を立てている未散には知る
「寝ているうちに勝手に体をいじくって変身させちゃうなんて、なんだかイヤらしくて気が引けますけれど、致し方ありませんわね。なんと言っても、今は緊急事態なのですからね」
スマホの画面がぽっと点灯し、そこに声の主が姿を現す。
「蝶谷未散。初めてはかなり痛むけれど、頑張って耐えてくださいまし」
◆鼠入珊瑚
「かわいそうに。まだ子供なのに……」
地面にしゃがみ込んで、
川沿いの土手道に敷かれた、場違いのブルーシート。その下で、制服姿の少女が事切れているのだ。
捜査一課の刑事の
遺体の少女は、うつ伏せの格好だった。顔は横を向いており、表情を確認できる。目は見開かれ、口は半開きだ。しかし不思議と、恐怖や驚愕は感じられない。感じるのは、むしろ怒りだった。ワケも分からず襲われる理不尽さに対する強烈な怒りが、少女の顔全体に刻まれているように思える。
「刃物で体じゅうをメッタ刺し、ですね……」
鳥海が呟いた。
鑑識チームが行き交い、その作業を私服警察官が眺めている。地域係は、スマホ片手にはしゃぎ回る野次馬を収めるのに四苦八苦している。子供ならもう眠っているような時間に、いったいどこからこの暇な大人たちは湧いてくるのだろうか。
珊瑚は野次馬どもに向かって舌打ちしたあと、気を取り直して遺体のそばにしゃがみ込んだ。そして、ゆっくりと目を閉じた。
「出た、班長の瞑想タイム!」
鳥海が期待のこもった調子で、それでいて茶化すように言った。
珊瑚が仕切る小規模なチームは、便宜上「鼠入班」と呼ばれている。そして部下たちは珊瑚のことを「班長」と呼んでいる。
「……」
一分ほどの後、珊瑚はすっと目を開いた。
「犯人は、おそらく、この少女と面識のない他人だ」
「どうして分かるんですか? こんなメッタ刺しにされているんですから、一見かなりの恨みがこもった犯行に思えますが」
「勘だ」
「出た! 班長の、勘!」
「私の勘は当たる。そうだろう?」
「ええ、そりゃあもう、びっくりするくらいに」
32歳という若さで(それも超男性社会の警察という組織の中で)、珊瑚が警部の座につけている理由は、そこにある。珊瑚の「勘」のおかげで、迷宮入りと思われた事件がいくつも解決しているのだ。
「ほんと、なんでいつも当たるんですか? あれですか? 昔よくテレビでやってた超能力FBI捜査官みたいな感じなんですか?」
「鳥海。ちょっと妄想ゲームに付き合え」
珊瑚は鳥海の軽口を無視して言った。
「え? ああ、いつものですね。了解です」
「お前は、これから一人の少女を刺し殺そうとしている人間だ。そう想定してくれ。お前は、かなり強烈な義務感をもって、少女を刃物で刺し殺す」
「強烈な義務感、ですか?」
「そうだ。お前の考えうる限り最大の義務感だ。そう仮定してくれ。少女を上手く刺し殺せなかったら世界が終わるくらいの勢いでいい」
「……よく分からないけど、了解です」
「で、加えてお前は孤独だ。とにかく孤独だ。少女を殺さないと世界が終わるのに、それを誰にも相談できない。自分一人の手でやるしかない。孤独だ」
「俺は孤独……俺は孤独……俺は孤独……」
「さあ、お前は背後からこっそり少女に忍び寄る。マスクとサングラスで変装は完璧だ。いよいよ少女の背中を刃物で刺す。だけど一撃では仕留められなかった。お前は何度も何度も少女を刺す。ようやく少女は倒れるが、最後の力をふり絞って怒りのこもった目でお前を睨み上げてくる。さあ、お前は、その後どう行動する?」
「……逃げますね。少女は間もなく死ぬはずですから、これ以上の攻撃は不要と判断して、いち早く現場から逃げます。たぶん」
「だがお前はその時、逃げるより先に、ズレたマスクとサングラスの位置を調整するんだ」
「え?」
「そう想像してくれ。お前は逃げるより前に、
「……少女に顔を見られたくなかった、からですかね?」
「少女はもう間もなく死ぬのにか? これから死ぬ相手に顔を見られたところで、お前には何のリスクもないはずだろう?」
「……そうですね。うーん……。お手上げですよ、班長。俺にはさっぱり分かりません」
「そうか。ご苦労だった。妄想ゲームは終了だ」
「それで、今回の妄想ゲームの意図はいったい……? マスクとサングラスが事件に何か関係……って、班長!?」
鳥海は驚愕した。なぜなら、珊瑚が急に口を押さえ、土手を駆け下り、そして川に嘔吐したからだ。
胃の中の物をあらかた吐き出した珊瑚は、ぜぇぜぇと息を切らし、肩を上下させている。
後を追ってきた鳥海が、珊瑚の背中を優しくさする。
「すまない。無様をさらしてしまったな」
「ほんと、いつまで経っても死体には慣れないんですね、班長」
死体を見たショックで吐いたわけではないのだが、それを話すとややこしくなるので珊瑚は黙っていた。
「さあ、仕事の続きだ」
珊瑚はハンカチで口元を拭くと、土手を上り始めた。
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