明日もアスとの朝が来る

今井士郎

一日目 いつもの朝

 PCのスイッチを入れる。ダイアログにIDとパスワードを入力して、起動を待つ。

 ノート良し。ペン良し。淹れたてのコーヒー良し。天気良し。

 朝食ナシ。これはいつものことで、問題なし。


 リモコンを手に取った中川は、今朝も再生ボタンに手をかけた。

「ロックンロール!」

 エレキギターの高音を皮切りに、室内に鳴り響くロックンロール。

 最高に環境の整った、ご機嫌な朝にして、ご機嫌な始業時刻だ。


 ……あー、恥ずかしい。恥ずかしい。

 大の男が、口に出して「ロックンロール!」だ。

 中川は内心で周囲を見回した。

 しかし、良いのだ。テレワークだから。部屋には誰もいないから。多少の奇行をしたところで見られないから恥ずかしくない。これが、一人暮らしとテレワーク、そして防音環境の良いところである。


 中川の奇行を見ている『人間』はいない。誰一人として。

 だから。

【おはようございます。本日も……。音声認識に支障がありますので、音楽のボリュームを15まで下げてください】

 まるで人間のような男の挨拶も、人間のものではない。

「おはよう。今日は何の日?」

【カレンダーの日ですね。日付を聞くには最高の日です】

「そういうのいいから」

【定例プラス1です。10時から定例、入荷状況確認定例。13時から……く……件です】

「なんだって? 13時」

 スケジュールを語る男の声は、大音量のロックにかき消された。

 そして、ロックミュージックの音量は急激に萎んでいく。

【13時からイッカク製作所案件の会議で、16時からは定例、グループミーティングです。聞こえましたですかマイマスター】

「聞こえましたですよマイアシスタント。クソが。サビだったのに」

【仕事中は仕事を優先しなさい】

 PCのディスプレイの一角を占めて、メガネをかけた男のバストアップが中川に語りかけていた。

 今どき、特に珍しくもないクオリティの、CGアニメーションだ。

【相変わらずいい男ですね】

「照れるぜ」

【髭も剃らず、髪も整えず。社会人として最高です】

「会議の時は映像補正よろしく」

【ラジャ】


 一家に一台、AIアシスタント。などという時代は、今のところ訪れていない。

 しかし、一部の企業では『一人に一人格』のAIアシスタントを提供する時代が来てしまっている。

 中川の所属する企業では、一人ひとりにAIアシスタントを支給していた。

 AI・アス。

 デフォルトから呼称を変更することも可能であるが、中川は特にこだわりを持っていない。特に設定を変更することもなく、2年間、このモデルを使用していた。


 同僚のパソコンにも、一人ひとりのアスがいる。

 基本的に、アスは使用者と同性の容姿だ。

「仕事中に異性型のキャラクターを愛でさせるのは目的ではないから」だそうだが、性志向がデリケートな社会で、大っぴらに言うにはちょっと危ないポリシーだと、中川は考えている。


「じゃあ、今日もよろしく」

【そうですね。仕事を始めてください】


これは、一人のサラリーマンと一つのAIの、日常と、ちょっとした別れの物語だ。

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